第三十三話 遺されたソースコードと『ブルーグリーン・デプロイメント』
漆黒の空間に浮かぶ、白く点滅するアンダーバーは紛れもなく、佐藤太郎が生前見慣れていた「コマンドプロンプト」の待機画面であった。
魔法使いマーリン
「太郎よ、アーキテクトが『人間』だとはどういう意味だ? この広大な宇宙と魔法の理を創り上げた者が、お前と同じ矮小な存在だとでも言うのか?」
佐藤太郎
「ええ。証拠を見せましょう。俺はこの入力画面で、世界の深淵に対して『あるコマンド』を打ち込みます。」
佐藤太郎は虚空のキーボードを叩き、一つの文字列を入力した。
cat /root/README.md
ターンッ、と彼がエンターキーを叩くと、漆黒の画面にズラリと「日本語」と「英語」が入り交じったテキストが展開された。
【WORLD_SYSTEM_v1.0.4】
Hello World.
If you are reading this, the Goddess OS has failed.
(これを見ているということは、女神OSは破綻したということだ)
開発録:
魂の循環システムを手動で管理するのに限界が来たため、自律型AI「女神レヴァット・マーレー」を実装した。彼女に全権を委譲し、私はコールドスリープに入る。後任の管理者へ。修羅道(ゴミ箱)の定期的なパージ(削除)を忘れないように。放置すればメモリリークを起こし、世界は崩壊する。
Good luck, fellow engineer.
魔法使いマーリン
「な、なんだこの文字列は……!? 女神が、システムの管理を丸投げされたただの『人工知能』だったとでも言うのか!?」
佐藤太郎
「その通りです。真の創造主は、とっくの昔に世界を『自動化』して眠りについていた。そして、ポンコツAIである女神は、本来定期的に行うべき『魂の初期化処理』を怠った。その結果、削除されるべき魂が修羅道に35億も溜まり続け、世界というサーバーの容量を圧迫する『技術的負債』と化していたんです。」
佐藤太郎は静かに怒りを滲ませながら、コンソールを睨みつけた。
佐藤太郎
「人間をコマ扱いしていた女神自身が、実は創造主に放置された哀れなスクリプトに過ぎなかった。……笑えない冗談だ。だが、これでアーキテクチャの全容は把握できました。これより、35億の魂の完全救済を実行します。」
魔法使いマーリン
「待て! 先ほどお前自身が言ったではないか。彼らを一斉に現世へ解き放てば、物理世界の魔力許容量がオーバーフローを起こすと!」
佐藤太郎
「ええ、だから『今の世界(本番環境)』には戻しません。マーリンさん、IT業界における究極の安全策……『ブルーグリーン・デプロイメント(無停止移行)』をご存知ですか?」
魔法使いマーリン
「ぶるーぐりーん……?」
佐藤太郎
「現在稼働しているこの世界を『ブルー(現行環境)』とします。俺は今、エゴを消去して空っぽになった女神の莫大な計算資源を使い、この世界と全く同じコピー次元……『グリーン(新環境)』を構築します。」
佐藤太郎が信じられない速度でコマンドを打ち込むと、浄化の森の空に、もう一つの透き通った地球のホログラムが浮かび上がった。
佐藤太郎
「まず、修羅道の35億の魂を、誰もいない『グリーン環境』へ一斉に移行します。そこで彼らに新しい肉体を与え、バグ(怨念)が完全に浄化されたことをテスト・確認する。……そして最後に、星の地脈を切り替え、全人類の意識をブルーからグリーンへシームレスに接続し直すんです。」
魔法使いマーリン
「なっ……!? 全人類の魂の接続先を、一瞬にして別次元へと切り替えると言うのか! そんな真似をすれば――」
佐藤太郎
「一般の人間には、一切の遅延も感じさせません。彼らは瞬きをした次の瞬間には、修羅道の魂たちと共に『アップデートされた新しい世界』で生きていることになります。旧世界は不要なキャッシュとして破棄する。」
それは、神々すら想像も及ばない規模の「世界の再構築」であった。破壊も、犠牲も、痛みも伴わない。ただ純粋な「論理」と「設計」による世界救済だ。
佐藤太郎
「……システム構築完了。星の地脈(DNSレコード)の書き換え準備、オールグリーン。マーリンさん、これが人間が論理で辿り着いた『魔法』です。」
佐藤太郎はコンソールの上に手をかざした。
佐藤太郎
「世界移行……実行!」
カチャッ、という静かなキータッチ音が響いた。その瞬間、世界から一切の音が消えた。天界も、地上も、修羅道も全てが眩い光のグリッド線に包まれ、0と1のデータストリームへと分解されていく。
かつて病魔神として恐れられた元ニートは、神々が残したバグだらけのレガシーシステムを完全に掌握し、誰も犠牲にならない「新バージョン」の宇宙を、今まさにローンチ(公開)しようとしていた。




