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検死役の娘は、死体に嘘をつかせない。  作者: 雨音 穹
第一部 検死役の娘

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第三章 教団 ep.65




母さんの記録を、最初から読み直した。

机の上には、何冊もの帳面が開かれている。

古いものから新しいものへ、日付の順に並べたはずなのに、途中から順番が分からなくなった。

母さんは、几帳面な人だった。

記録の日付も、検死した場所も、遺体の状態も、後から見返せるように残していた。

けれど、今回ばかりは違う。

一つのことを調べるために書いたはずの記録が、いくつもの帳面に散らばっている。

水。

死者。

還る。

流れる。

そして、人。

私は紙をめくりながら、何度目か分からない同じ言葉を目で追った。




『この考え方を、誰が広めている?』




その一文の前後には、いくつかの人についての記述があった。

名前はない。

年齢もない。

住んでいる場所も、ほとんど書かれていない。

ただ、特徴だけが残されている。




_____水辺で祈る人。




_____死者を送る人。




______亡くなった者を水へ返すことを口にする者。




私はそこで手を止めた。




「……人、か」




母さんは、誰か一人について調べていたわけではないらしい。

同じような考えを持つ人間が、あちこちにいる。

そういうことなのだろうか。

別の帳面を開く。

そこには、母さんが聞き取りをしたらしい短い記録が残っていた。




『昔から、この辺りでは水へ送るという』




『死者は流れに帰る、と話す者あり』




『葬り方ではなく、考え方として残っている可能性』




最後の一行だけ、少し濃く書かれている。

私は指先で、その文字をなぞった。

考え方。

それなら、宗教とは限らない。

誰かが作ったものでもないのかもしれない。

土地に昔から伝わっている風習なのかもしれない。

あるいは、ただ昔の言い伝えを信じている人がいるだけなのかもしれない。

では、母さんが書いた「広めている人々」という言葉は何なのだろう。




私は別の記録を探した。

母さんが調べた場所。

水門。

川沿い。

古い集落。

葬儀が行われた場所。

いくつかの地名の横に、小さな印がついている。

そのうちの一つを見て、私は顔を上げた。

東の水門。

そこには以前から何度も記録が残っている。

僚明も行っていた。

母さんも行っていた。

そして、そこに残されていた印。




私は紙を一枚ずつ並べていった。

東の水門。

水辺。

死者。

印。

そして、死者を水へ送るという考え方。

点だったものが、少しずつ近づいている。

けれど、線にはならない。

どこかで必ず途切れている。




私は母さんの記録をもう一度めくった。




『水辺で祈る人』




その言葉の横に、母は何も書いていない。

ただ、少し離れたところに別の言葉があった。




『集まりがあるという話』




私は眉を寄せた。

集まり。

その言葉なら、少しだけ意味が変わる。

一人で信じているだけではない。

同じ考えを持つ人間が、どこかで顔を合わせている。

けれど、その後には何も続いていなかった。

集まりの名前もない。

場所もない。

代表者の名前もない。

母さんが聞き取った相手についても、ただ「老人」「女」「川沿いに住む者」といった書き方しかされていない。

まるで、最初から名前を残すつもりがなかったようだった。




私は古い記録を閉じ、今度は宮城の資料を調べることにした。

古い風習について書かれた記録。

水葬に関する記述。

河川周辺の葬送。

民間の信仰。

けれど、どれを見ても母さんの探していたものと完全に一致するものはなかった。

似た話はいくつもある。

水にまつわる言い伝えもある。

死者を送る方法も、土地によって違う。

その中に、母さんが追っていたものと同じ考え方が混じっている。

けれど、それが一つの集まりにつながっている証拠はない。

私は資料の端に小さく書かれていた言葉を見つけた。




『水辺にて祈る者あり』




その下には、




『名称不明』




とだけ記されている。




「……名称不明」




思わず声に出した。

名前がない。

それが妙に引っかかった。

名前がないから、見つけられない。

それとも_____

名前を持たないからこそ、残っていないのだろうか。




私は椅子の背にもたれた。

もし本当に集まりがあるのなら、どうしてどこにも名前がないのだろう。

誰かが隠しているのか。

それとも、最初から名前なんて必要としていないのか。

宗教なら、教える人がいるはずだ。

風習なら、土地に残っているはずだ。

思想なら、それを言葉にする人がいるはずだ。

なのに、今のところ私が見つけたのは、

水辺で祈る人。

死者を送る人。

死者は水へ帰ると言う人。

それだけだった。

どれも、集まりの名前ではない。




私は母さんの帳面を閉じた。

分からない。

まだ、何も分からない。

ただ一つだけ確かなのは、母さんがこれを偶然見つけたわけではないということだった。

何人もの人に話を聞いている。

いくつもの場所を訪れている。

そして、その先に何かがあると思っていた。




私はもう一度、母が残した一文を思い出した。




『この考え方を、誰が広めている?』




その問いは、まだ答えを得ていない。

けれど_____

母が探していた「人々」は、確かにいる。

名前を持たないまま。

姿だけを残して。




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