第三章 教団 ep.58
水辺で死んだ人間の記録を、私は今日も朝から調べていた。
見つけた一行が、どうしても頭から離れなかったからだ。
_____水辺に残された印。
あの記述が書かれていた事件だけを調べても、何も分からない。
だったら、その周りを見てみるしかない。
私は過去数年分の死亡記録を開き、水に関係するものを一つずつ拾っていった。
事故死。
溺死。
行方不明の末に遺体で発見されたもの。
水路から引き上げられたもの。
川岸で見つかったもの。
似たような記録は、思っていたよりも多かった。
水のある場所で暮らしている以上、珍しいことではない。
だから最初は、それほど気にしていなかった。
けれど、記録を並べていくうちに、少しずつ同じ地名が目につくようになった。
東の水門。
私は手を止めた。
「……また」
ひとつ。
その少し下にも、ひとつ。
さらに古い記録をめくると、またあった。
東の水門周辺で発見された遺体。
事故として処理されたものもあれば、溺死と記録されたものもある。
行方不明になったあと、数日して水門の近くで発見された者もいた。
年齢も違う。
職業も違う。
死んだ時期も違う。
互いに繋がりがあるようには見えない。
それなのに、発見された場所だけが同じだった。
私は地図を広げた。
東の水門。
その周辺を指でなぞる。
川の流れ。
水路。
古い建物。
僚明が残していた記録にも、同じ場所が書かれていた。
私はしばらく黙って地図を見つめた。
僚明は、東へ行くと言っていた。
そして実際に、東の水門へ何度も通っていた。
母さんも、そこへ来ていた。
その場所で、過去にも何人もの死者が見つかっている。
「……偶然?」
口にしてみても、しっくりこなかった。
まだ何も分からない。
水門の周辺で人が死んでいるというだけなら、いくらでも理由は考えられる。
水辺なのだから、事故が起きることもある。
足を滑らせることだってある。
酔って落ちる人間もいるだろう。
だから、この時点で何かを疑うのは早い。
私はそう考えながら、次の記録を開いた。
けれど、頭の隅にはずっと同じ場所が残っていた。
東の水門。
僚明。
母さん。
そして、水辺に残された印。
◇
その日の検死は、水に浸かった遺体だった。
運ばれてきた身体からは、まだ水の匂いがした。
濡れた衣服が乾ききっていない。
髪には細かな砂が絡み、指先には水辺のものと思われる泥が残っている。
私は遺体を前にして、静かに息を吐いた。
最近ずっと水辺で死んだ記録ばかり見ていたからか、少し身構える。
水による死は、見ただけでは分からないことが多い。
身体に残されたものを一つずつ確認していく。
衣服の状態。
皮膚の変化。
外傷。
身体に付着したもの。
そして、遺体がどのような状態で発見されたのか。
記録を確認しながら、私は手を動かした。
けれど、ふとした瞬間に、別の遺体が頭に浮かんだ。
僚明。
あの日、東の水門で見た水面。
水際に残されていた足跡。
泥。
古い建物。
あの場所に何度も通っていたらしい僚明。
そして、私が感じた妙な既視感。
私は目の前の遺体へ視線を戻した。
死者は、何も語らない。
だからこそ、身体に残されたものを見る。
何をしていたのか。
どこにいたのか。
どのように死んだのか。
その一つ一つを拾っていく。
「紗詠」
斑の声がした。
「ここ、どう思う?」
私は指示された場所を見る。
肩のあたりに、小さな傷があった。
「……擦ったように見える」
「水に落ちた時についた可能性もあるな」
「うん」
私は傷の状態を確認し、記録する。
それから身体に付着している泥を見た。
少しだけ色が違う。
「この泥……」
「気になるか?」
「ううん。まだ分からない」
私はそう答えた。
分からないものを、分かったことにはできない。
だから記録する。
見えたものだけを残す。
その作業を続けながら、私はふと思った。
僚明の時も、同じようにもっと細かく見ていればよかったのではないか。
あの場所で見たもの。
あの遺体に残っていたもの。
父さんが記録したもの。
私が感じた違和感。
今なら、もう少し違う見方ができる気がする。
けれど、僚明はもういない。
過去の記録を開くしかない。
◇
検死を終えたあと、私は再び記録を調べた。
東の水門。
その言葉を検索するように、古い記録を一つずつ確認していく。
一件。
二件。
三件。
数えてみると、思っていたより多かった。
そのほとんどは事故だった。
記録上は、そうなっている。
私は一つ目の記録を閉じ、二つ目を開いた。
やはり事故。
三つ目も事故。
四つ目は溺死。
五つ目は行方不明。
どれも別々の死者。
別々の出来事。
けれど、発見された場所だけが重なっている。
私は地図と記録を並べた。
東の水門。
何人もの死者。
その中に、僚明もいる。
そして母も、そこへ来ていた。
偶然だと考えるには、少しだけ気になる。
でも、まだそれだけだ。
私はそう言い聞かせながら、さらに古い記録をめくった。
すると。
紙の端に、小さな文字があった。
本文ではない。
後から誰かが書き加えたような、短い記述だった。
私は指で紙を押さえ、目を近づける。
そこに書かれていたのは_____。
『遺体のそばに奇妙な印があった』
息が止まった。
私は、しばらく動けなかった。
奇妙な印。
資料で見つけた、水辺に残されたあの印。
母さんの記録に残されていた、見覚えのない印。
偶然かもしれない。
同じような印が、別の場所に存在することだってある。
だから、まだ同じものだとは言えない。
けれど。
私はゆっくりと、その記述の横にある小さな図を見つめた。
紙の端に残された、歪んだ線。
円のようなものと、それに交差するような形。
私は無意識に、母の記録に残されていた印を思い出していた。
東の水門。
死者。
そして_____印。
私は記録から目を離せなかった。




