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検死役の娘は、死体に嘘をつかせない。  作者: 雨音 穹
第二章 河灯

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第二章 河灯 第三十話



昼過ぎだった。

検死室の扉が、勢いよく開いた。






「斑!」






若い役人が息を切らしている。






「遺体が出た!」






斑はゆっくり顔を上げた。






「河か」






短く問う。

だが役人は首を振る。






「違う」






その言葉に、私は思わず手を止めた。






「街だ」






検死室の空気が、わずかに変わる。






「南の通り。裏路地で見つかった」






河ではない。

それだけで、胸の奥がざわついた。

斑は外衣を取る。






「すぐに向かう」






私はすぐに立ち上がった。






「私も行く」






斑は一瞬こちらを見たが、止めなかった。

私たちはすぐに検死室を出た。











南の通りは昼でも暗い。

建物が密集しているせいで、陽がほとんど入らない。

裏路地の入り口にはすでに人だかりができていた。

役人たちが縄を張り、人々を遠ざけている。

斑が近づくと、自然に道が開いた。






私はその後ろに続く。

裏路地の奥。

石畳の上に、男が倒れていた。

仰向けだった。

目は半分開いている。

口元には乾いた血。






私はしゃがみ込む。

衣に水の跡はない。

濡れてもいない。






「.....溺死じゃない」






思わず口に出た。

斑は黙って遺体を見ている。

私は男の手を取った。

指は冷たい。

死後それほど時間は経っていない。

指を開く。

その瞬間。

胸が強く打った。






細いものが、絡んでいる。

私は思わず息を止めた。






「.....斑」






斑がこちらを見る。

私は男の爪を指差した。

そこに絡みついている。

細い繊維。

水を含んだ時のように、わずかに光を反射する糸。

昨夜。

河で見たもの。

同じだった。






「.....これ」






声が低くなる。






河灯(かとう)の糸」






周囲の役人たちは、意味がわからない顔をしている。

だが。

斑だけは違った。

斑はその糸を見た。

そして、ゆっくりと周囲を見渡す。






裏路地の壁。

石畳。

排水溝。

河の水はどこにもない。

斑が低く言う。






「.....なるほど」






私は斑の顔を見る。






「河じゃない」






そうだ。

ここは街の中だ。

河からは遠い。

それなのに。

どうして。

河灯(かとう)の糸が。






その時だった。

人だかりがざわめいた。

役人たちが道を開ける。






「道を開けろ」






低い声だった。

私は振り返る。

そこに立っていたのは_____






父さんだった。






詠真(えいしん)

宮城の正式検死役。

周囲の役人たちが一斉に姿勢を正す。

父さんは人垣の中を静かに歩いてくる。

視線はすでに遺体に向いていた。

私の横で足を止める。






「紗詠」






短く名前を呼ばれた。






「検死は始めたのか」

「.....まだ」






私は答える。

父さんは小さく頷いた。

そして遺体の前にしゃがむ。

手袋をはめる動作は、いつも通り無駄がない。

父さんは男の顔を見た。






首。






胸。






衣。






順に視線を落としていく。

やがて。

男の手を取った。

指を開く。

その瞬間だった。

父さんの動きが、わずかに止まった。

ほんの一瞬。

本当に一瞬。

だが私は見逃さなかった。

父さんの目が。

男の爪に絡んだ糸を捉えた。






次の瞬間には、もういつもの顔に戻っていた。

父さんは糸を指で軽く持ち上げる。

細い繊維。

絡みつくような糸。

父さんはそれをしばらく見ていた。

そして静かに言う。






「.....回収する」






斑が袖から布を出す。

父さんは布を受け取り、糸を慎重に置く。

父さんは立ち上がった。






「遺体は検死室へ」






周囲の役人たちが動き出す。

担架が運ばれてくる。

私は父さんを見る。






「父さん」






呼ぶと、視線をこちらへ向けた。






「それ」






私は言う。






河灯(かとう)の糸です」






父さんの目が、わずかに細くなる。

だがそれだけだった。






「噂は聞いている」






静かな声。

私は続ける。






「でも、河じゃない場所で_____」

「紗詠」






父さんは遮った。

その声は低かった。






「推測はするな」






私は口を閉じる。

父さんは遺体を見る。

そして、短く言った。






「検死室で調べる」






それだけだった。

その時、私は気づく。

ふと視線を感じた。

私は顔を上げる。

路地の奥。

影の中。

誰かが立っていた。

こちらを見ている。

静かに。

動かずに。

観察するように。

だが、その人影はすっと路地の奥へ消えた。

私は思わず立ち上がった。






「待って!」






声を出す。

だが、もう追いかけても見えないだろう。

風が通り抜ける。

紙屑が転がる。

静かな裏路地。

斑が聞いてくる。






「どうした」






私は奥を指差した。






「今.....誰か」






斑はそちらを見る。

だが、もう誰もいない。

しばらく沈黙が続く。

やがて斑が低く言った。






「.....始まったか」






私は振り返る。






「何が?」






斑は答えない。

石畳に残る血の跡。

そして。

父さんの手の中にある、細い、河灯(かとう)の糸。






河ではない場所。

水もない街の中。






それでも。

灯りの糸は、そこにあった。




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