第七話
伴奏という役目は、そう簡単ではなかった。
先生に言われ、二人は居残りで伴奏の練習をする羽目になっていた。
自由曲を弾くことになったマヤと、課題曲を弾くことになったカイは、大きなプレッシャーを感じていた。
二人は、両想いということを理解していない。
だからなのか、二人の間にはよく分からない空気が流れていた。
「……課題曲、難しいね」
マヤがカイを励ますように言う。
課題曲は、皆が思っている以上に難しかった。
手が大きい人じゃないと届かない所もあるし、リズムを取るのも難しい。
カイはそれに手こずっていた。
「でも、自由曲もなかなかだよ」
カイが言うように、自由曲も難しかった。
マヤにとって自由曲は、とても大切な曲だった。
「私ね、昔、ちょっと病気してたの」
マヤは突然そう言うと、ゆっくりとカイの方を向き、話を始めた。
カイもピアノを引く手を止め、マヤと視線を合わせる。
「私、大切な、大切な親友がいた。家族の次に、大切なぐらい。もしかしたら、家族より大切だったかもしれない」
「小学校四年生のとき、その親友と、ほかのクラスメイトと、校庭で鬼ごっこをしてたの」
「その子の名前、なんて言うの?」
カイが隙を見計らって問う。
「……山方咲喜」
マヤは少し俯きながら答えた。
「あ、ごめん。言いたくなかった?」
「ううん、大丈夫」
そう言い、マヤは話の続きを始めた。
「そしたら私、急に目眩がして。そのまま倒れたの」
「もともとは普通に健康で、というか健康すぎるぐらいだった。だけどその日を境に、健康じゃなくなった……」
「倒れたあと、あ、この先から私が意識を取り戻すまでの話は、ナナカ達に聞いた話なんだけど」
「先生がすぐに救急車を呼んで、病院まで運ばれた。近くにある、小さな病院。でも、そこじゃ手に負えなかったんだって」
「そんなに、重症だったの?」
「うん。そのときは、お医者さんも、先生達も、みんな熱中症だと思ってた。でも、違った」
「そのあと大きな大学病院に運ばれて、点滴を打ってたときに、目が覚めたの。側にはサキがいて。本当にそれまでの記憶がなくて、あぁ、倒れたんだな、って思った」
「目が覚めたから、精密検査をしましょうって言われて。でも、私は元気だった。全然動けたの。だから、なんで?って聞いたら、高熱が、下がらないって。しかも、自分では気づいてなかったけど、右足、すごい紫色になってて」
「なんだろうって思って、触った。そしたら、感覚がなかった」
「それって……壊死?」
カイは恐る恐る聞いた。
マヤは、優しく頷いて、右足を見せた。
「ほら。ここ、色が違うでしょ?」
「……切除、した?」
「それしか、方法がなかった。壊死をそのままにしてたら、私、今頃死んでるよ」
そう言ってマヤは笑う。
カイは本気で心配した。
「ピアノのペダル、踏めるの?」
「ぜんっぜん踏める! なんせ、もう義足は六年目だからね」
「……そっか。なんか、遮っちゃってごめん」
「ううん、大丈夫」
「それで、精密検査した。そのときの私は、もうそりゃ、機械に興味津々で……そのおかげか、精密検査、すぐ終わった」
カイはくすっと笑う。
「あ、バカにした?」
「してないしてない!」
「精密検査の結果は、まぁ、言ってもいいんだけど」
「……言いたくなかったら、言わなくてもいいよ」
「聞きたい?」
マヤの純粋な質問に、カイは少し戸惑う。
「……できれば」
「……悪性関節リウマチ」
頭のいいカイは、その病気を知っていた。
悪性関節リウマチは、難病指定されている病気だ。
患者数は約四千人ほどしかおらず、生存率も低いわけではない。
だが、場合によっては死に至る病気だった。
「え、それ……って、難病……」
「うん、難病。でも、私は今、ここにいるから」
マヤは小学四年生で悪性関節リウマチになり、入院して何度も治療と手術を重ね、復帰した。
小学校には行けなくても、憧れの中学校に通いたいという意思は変わらなかった。
あの時、誰も気づかなかった難病。
マヤは熱中症で倒れたのではなく、走っている最中に悪化していた関節の筋肉が動かなくなり、意識を失ったのだ。
マヤは、病気と向き合った。
自分なりに中学校に向けての勉強もした。
それでも、病気というものは、味方をしてくれることはないのだろうか。
マヤは、その病気を問い詰めた。
来週は、修学旅行がある。
初めて飛行機に乗るということもあり、マヤはテンションが上がっていた。
スーツケースも、どんどん荷物が詰まってずっしりとしていた。
「スーツケース、ちっちゃすぎたかな」
「ま、大丈夫。お土産入らなかったら手持ちで帰ってくるよ」
アコとマヤは笑いあった。
「足、気をつけるんだよ」
「うん。心配しすぎ」
「こういうのは、心配できるときにしておくもの」
「……そうだね」
マヤは家族と学校の先生達以外に、病気のことを伝えていなかった。
ほかに知っているのは、ナナカとカイと、サキくらいだ。
ナナカには病気ということは伝えているが、難病という事実は言っていなかった。
迷惑をかけたくない。マヤはナナカの為を思って配慮していた。
サキには、全てを打ち明けた。
唯一、なんでも話せた。そう、なんでも、話せた。
今は、話せなくなってしまったけれど。
「カイ、お父さんったら、帰ってくるってよ!」
「え? 海外赴任は?」
「なんかねぇ、あっちで災害があったらしいんだわ」
「お父さんは、大丈夫なん?」
「大丈夫らしいで。でも、マヤちゃんのとこのお父さんが……」
「なんかあったんか?」
「……行方不明らしい」
「え?」
「でも、多分、ビルの屋上にいるって。一緒にいた同僚が先に助けられて、取り残されちゃったんだとさ」
「え、大丈夫……なわけないよね」
「お母さん!」
「ユイ、どうした?」
「アコさんとこの旦那さん、生きてる! でも、場所が、助けられないって」
「助けられない? どういうこと?」
「ビルの屋上にあるヘリポートにいるんだけど、周りが下からの火でおおわれるって。だから、今助けると、危険かもって」
「はぁ!? そんなん気にしちゃアカンやろ!救助隊の仕事はなんだって!?」
「お母さん、落ち着いてや」
「お母さん、アコさんに電話してくる。お前達は、そこで待っとき!」
「あっ……行っちゃったか」
「カイ、私らは、祈るしかない。アコさん達が幸せに、再会できるように、祈るしかないんや」
「お姉ちゃん……」
「お母さんは、強い。アコさんも、強い。もちろん、マヤちゃんも、強いんや。私らが、それに負けてどうする!」
「……そうやな。へこたれてる場合やない」
二人は、静かに天に向かって手を合わせたのだった。
悪性関節リウマチに関しては、事前に調べてから書いております。




