第三十五話
マヤが今見ている光景は、とても神秘的で、壮大なものだった。
明らかに、お偉いさんが住んでいるような、ただならぬ雰囲気を感じていたのだ。
「……すごい……」
「まぁでも、管理してるのは親父だから」
「そう……なんだ……」
「バレたらまずいから、静かにね」
「うん……」
トウマが暮らしいているというそのお屋敷は、誰が見ても、立派と思うほどだった。
それもそのはず、トウマの父は、かの有名な音楽家なのだ。
しかし、名前は偽名であるため、誰も本名を知らない。
それだからか、トウマが有名な父親の子だという事実は、あまり知られていなかった。
「よし、もう大丈夫。ここには親父も、入ってこないから」
マヤが通された部屋には、畳が敷かれ、障子の奥には、手入れされた庭園が広がっていた。
本当に来てしまって良かったのだろうかと、マヤは心配になる。
「……この前の、続き」
トウマはそう言い出すと、マヤの手を握った。
「中学の時に、宇美床を初めて見た。すごい綺麗で、俺、そん時から惚れてた……浜代がいるのは分かってる。だけど、好きになっちゃったから……」
マヤは、恥ずかしさの余り、顔を俯かせている。
途中まで話したところで、トウマは、マヤを優しく抱きしめていた。
「えっ…………」
驚いて、マヤは目を丸くする。
「……返事、欲しいな」
「ごめん……嬉しいけど、波田くんは、友達としか、見られなくて」
「そっか……じゃあ、これからは、トウマって呼んでくれる?」
「……分かった」
マヤは、いつになったら離れてくれるのだろうと、戸惑っていた。
マヤが戸惑っている中、トウマは悔しがっていた。
つい、マヤを抱きしめる力が強くなる。
「ねぇ……そろそろ、離して?」
「……浜代の、どこが好きなの」
トウマは、さっきよりも暗いトーンで、マヤに問いかけた。
「どこって……言われても」
「俺じゃだめ? なんで、浜代を選ぶのか、教えてほしい」
マヤは、余計な行動をしたくはなかった。
本当にこの人が、自分を思って問いかけているのか、マヤには分からなかった。
カイにまで、影響を及ぼしたくない。マヤは、そう思っていた。
「……私の、心の支えになってくれたから」
「……それだけ?」
「うん。カイと手を繋いだ時は、ドキドキした。だけど、今は、トウマに抱きしめられてるのに、ドキドキしない」
マヤがそう言い放つと、トウマは、マヤから離れた。
「……つまんね」
そう、マヤに聞こえない声で、トウマは愚痴をこぼしたのだった。
「ほーらね、女たらしだったでしょ」
「まぁ……あんな簡単に、抱きつかれるとは」
「波田って、いろんな女家に連れてってるよな。父親の噂が流れたのも、波田の家行った女子らしい」
「……クズだなぁ」
「カイがいなかったら、普通に付き合おうと、してたかもしれん」
「は? マヤ……騙されやすいのどうにかして……」
実際、ドキドキはしなかったものの、心のどこかで、期待してしまう自分がいた。
カイに会えない中で、心の拠り所は、ナナカやユウマしか、いなかったからだ。
二人にも気を遣っていたせいか、マヤの悩みは、積もりに積もっていた。
「スッキリはしたけど、もうやだ」
「だろうね」
ユウマが言う通り、トウマは毎日のように、女子を家に上げていた。
ある日、父に見つかってしまい、その時にいた女子が、噂を広めたという。
「トウマのお父さんって、顔知られてなかったんじゃないの?」
「そいつ、コンサート観に行ってたらしくて。どっかで見た顔だと思ったら、その音楽家だったって」
「……すごい偶然だね」
マヤは、今になって、同じクラスにとんでもない爆弾がいる事を知った。
きっと、学年中の女子達が巻き込まれているのだろうと、マヤは共感していた。
「それより、二人とも。大学どこ行く?」
「俺は南大狙ってるけど……先は見えてない」
「マヤは?」
「……まだ、何も考えてなかったりする」
「まぁ、今は平気だよ。なんとなく知っておけば、タメになる」
「そういうナナカは?」
「私は、就職する。ミホちゃんだけに働かせるわけには、いかないから」
「ナーちゃん、ほんと行動力ある」
「マヤはさ、音楽の学校行ったら? ピアノの才能、活かしてみるとか」
「……それ、いいかも」
三人は、それぞれの道を、見つけようとしていた。
対するカイは、一冊目を出版した後、『高校生作家』として注目を集めた。
まだ学生のため、顔を公表することはなかったし、偽名で活動しているため、同級生に知られる事もなかった。
実際、カイが小説家として本を書いている事を知っているのは、家族とユウマ、ナナカくらいなのだ。
「カイ、そろそろ進路……考えた?」
ユイは、ユミコからお願いされ、カイの進路について聞く事になっていた。
「俺、小説の世界で、やっていけるんかな」
カイは、作家の道を、選択したのだった。
「大丈夫や。これから上手く行かない時があったとしても、カイの周りには、支えてくれる人がたくさん、おる」
「……支えて、くれる人?」
「そう。私だって、カイに協力したいし。……今は会えないけど、マヤちゃん達もおるやろ?」
「……俺、一人暮らし、しようかな」
「……ど、どないして?」
「早く、マヤ達に会いたい……不足してる」
「せやけど、まだ高校生やで。私だって実家にいるのに、一人暮らしなんか、できるん?」
「……高校卒業したら、神奈川戻る。家族ごと戻れんくても、俺だけ戻る」
「……ま、ええんちゃう?」
ユイは、カイの意見を尊重したかった。
無理矢理、姉としての威厳を見せるより、弟の思いを聞いた方が、姉らしいと思ったのだ。
それは、ユイにとっての、姉らしさだった。
カイは、早めに神奈川県に戻れたとしても、すぐにはマヤ達に会わないつもりでいた。
約束を破る事は、禁じ手だと、カイは思っていた。
五年後と言ったからには、きっちり五年後に、顔を見せたかったのだ。
それまでの間は、辛抱強く、三人の時間を待ちたいと、カイは思った。
「これも、成長するための、手段……夢、絶対叶えたるからな」




