第二十八話
「……カイ、行くで」
「うん……」
浜代家はその日、大阪へと戻る事になっていた。
カイはなかなか足が進まず、その横で姉のユイに、見守られていた。
ユイは、カイに唯一、共感できる家族だったのだ。
仕事の都合上、仕方がないと言えど、嫌なものは嫌である。
それでも行かなくてはいけないのは、自分たちの生活のためだった。
親がいなければ、生活していけない。
これが、まだ子供である、カイの運命だった。
そう言う意味では、もう一人暮らしをする事が出来るユイに、少し憧れていた。
大阪へと戻ったところで、大きな何かが変わるわけではない。それは、カイにも分かっていた。
だからこそ、寂しくなり、恋しくなるのだ。と、カイは思う。
「大阪着いたら、なんか美味しいもんでも食べよ。な、カイ」
「……俺、高校行けるんやろか」
「……なんでそう思うん?」
「中学で馴染めるかどうかも分からんのに……やって、前はユウマがいた」
「大丈夫や。中学が終わったら、みんな別々のとこ行くやろ? 前よりも、選択肢が、広がったと思えばええんや」
「……なんか、ごめん。急に変なこと言い出したな」
「ええんよ。ユイやって、最初っからうまく行ったわけちゃう」
「うん。私も初めは悩んで悩みまくってたんよ。下手したら、カイよりも勉強出来へんかった」
「それは嘘やろ」
「ほんまやて!」
カイは、ユイには敵わないと思っていた。
なんでも出来てしまう姉が、昔は頭が良くなかった。そんなの、あり得るはずがないと、カイは思った。
もし、ユイみたいに、頭の良い学校に行けるのだとしたら。
カイは、立ち直って、また一から考え直そうと、思っていた。
マヤは、だんだん夢から遠のいていた。
モカの声も、顔も、見えなくなり始めている。
これは、もうすぐ死ぬというサインなのか。それとも、目が覚めるサインなのか。
マヤには、分からなかった。
今考えてみると、あの時、サキもこんな気持ちだったのだろうか、と思う。
どこか、期待している自分がいた。
いつか病気は完治して、幸せに生きる事ができる。
そんな自分を、マヤは夢見ていたのだ。
「……サキに……会いたい」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。
マヤは、サキに会いたいと思ってしまっていた。
それはつまり、死に縋っているようなものだったのだ。
マヤは、それが、いけない事であると、分かっている。
それほど、サキが恋しく、思い出深い人物なのだった。
「…………ここ、どこ」
「……マヤ!?」
虚無空間を辿っていく内に、マヤは、眠りから覚めていた。
横には、マヤに抱きついているナナカと、モカがいた。
「……モカちゃん」
「なあに?」
「……サキ、幸せそうだった?」
「…………全てが、そうには見えなかった。だけど、サキが望んだ事は、全部叶った。……マヤちゃんにも、分かるでしょ?」
「……うん。ありがとう」
サキが死ぬまで、望み続けていた事は。
マヤが、リウマチという病気の中から抜け出して、幸せになる事だった。
サキは、自分の幸せより、大切な人の、幸せを願い、望み続けたのだ。
「サキ。守ってくれて、ありがとう」
マヤは、心から、サキに感謝を述べた。
治療が辛くても、何度発作が起きようが、マヤには、サキという存在がいた。
この世に実態がなかろうが、マヤにとって、サキは心の中で生き続けている。
それは、モカも、ナナカも、同じだった。
ユウマが、マヤの目覚めの報告を受けたのは、受験勉強に励んでいた時だった。
偏差値もだいぶ上がり、あと一歩、というところで、ユウマは様々な壁にぶつかった。
嬉しかった事も、もちろんあったように思う。
けれど、それを上回ってしまうくらい、ユウマにとっては、悲しく、寂しい事もあったのだ。
「はぁ……全く、なんでカイは、こういう時にいないんだか」
マヤが目覚めた頃、カイは既に、大阪にいた。
ナナカからユウマに、ユウマからカイに、マヤの情報は渡っていた。
ユウマが、カイにマヤの事を連絡した後、直ぐに電話がかかってきた。
「……はい」
「ほんまか。ほんまなんか?」
「逆になんで嘘つく? 俺がそんなやつに見えたか」
「いや、見えてない。ただ、疑っただけや」
「疑ったのかよ……」
「ほんで、マヤの声は聞けたか? 笑ってた? 大丈夫やった!?」
カイの声は、言葉を重ねるごとに声量も増していく。
「……心配しすぎ。ナナカが、マヤはもう大丈夫だって」
それを宥めるかのように、ユウマは食い気味に言葉を被せた。
「……そうか。俺、さっそく高校絞り出した。偏差値合わせて、お姉ちゃんにも手伝ってもらったんやけど……まぁ、まずまずって感じ」
「やっぱり、カイには物足りないか」
「いや、結構追い詰められっぱなし。ただ、頭の良いとこに行きたいわけでもない。俺の将来は小説家や。言語を専攻してるとこに行った方が、ええんかと思った」
「なんで言語? 国語の理解力高めなきゃだめなんじゃ……」
「……まぁ。それもある。だがしかし、俺は、国語が得意なんや。別に自慢やない。だから、他の言語に、手出してみたくなった。それだけ」
やっぱりこの人は、どこか余裕がある。ユウマは、そう思っていた。
「何語? ロシア語とか?」
「うーん……そこら辺は、後々考える。やから、五年後、期待してええよ。絶対、芥川賞取ったるからな!」
「あ、芥川賞……」
なんでこの人はすぐ、ハードルを高くしてしまうのだろう、とユウマは思う。
でも、そんなところが、ユウマがカイを、尊敬するところでもあった。
「もし取れへんかったら、思いっきりぶん殴ってええよ。そしたら、また、やる気出る」
「いや……遠慮しとく。カイにそんなことしたら、倍どころじゃない数で帰ってきそう」
「……そうか? ま、見とけよ。マヤもナナカも、腰抜かすくらいびっくりさせたる……」
「俺は、カイのサポートするから」
「ほんまか?」
「出来ることあったら、相談でもなんでも……受験終わりなら、聞ける」
「……ありがと。俺の友達は、ユウマくらいしかおらん」
「友達? ……親友だろ」
「……友達と親友の、境目ってなんや」
「知らない。だけど、親友の方がなんか……仲深めてる感が、ある」
「じゃ、俺とユウマは親友」
「うん、親友」
マヤが、モカ達と女子会をしている頃、カイとユウマは、より、仲を深めていた。




