第二十話
「やっぱり、ちゃんと言った方がいいかな」
「うん……その、カイくんって子も、マヤのことを心配してるんだよ、きっと」
「それは、分かってるけど……」
心地よい風が病室を行き交う中、ヨウスケはすっかり元気になっていた。
明日には退院出来ると言われ、マヤは足早に駆けつけたのだ。
ヨウスケが退院した後には、入れ替わりでマヤが入院することになっている。
退院の準備を手伝いながら、マヤはヨウスケに悩み相談をしていた。
マヤは、カイのことが好きだった。
告白されたときから、ずっと断ってしまった事を引きずっていたのだ。
「はぁ……なんて事をしてしまったのか」
「大丈夫、カイくんは許してくれるよ」
「私の事、嫌いになってないかな」
「一度好きになったら、嫌いになるのは簡単な事じゃないんだよ」
「……そうなの?」
「お父さんは、アコさんと結婚して、マヤが生まれてからの間、夫婦喧嘩をしたことがない」
「確かに、喧嘩できなさそう」
「でもね、付き合ってたときに、大喧嘩をしたことがある」
「でも、嫌いにはなれなかった?」
「うーん……一時的にだけど、もう顔を見たくないって程になった。だけど、やっぱりこの人しかいないって、この人にしかない、魅力があるんだと思った」
「だから、別れなかったの?」
「そうだね。今なら、アコさんに釣り合う人は僕しかいないって言えるかな」
「いいなぁ……なんか、羨ましい」
「マヤも、できるよ」
「正直言って、夫婦の秘訣なんてものはないと思う。僕とアコさんは、ただ、普段通りに生活してるだけだから……離婚しちゃう夫婦は、相性が良くなかったと思うしかないよ、多分ね」
「……やっぱり、言うことにする」
「ちゃんと、カイに本当の気持ち、伝えてくるよ」
「頑張って、マヤなら大丈夫だから」
「本当に……すみません」
「なんでアコさんが謝るん? それはこっちのセリフやて」
「いえ、私がミスをしてしまったので……」
「それはそうやけど……アコさんに全ての責任があるわけやないから」
「気にしすぎたらアカンで」
「はい……ありがとうございます」
「そろそろイヤミ課長来るか……またなんか言われたら、こっちに回してな」
「本当にお世話になります……」
アコの精神は崩れかけていた。
ヨウスケが退院しても、入れ替わりでマヤが入院する。
そして自らも仕事でミスをしてしまったアコは、追い詰められていた。
『あの人はね、悪いやつなんだよなぁ。倒産するのをいいことに、会社を自分のものにしようとしてるよ』
アコには到底信じられなかった課長の言葉を思い出す。
「そんなわけ……ないよね」
ユミコはアコの心身を支えてくれていた。そんな人を、裏切ることは出来ないとアコは思った。
「アコさん? ほんまに大丈夫?」
「え、あ、はい……」
「最近色々大変やと思う……いつでも頼ってくれてええからな」
「私……怖いんです」
「マヤはこれから手術があります。夫が退院して、安心したのもつかの間……こんなに家族が災難な目にあって、私も仕事でミス……もう、全てが怖いです。壊れそうなんです、家庭が……」
「……こういうのは、共感するべきなのか分からへんけど、少なくとも私には分かるで」
「誰にも言っとらんかった事がある。この際だから、言ってしまうけど……」
「私、大阪に帰らなあかんのや」
「……え!?」
「これ、マヤちゃんには言わんといてほしい。カイも気にしてたし、ずっとあっちにいるわけやないから……」
「でも……しばらくは会えないんですか?」
「そうやなぁ……少なくとも五年くらいは」
「その、理由っていうのは……」
「単純明快や、旦那の仕事」
「なるほど……」
「単身赴任で行けって言ったんやけど、会社の許可が下りなかったと。全く、弱々しいやつやねぇ」
「結構、長いですね」
「まぁ……里帰りも兼ねてな。だから、次会うのは子供たちが大人になってから……」
「はぁ……寂しいです。職場も、探さなきゃいけないし……」
「あの会社は早く退職した方がええよ。誘った私が言うことやないけど……」
「私、頑張ります。夫もこれからは側にいてくれるし、ユミコさんのパワーを遠くからでも感じてますから!」
「おぉぉ……その元気があれば、やっていけそうやね」
「はい。いつでも駆けつけます。マヤも会いたがると思うんで……」
「ほんとに急な話でごめんなぁ……大阪行くのは来月やから、それまでだったらいくらでも話聞くで」
「あの……卒業式って、どうするんですか?」
「あぁ……実はな、めんどくさいことになっとんねん」
「私はな、あっちの学校に転校して卒業すればええって言ったんやけど」
「カイがどうしてもって言うから……在校したまま、越すことになったんや」
「ど、どういうこと……?」
「つまり、卒業式はこっちで出席するんや。勉強は、ま、あの子やから平気やろ」
「確かに……カイくんなら勉強の心配はなさそうですね」
「とりあえず……高校も考え直さなあかんし、こっちもこっちで頑張るわ」
「はい。応援してます」
「じゃ、また明日。また話聞くで」
「ありがとうございます」
「は? え? は?」
「これほんっとに、マヤには言わんといて」
「え、無理。俺には無理だわ、それ」
「なんでや! 俺はユウマの事信用してるから」
「いや、しない方が……」
「ねぇ……それほんとなの?」
「うわっ、ナナカか……びっくりした」
「カイ、引っ越すの?」
「引っ越すっていうか……戻ってくるから家はそのままだけど、あっちに仮住まいみたいな……」
「はー、意味わかんない……マヤに言わないの?」
「うん……言わん方がいい気がした」
「さらに意味わかんないけど……」
「お前、またマヤに隠し事すんの? 二人揃って仲良しだな……」
「隠し事カップルじゃん」
「やめろし……」
「ほんとにいいの? 言わなくて」
「だって……変な心配されたないし、別にこっち帰ってくるし……」
「五年後とかいつだよ!」
「五年後は五年後だよ」
「逆にさ、言わない方が心配かけるんじゃない?」
「そう……なんかなぁ」
「ま、あと一ヶ月あるんだから、考えときなよ」
「……あ」
「マヤ、入院しちゃうから言えない……」
「いや、大丈夫。合唱コンがある!」
「そうだそうだ。まだチャンスは残ってる」
「はぁぁ……ほんまにどうすればええんや」
「私たちは口出ししない。てか出来ないし。言えるのはカイしかいないんだから、じっくり考え直してみなよ」
「せやな……ありがとう」
「おう!」
「いやお前じゃない」
「違った……」
カイは考え尽くしていた。
考えて考えた結果が、言わないという選択肢だったのだ。
しかし今になって、ナナカの言葉が思いを揺るがせていた。
言わないで後悔するより、言って後悔した方がいいのではないか、そう思った。
五年後に帰ってくるとはいえ、その時はもうみんな大人に近づいているのだ。
カイは、高校進学よりも悩む事を見つけてしまった。
「じっくり考え直す……か」




