第一話 まだ、三匹じゃなかった。
四月。
桜の花びらが、校門から続く坂道をゆっくり転がっていた。
市立青葉中学校。
二年生になった藤原蓮は、昇降口の前で新しいクラス名簿を眺めていた。
「……二年三組か」
去年と同じような教室。
同じような机。
同じような先生。
けれど、クラス替えだけは少し違う。
蓮は名簿を指で追いながら、自分の名前の近くにある名前を見つけた。
「木村樹……」
小さく呟く。
知っている。
サッカー部で、いつも朝早く学校に来ているやつだ。
真面目で、先生に頼まれたことは絶対に断らない。
「うわー。隣のクラスじゃなくてよかった」
冗談半分に呟いたところで、背後から声がした。
「それ、本人に聞かれたら怒られるぞ」
「うわっ!」
振り返ると、そこに木村樹が立っていた。
「聞いてた?」
「全部」
「最悪……」
「別に怒ってないけど」
樹はそう言って、名簿を覗き込む。
「藤原蓮……お前も三組か」
「よろしくな、木村」
「こちらこそ」
握手でもするのかと思ったが、樹はそのまま教室へ向かって歩いていった。
「……ノリ悪いなあ」
蓮は笑いながら、その背中を追った。
教室の窓からは、校庭が見えた。
新しいクラス。
新しい席。
新しい一年。
その中に、もう一人。
石田岳がいた。
教室の一番後ろ。
窓際の席。
岳は誰とも話さず、一冊の文庫本を読んでいた。
「なあ、木村」
「何?」
「あいつ、去年もあんな感じだった?」
「石田?」
「うん」
「まあ……いつも一人だったな」
「友達いないのかな」
「さあ」
樹はそれ以上興味を示さなかった。
蓮は少しだけ岳を見た。
岳は本から顔を上げない。
その横顔は、同じ十四歳とは思えないほど大人びて見えた。
――このときの蓮は知らなかった。
これから一年間。
自分と樹と岳が、何度も同じ場所に集まることになるなんて。
三人で笑うことになるなんて。
そして、一度は離れてしまうことになるなんて。
もちろん。
この時点では、三人ともまだ知らない。
自分たちが、
「三匹のこぶた」
になることさえ。
* * *
放課後。
蓮は教室に残っていた。
「……帰るか」
部活に行く樹は、すでに教室を出ている。
ほとんどの生徒も帰った。
窓の外では、桜の花びらが風に舞っている。
蓮は鞄を肩にかけ、廊下へ出た。
そのときだった。
「あれ?」
廊下の向こうから、岳が歩いてきた。
手には、古い鍵がある。
「石田?」
岳が立ち止まる。
「何?」
「それ、何の鍵?」
「知らない」
「知らないって……」
「先生に頼まれた」
岳は鍵を見せた。
「旧音楽室の鍵」
「旧音楽室?」
「昔使われていた音楽室。今は物置になってる」
「へえ」
蓮の目が輝いた。
「面白そうじゃん」
「何が?」
「行ってみようぜ」
「嫌だ」
「即答かよ」
「用事があるから」
「何の?」
「本を読む」
「それ、家でもできるだろ」
「学校でもできる」
「屁理屈だなあ」
「事実」
蓮は笑った。
「じゃあ、俺も行く」
「なんで?」
「暇だから」
「僕には関係ない」
「俺にはある」
「どういう理屈?」
「俺が行きたいから」
岳はしばらく蓮を見た。
そして、小さくため息をついた。
「……勝手にすれば」
「よっしゃ」
二人は並んで歩き始めた。
旧音楽室は、校舎の端にあった。
普段は誰も近づかない。
扉の前で岳が鍵を差し込む。
カチャリ。
扉が開いた。
中から、古い木の匂いがした。
使われなくなった机。
壊れた譜面台。
埃をかぶった楽器。
壁には、何年も前の合唱コンクールの写真。
「うわ……」
蓮が声を漏らした。
「なんか秘密基地みたいだな」
「ただの物置」
「こういうところに宝物があるんだよ」
「ないと思う」
「夢がないなあ」
そのとき。
部屋の奥から、
ガタン。
と音がした。
「……今の何?」
蓮が振り返る。
岳も音のした方向を見る。
二人がゆっくり近づく。
古い棚の裏に、何かが落ちていた。
一枚の紙だった。
岳が拾い上げる。
「何これ」
蓮が横から覗き込む。
紙には、古い文字で一行だけ書かれていた。
――この学校で、本当に大切なものを三つ見つけろ。
「……何だこれ」
蓮が呟いた。
岳は黙って紙を見つめている。
「三つって、何だろうな」
「知らない」
「探してみようぜ」
「嫌だ」
「またそれ?」
そのとき。
廊下から足音が聞こえてきた。
「誰かいるの?」
聞き慣れた声。
扉が開く。
「……お前ら、何してんの?」
そこに立っていたのは、樹だった。
「木村!」
「藤原……」
樹は呆れた顔をした。
「部活終わって戻ってきたら、鞄が残ってたから」
蓮は紙を掲げる。
「なあ、これ見てくれよ」
「何?」
樹が紙を見る。
しばらく沈黙。
「……三つ?」
「そう」
「何のことだ?」
「それを今から探すんだよ」
「誰が?」
「俺たち三人」
樹が眉をひそめた。
「勝手に決めるなよ」
「いいじゃん」
「よくない」
「でも、ちょっと面白そうだろ?」
樹は答えなかった。
岳も黙っている。
窓の外で、春の風が吹いた。
古いカーテンが、ふわりと膨らむ。
そして三人の足元に、桜の花びらが一枚落ちた。
蓮はそれを拾い上げる。
「なあ」
「何?」
「俺たち、三人いるじゃん」
「だから?」
「三つ探すんだろ?」
「……それが?」
「なんか運命っぽくない?」
「くだらない」
岳が言った。
樹も苦笑する。
「藤原らしいな」
「なんだよ、その言い方」
三人は笑った。
まだ、三人で遊ぶこともない。
休日に連絡を取ることもない。
互いの悩みなんて、何一つ知らない。
それでも。
この日から、三人の放課後は少しずつ変わり始めた。
春の風は、まだ優しかった。
けれど――
いつか、この三人の前にも強い風が吹く。
その風に立ち向かうために。
三人はこれから、一つずつ「家」を作っていく。
わらで。
木で。
そして、レンガで。
まだ誰も知らない。
この一年が、
三人にとって、忘れられない青春になることを。




