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星渡る揺り籠 ―辺境星域開拓記―  作者: ハノン
第一章 宇宙漂流編

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第48話 - 降下準備

「外殻接触個体、全目標の反応消失を確認しました」


 クレイの報告がブリッジに響いた。しかし、それを聞いて歓声を上げる者は誰もいない。


 高速で回転を続けるクレイドルは、今なお自らの質量に振り回されている。各所に加わる加速度は船体構造へ負荷を掛け続け、立体映像には赤や黄色の警告表示が幾つも浮かんでいた。


「右舷外殻、第八区画で剥離拡大!」


「船尾側フレーム、応力上昇。基準値の百四十八パーセント!」


「左舷第二補助区画、隔壁閉鎖を確認!」


 管制員たちの報告が次々と飛び交う。船体の奥から、低く長い軋みが伝わってきた。


 実際に聞こえているのか。それとも、立体映像上で増え続ける損傷表示が、そう錯覚させているだけなのか。今の私には、その区別すらつかなかった。


『右舷側のエネルギー異常流出、止まりました』


 立体映像の一角に、ベルの姿が現れる。その周囲にはクレイドルの船体構造図が展開され、右舷側を覆っていた赤い表示が、上流から順に黄色へと変わっていく。


『姿勢制御系へのエネルギー供給も復帰しています。第三から第五系統、現在の流量なら制動に使用可能です』


「第三から第五系統、供給流量正常。右舷姿勢制御スラスター、使用可能!」


 航法管制からの報告を受け、クロムは即座に片手を上げた。


「全姿勢制御系、回転制動へ移行。現在角速度を基準に、逆方向スラスターを順次噴射。各区画は負荷監視を継続しろ」


「了解。回転制動へ移行します!」


「逆方向スラスター、同期完了!」


 クロムの前にクレイドルを示す立体模型が浮かび上がる。船体を取り囲む数値が目まぐるしく変動し、その傍らで回転軸を示す線が僅かに揺れていた。


「噴射開始」


 低い振動が床を伝った。


「第三から第五系統、噴射確認。推力正常!」


『船尾側の負荷、百五十六パーセントまで上昇しています』


「許容時間は」


『現在の上昇率なら、三十七秒です』


「十分だ。制動を継続」


 正面の観測窓を流れていたテロスの大地が、少しずつ動きを緩め始める。


 青い海。白い雲。緑に覆われた大陸。何度も視界を横切っていたそれらが、次第に一つの位置へ収まり始めた。


「角速度、低下中!」


「回転軸、安定!」


「基準姿勢への復帰を開始します!」


 クロムは立体映像上の数値を追いながら、細かな噴射量を調整していく。


「姿勢偏差、三・二……二・一……一・四!」


 傾いていたテロスの地平線が、ゆっくりと水平へ戻っていく。


 誰も、その光景を眺めてはいなかった。


 管制員たちは端末へ向かい、刻一刻と変化する数値を追い続けている。ベルの周囲では船体構造図が幾度も切り替わり、クロムは複数の立体映像へ視線を走らせていた。


「角速度、〇・〇三以下!」


「最終制動。逆噴射停止」


 一瞬遅れて、床を伝っていた振動が消えた。


「船体回転、停止」


「姿勢偏差、許容範囲内です!」


 クロムは息を吐くこともなく、次の指示を出した。


「軌道を再確認。突入地点を再計算しろ。航法管制は現在速度と大気圏突入角を照合。ベル、船体構造の再評価を頼む」


『既に始めています』


 ベルの返答と同時に、立体映像上のクレイドルが無数の区画へ細分化されていく。


『ですが、現時点で十二箇所が構造限界を超過。二十九箇所で進行性の損傷を確認しています。あまり良い結果は期待しないでください』


「……分かっている」


 クロムは短く答えた。


 正面の観測窓には再び、テロスの雄大な姿が広がっていた。私は、その姿を見つめる。戦いは終わった。だが、ブリッジに安堵の空気はなかった。


「右舷第十二区画、応力値低下!」


「エネルギー供給経路、第三副経路へ切り替えます!」


「船首側観測系、一部応答なし!」


『その系統は切り離してください。復旧を試みるより、現在は供給負荷を下げるべきです』


「了解!」


 短い報告と指示が、途切れることなく飛び交っている。損傷箇所の確認。残存設備の状態把握。乱れたエネルギー供給系統の再構成。


 戦闘が終わったからといって、クレイドルの危機まで去ったわけではない。


 むしろ今は、戦いの最中に後回しにしていた問題が、一斉に表面へ噴き出しているように見えた。


 私は視線を巡らせる。


 クロムは航法管制と短い言葉を交わしながら、再計算された軌道情報を確認している。ベルの姿は立体映像の中を忙しなく移動し、次々と異なる船体区画の情報を展開していた。


「艦長」


 艦長席に腰を下ろした私に、クロムが声を掛けてくる。彼の肩にはベルが乗っている。相変わらず、無駄に投影技術が高いAIだった。


 クロムは私へと視線を向けながら、端末を操作する。中央の立体映像が入れ替わり、テロスを中心とした軌道図が映し出される。


 その上には、クレイドルの現在位置から地表へ向かって伸びる二本の軌道線が表示されていた。


「降下軌道の再計算が完了しました」


『残存推力、船体損傷による質量変動、現在の大気抵抗予測を含め、照合済みですよ!』


 クロムに続き、ベルが告げる。


 その間にも、ブリッジでは損傷報告や復旧指示が絶えず飛び交っていた。だが、クロムはそれらを背に、正面の軌道図へ視線を向けている。


「それで……どうなった?」


「順を追って説明します」


 クロムが片手を動かす。複数の軌道表示が整理され、その中から一本の軌道線が強調された。


「こちらが当初の降下計画です」


 軌道線はテロスの外周を緩やかに回り込みながら高度を落とし、大気圏へ浅い角度で進入。その後も長い弧を描きながら、地表の一点へ伸びている。


「本来であれば、三十二分前には第一減速を開始していました。高度を維持しながら速度を落とし、二度の軌道修正を経て、大気圏へ進入する予定でした」


「三十二分前……」


「はい。ですが、姿勢制御系の異常と外殻接触個体への対応により、第一減速を実施できませんでした」


 もう一本の軌道線が浮かび上がる。現在のクレイドルが進む軌道。二本の線は途中まで重なっていた。


 しかし、本来の軌道が緩やかにテロスの外周を回り込んでいるのに対し、現在の軌道はそこから大きく外れ、明らかに深い角度で大気圏へ向かっている。


「現在、予定高度を四百二十キロメートル下回っています。また、速度は計画値を秒速一・八キロメートル超過」


 その数値が何を意味するのかは分かる。促成教育によって与えられた知識が、現在の状況を正確に理解させていた。


 高度を失いすぎている。そして、速すぎる。


 だが、知識として理解することと、全長一キロメートルを超える船で実際にその状況へ陥ることは、まるで別の話だった。


 二本の軌道線を見れば、その差はより明白だった。


「……元の軌道には戻せないのか」


「不可能です」


 クロムは即答した。


「現在の高度から計画軌道へ復帰するには、一度降下を中断し、テロスの重力を振り切って再上昇する必要があります。現在の推進系に、その余力はありません」


『加えて、船尾構造の損傷も進行しています』


 ベルの周囲に、クレイドルの船体構造図が展開される。船尾側を中心に、幾つもの区画が赤く染まっていた。


『仮に推進系を軌道復帰に必要な出力で連続運転した場合、推進系より先に船尾側の構造体が限界へ達すると予測します』


「つまり……予定通りには降りられないというわけだな」


「はい」


 クロムが頷く。


「予定していた着陸地点にも到達できません」


 正面映像上に、当初の着陸予定地点を示す光点が表示された。現在の予測軌道からは、遥か彼方にある。


「減速開始が遅すぎました。既に高度を失いすぎています」


 クロムが現在の軌道を拡大する。


「今からできることは、残存する推力を減速へ集中させ、進入角と降下方向を修正することだけです」


「着陸は――」


 一瞬、クロムが沈黙した。


「――通常の着陸は不可能です」


 その言葉が、喧騒の続くブリッジへ落ちる。


「……墜落することになるのか?」


「いいえ」


 クロムは即座に否定する。


「墜落は回避できました。不時着を行います」


「……不時着ね」


 私は正面の軌道図へ視線を戻した。本来の降下軌道から大きく外れ、テロスへ深く落ち込んでいく一本の線。


「制御はできている。だから、墜落ではなく不時着……というわけか」


『その通りです!』


 クロムの肩に乗ったベルが、元気よく頷いた。


「だが、地表へ突っ込むことには変わりないんだろう?」


『制御されていますので!』


 ベルは胸を張って答えた。私はしばらく、その小さな姿を見つめる。


「……随分と便利な言葉だな」


『航空航宙用語とは、そのようなものですよ!』


 クロムが小さく咳払いをした。


「艦長。話を戻します」


「ああ、悪い」


「残存推力を全て減速へ集中させます。以降、推進系は着地まで連続運転となります」


『上手くいけば、接地速度も相当程度まで低下させられます!』


「どこまで落とせる?」


『現時点では算出できません』


 先ほどまでの勢いはどこへ行ったのか。ベルは真顔で即答した。


『大気圏突入によって、船体損傷がどこまで拡大するか予測できませんから! それに……使用可能な推進系も都度変動しますので』


「……やっぱり、突っ込むことには変わりないんじゃないか?」


『制御されています!』


「それはもう聞いた」


 むふーっと、息を吐いたベルは満足そうに頷いた。一体何に満足したのかは分からない。


 正面に浮かぶ二本の軌道線。本来進むはずだった、緩やかな軌道。そして、その途中から大きく外れ、テロスへ深く落ち込んでいく現在の軌道。


 僅か三十二分。その遅れが、私たちから通常着陸という選択肢を奪っていた。


「艦長」


 クロムが私を見る。


「不時着地点の選定に入ってもよろしいでしょうか」


「他の選択肢を考える時間も無いな……頼む」


「了解しました」


 クロムが正面へ向き直る。


「航法管制、地表走査結果を展開。海洋、山岳地帯、都市遺構を除外。現在軌道から到達可能な範囲で、不時着候補地点を選定しろ」


「了解!」


『地形データを共有します』


 ベルの周囲から幾つもの情報表示が広がり、正面のテロスへ重なっていく。


 墜落ではない。制御されているから、不時着。理屈は分かる。だが、正面に迫る巨大な惑星を見ている限り、その違いを実感できる気はしなかった。


 ふと、隣に控えるクレイを見た。いつもと変わらない表情で、複数の処理を続けている。彼女には艦内に点在する乗組員たちの避難誘導を任せていた。


「クレイ」


「はい、マスター」


「全艦の状況は?」


「各区画共に不時着に備えた退避を開始しています。順次、中央基幹区の耐衝撃区画へ収容中です」


「間に合うのか?」


「現時点では判断できません」


 随分と正直な答えだった。だが、直前まで戦闘中だったのだ。そのような答えになったとしても、仕方のないことなのかもしれない。


「……そうか」


「ですが、可能な限り間に合わせます」


「ああ。頼む」


「承知いたしました」


 クレイが再び避難誘導の処理へ戻る。正面映像には、テロスの地表情報が次々と展開されていた。


「第一候補、南方大陸西部。平原地帯」


『現在軌道からの修正量、基準値を超過。到達困難ですね! 除外!』


「第二候補、北方沿岸部」


『広域に都市遺構を確認していますので――除外!』


「第三候補――」


 何故かはわからないが、ベルが活き活きとした様子で、挙げられていく不時着候補を却下している。


 いくつかの候補地を却下したベルは、「次です! 次を出すのです!」などと言いながら、地表探査員を煽っている。この状況の何が彼女をそうさせているのか、見当もつかなかった。


 数分後、地表映像がある地域を映し出す。


 緑。見渡す限りの緑だった。大陸を覆う巨大な森林地帯。その中を幾筋もの河川が走り、遠方には緩やかな山地が連なっている。


「北方大陸、北緯十八度。広域森林地帯です」


「高低差は?」


「予測進入方向上、最大三百二十メートル」


『人工構造物の反応はありませんね。大型生物の集団反応も、現時点では確認できません』


 ベルの視線を受けたクロムが地形図を拡大する。森林地帯の一角へ、赤い楕円が表示された。


「現在軌道からの修正量は最小。進入方向上に大規模な山岳地帯もありません」


「……木はあるな。大量に」


「あります」


 クロムは真顔で答えた。


『森林ですからね!』


 何故かベルが自慢げに胸を張る。私は森林地帯に重ねられた赤い楕円を見た。他に選べる場所がないことは、聞くまでもなかった。


「分かった。そこへ降ろす」


「了解しました……不時着地点を第十一候補に決定する。航法管制、進入軌道を固定。全姿勢制御系を降下制御へ移行」


「進入軌道、固定! 姿勢制御系、降下制御へ移行します!」


『全艦へ不時着警報を発令します!』


 ベルがクロムの肩から消えた。直後、ブリッジの照明が赤へ変わり、腹の底へ響く警報音が艦内に鳴り始めた。

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