第05話 - クレイドルの航跡
艦長室を満たしていた銀河地図の一角が拡大され、人類の勢力圏を示す二つの色が浮かび上がった。
互いに接する境界線は複雑に入り組み、長い年月をかけて領域を奪い合った傷跡のように見える。
「この二つは?」
「当時の人類社会を二分していた勢力です」
『あ、今もこのままかはわかりませんよ! なんせ九百年前の星域図ですから』
クレイが片方の領域を指し示す。
「地球連邦政府を前身とする、人類統合連邦政府」
続いて、もう片方へ指先を滑らせた。
「そして、七つの巨大企業を中核として発足した統治企業連合体です」
「政府と企業が、人類の勢力圏を二分しているのか?」
『企業と申しましても、ちょっとした国家より遥かに大きいですけどねぇ』
ベルが銀河地図の中へ浮かび、二つの領域の間を泳ぐように移動する。
『星を開拓して、都市を造って、警備艦隊まで持っている。もう国家と何が違うのやら、という感じです』
「どうして、そんなことになった?」
問い掛けると、星域図が変化する。それは、クレイドルが建造される更に昔を示していた。
無数の恒星系が次々と開拓され、人類の勢力圏が急速に広がっていく。だが、その後を追うように設置される行政区画の表示は、次第に間隔が開いていった。
「恒星間航行技術の進歩により、開拓速度が政府の統治能力を上回ったためです」
クレイの説明に合わせ、統治を示す光が届かない星系が増えていく。やがて、その空白へ警告表示が浮かび上がった。
海賊被害。物流の停滞。治安の悪化。
「新たな恒星系を開拓した企業は、本来なら連邦政府が設置する自治政府の統治下で活動することになっていました」
「だが、その政府が間に合わなくなった、と」
「はい」
映像の中で、小型の警備艇が複数の武装船に包囲される。
企業は自ら警備組織を作り、船舶や施設を守ろうとした。しかし、簡易武装を施した船では増加する海賊へ対抗しきれない。
『そこで我がコールベル・インダストリアルが、主力艦を中核とする警備艦隊の編成を発表したわけです!』
「政府は認めたのか?」
『まさか! 企業が軍隊を持つなど許さん、と恫喝されましたよ』
「政府が守れないから自衛したのに、その自衛も許さないのか」
『まぁ、制御できない暴力装置はない方がいいということですね』
その後も、治安の悪化した星系で同様の動きが相次いだ。警備組織は次第に軍組織へと変わり、企業同士は協力して政治的空白地帯を管理し始める。
やがて七つの巨大企業を中心に、統治企業連合体が発足した。銀河地図の上で、二つの色が向かい合う。
「決定的な衝突には至りませんでしたが、両者は互いを警戒しながら勢力を拡大していきました」
『元は同じ人類ですからね』
「そんな二つの勢力が、どうして同じ移民船団を作ったんだ?」
「テロスが発見されたためです」
クレイが指を動かす。二つの勢力圏から遥かに離れた場所で、一つの恒星が光を放った。
トレーズ恒星系。その第四惑星として、先ほど見た青い星が現れる。
『人類の生存に適した地球型惑星! 未知の生態系! そして、未開発の資源を有する可能性が極めて高い星です!』
「統治企業連合体は、このトレーズ星系の開発を決定しました。ですが当然、統合連邦政府も黙ってはいません」
「どちらか一方が持てば、勢力の均衡が崩れるか」
「その通りです。トレーズは統治企業連合体の反対側。人類統合連邦を挟み込む位置にありますので」
長い交渉と情報戦の末、両勢力は共同で移民船団を編成することで合意した。銀河地図上に、無数の光点が集まり始める。
「最終的な参加艦艇は一万隻以上。移民、作業員、軍人を含めた総人口は十億人に達しました」
「十億……」
もはや船団ではない。一つの文明そのものが、銀河を移動しているような規模だった。
「第四十三次開拓移民船団の発足です。本艦が政府へ譲渡され、移民船へ改装されたのも、この時期になります」
『オーナーも最初は渋っていましたけどねぇ。提示された金額を見た瞬間、それはもう見事な手のひら返しでした!』
「その頃の君は、もうクレイドルに?」
『いましたよ。まだ無表情で、言われたことしかできない可愛らしいAIでしたけど』
「そうか。面影がないな」
『ひどい!』
ベルが胸を押さえて仰け反る。クレイはそのやり取りを無視し、銀河地図へ新たな航路を表示した。
「移民船団は複数の中継地点を経由しながら、トレーズ星系を目指しました」
航路の先には、ほとんど記録のない未踏査宙域が広がっている。補給拠点を設置し、量子転送網を延伸しながら進む計画だった。
だが、船団が進むにつれ、航路上では想定外の事故や資源不足が相次ぎ、補給拠点の建設も遅れていった。
「これほどの規模でも、計画通りには進まなかったのか」
『大きければ大きいほど、ちょっとした遅れが全体へ響きますからねぇ』
「船団内部では疲労と不満が蓄積し、量子転送ゲートの建設も遅れていました」
「じり貧だな」
『ええ。前にも後ろにも進みにくい状況でした』
銀河地図が消え、代わりにクレイドルの船体が映し出された。まだ傷一つなく、全てのエンジンを稼働させて船団と並ぶ、かつての姿。
その船尾で、赤い警告灯が点滅した。
「本艦の事故が発生したのは、その頃です」
次の瞬間、船尾で爆発が起きた。
六基のメインエンジンのうち二基が吹き飛び、周辺構造体が大きく歪む。衝撃によって商業街区の一部が船体から引き剥がされ、暗闇へと消えていった。
映像でしかないと分かっていても、思わず息を呑んだ。
事故によってクレイドルは航行能力の大半を失う。
船団司令部は修復を断念し、利用可能な設備と構造体を他艦へ移設することを決定した。
居住区から灯りが消え、発着場から艦艇が次々と飛び立つ。最後の一隻が離れた後、クレイドルだけが暗い宇宙へ取り残された。
「ですが、私に与えられた命令は解除されませんでした」
艦の現状を維持すること。そして、トレーズ星系への進路を維持すること。
「なぜ、放棄した船を進ませ続けた?」
「理由を示す記録は残されておりません」
映像の中で、傷ついたクレイドルが船団から離れていく。メインエンジンを失い、僅かな姿勢制御装置だけで軌道を修正しながら、それでもトレーズを目指し続ける。
外装は少しずつ剥がれ落ち、識別灯の灯りも一つ、また一つと消えていった。
「私は、損傷箇所を封鎖し、使用可能な部品を転用しながら、航路の修正を続けました」
クレイの声は、いつもと変わらず静かだった。
「どれくらいの間だ?」
分かっているはずなのに、聞かずにはいられなかった。
「およそ九百年です」
言葉が出なかった。
九百年。人が生きられる時間を遥かに超える年月を、この少女は誰もいない船で過ごしてきた。
誰に迎えられる保証もなく、命令の意味すら知らされないまま、ただ船を守り続けてきたのだ。
『そうして、我々はようやくトレーズ星系へ辿り着いたのでした。めでたし、めでたし~』
ベルがくるりと回って両手を広げる。その明るい声が、かえって九百年という時間の重さを際立たせた。
「めでたくはないだろう」
『そうですか? クレイドルは健在ですし管理官さんも残りました。そして今は、艦長さんもいます』
ベルはいつもの笑みを浮かべている。
『途中が少々大変だっただけで、結果としては悪くありませんよ』
「少々、で済ませるのか」
『長生きすると、物事を大きな単位で考えるようになるんです』
「ベルに同意するのは不本意ですが、我々は現在も存在しています」
クレイは静かに銀河地図を見上げた。
「先ほどのご質問へお答えします。現在地は、既に人類勢力圏から遠く離れています。中継基地を整備しながら進む計画でしたが、その大半は利用できません」
「引き返す手段はない」
「はい」
「なら、先に到達した移民船団と合流するしかないわけか」
『そうなりますねぇ。我々だけなら、到着しても廃棄船として解体されていたかもしれませんけど』
ベルがこちらへ身を寄せ、声を潜める。
『今は艦長さんの所有物ですから、勝手に処分される心配はありません』
「なるほど。だから私がいることにも意味があるのか」
『統合連邦政府の宇宙航海法は、こういう時には頼りになります。船はオンボロですけど、せめて私と管理官さんくらいは持っていっていただけると嬉しいですねぇ』
上目遣いで見つめられ、助けを求めるようにクレイへ目を向ける。だが、クレイは静かに視線を逸らした。
「……事情は理解した」
改めて、傷ついたクレイドルの立体映像を見上げる。
「だが、この船で本当にテロスへ辿り着けるのか?」
「その判断を行うには、マスターにも本艦の構造と航行技術を理解していただく必要があります」
「今から勉強しろと?」
「そのような非効率的な方法は採用いたしません」
クレイは端末を私のリングへ近づけた。淡い光が二つの端末を繋ぐ。
「それでは、ベル。後は任せました」
『お任せください!』
クレイの端末に映っていたベルが、光の筋を滑るように私のリングへ移動する。
「待て。何をするつもりだ?」
『まずは横になっていただきますねぇ』
言葉と同時に、椅子の背もたれが音を立てて倒れ始めた。
「お、おい!」
反射的に肘掛けを掴む。だが、指先に力が入らない。腕も足も、急速に感覚が鈍くなっていく。
横を見ると、クレイが深々と頭を下げていた。
「それでは、失礼いたします」
「待て、クレイ。一体何をした?」
『まあまあ。ナノマシンの最終調整も兼ねていますから、安心してください』
「全く安心できないんだが」
『艦長さんは、恒星間航行に関する知識をほとんどお持ちではないでしょう?』
ベルが端末上へ複数の項目を表示する。
『ですので、運航教練プログラムを受けていただきます』
「教練?」
『民間船舶基礎課程。貨物船運航課程。緊急時対応訓練……』
項目を確認していたベルの動きが止まった。
『おや。こちらは軍用ですねぇ』
「軍用?」
『まあ、いいでしょう。上位互換、上位互換♪』
「良くないだろう」
ベルは私の抗議を無視し、次々と項目を追加する。
『宇宙言語学。惑星学。宇宙航海法。船体構造学。機関工学。航法理論……』
「待て。全部やるつもりか?」
『選ぶのも面倒ですし、全部入れちゃいましょう!』
「入れる?」
『艦長さんの脳へ、実体験に近い形で記憶させるんです』
「そんなことができるのか?」
『最新科学ですから!』
ベルは胸を張った。
『まあ、九百年前の、ですけどね!』
不安しかない。
「それで、どうして体が動かない?」
『安全措置です。実体験として記憶させると、現実の身体まで反応する場合がありますので』
その言葉を聞いた直後、強烈な眠気が押し寄せてきた。瞼が急に重くなり、ベルの姿が淡い光の中へ滲んでいく。
「おい……待て。まだ説明が……」
『麻酔が効き始めましたねぇ』
ベルは気にも留めず、項目を選び続けている。
『恒星間航行概論。航宙艦戦術。艦隊指揮。航宙軍士官教本……ああ、これも必要そうですね』
「軍用は……いらん……」
困る。間違いなく困る。そう抗議しようとしたが、言葉はもう声にならなかった。
薄れゆく視界の向こうで、ベルが楽しそうに項目を追加している。そのさらに奥。艦長室を出ようとしていたクレイが、一度だけこちらを振り返った。
「ご安心ください、マスター」
落ち着いた声が、やけに遠く聞こえる。
「命に別状はありません」
安心させるつもりなのだろう。だが、それ以外については何一つ保証されていない。そう気づいた時には、意識は既に深い闇へ沈み始めていた。
『それでは艦長さん。良い夢をー!』
(全然、良くない……)
扉が閉じる音とともに、私の意識は完全に途切れた。




