第04話 - 艦載AI - ベル
「なるほど、テロスのことは分かった。しかし、どうしてその惑星へ向かう必要があるんだ? 引き返すなり、近くの人類の拠点を目指す方がいいんじゃないのか?」
今の状況を考えれば、その方がずっと現実的に思えた。クレイは答えようと口を開く。だが、その前に別の声が割り込んだ。
『……そろそろ、いいですかねぇ?』
どこか気の抜けた声だった。思わず辺りを見回す。
「誰だ?」
「……騒がしい共同管理者です。邪魔でしたら接触制限を」
クレイは小さくため息をつきながら端末を操作した。
『それはひどくないですか!? 私だって艦長さんへご挨拶したいんですけど!』
床へ淡い光が広がる。無数の粒子が集まり、人の輪郭を形作っていく。
銀色の髪。青い瞳。白い制服。現れた女性はクレイによく似ていた。だが、浮かべている表情も、立ち居振る舞いも正反対だった。
『どうもどうも! お初にお目にかかります、艦長さん!』
女性は大袈裟な仕草で一礼する。スカートの裾まで自然に揺れ、その姿がホログラムであることを忘れそうになる。
『私は当艦クレイドルの搭載AI、自己学習型人工知能――正式名称は長いので省略しまして。私のことは〝ベル〟とお呼びください』
言うなり、その場でくるりと一回転する。そこで彼女は満面の笑みを浮かべる。
『兄弟姉妹は、それはもう山ほどおりますのでねぇ!』
その様子を見つめていたクレイが、静かに口を開いた。
「ところで、私に似た姿を選ばれた理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」
ベルは動きを止め、にっこりと笑う。
『艦長さんも、その方が親しみやすいでしょう? 何しろ私、実体がありませんから』
言葉と同時に、その姿が次々と変化する。老若男女、髪や瞳の色まで目まぐるしく入れ替わっていく。唯一、制服だけが変わらない。
数秒後、姿は再びクレイによく似た女性へ戻った。今度は髪だけが金色のショートカットになっている。
『これなら区別も付きますね!』
「ああ……なるほど?」
私は曖昧に頷くしかなかった。ベルは満足そうに笑う。
『いやぁ、管理官さんに任せていたら、私の紹介なんて一生していただけない気がしまして! 出てくるタイミングを見計らっていたってわけです!』
ちらりとクレイを見る。当の本人は、無表情のままベルを見つめていた。
「人工知能というのは……皆こんな感じなのか?」
思わず漏れた言葉に、クレイは即座に首を横へ振る。
「いいえ。一般的ではありません。彼女は設計耐用年数を大幅に超過しており、自我が肥大化しております」
『失礼ですねぇ。自由な発想を獲得しただけですよ』
「このようなAIは、一般的ではありません」
短く繰り返すクレイ。ベルは肩をすくめ、大げさにため息をついた。
二人のやり取りを見ていると、長年付き合いのある同僚同士の軽口に近いものを感じる。
『では、改めまして』
ベルは笑みを浮かべたまま、こちらへ向き直る。
『艦長さんのことについて、少し確認させていただいてもよろしいでしょうか?』
「私のことか?」
『はい。色々と不自然な点がありますので』
部屋の空気が少しだけ引き締まる。私は静かに頷いた。
「分かった。答えられることなら話そう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は覚えている限りのことを二人へ話した。
「断片的な記憶しかないが……私の知る人類は、まだ太陽系を自由に行き来することすらできていなかったと思う。宇宙船も、窓の外の景色も、SF映画の中でしか見たことがない」
ベルは腕を組み、小さく唸る。
『なるほど……』
その横で、クレイは何も言わず私を見つめていた。
「もちろん、記憶違いという可能性もあるが……」
『いえ、内容自体は理解できます』
ベルは指を一本立てる。
『ですが、一つだけ説明できないことがあります』
「説明できない?」
『艦長さんは量子転移という言葉をご存じですよね?』
「ああ、私がここにやってきた手段だったな。確かに聞き覚えがある」
『そこなんです』
ベルは私の目の前までふわりと近付いた。
『人類が本格的に宇宙へ進出する切っ掛けになった技術こそ、その量子転移なんですよ』
私は思わず眉をひそめる。
「つまり?」
ベルは肩をすくめる。
『宇宙進出以前しか知らない人が、量子転移のことを知っているのは、ちょっと変なんです』
「どういうことだ?」
クレイが端末を操作すると、地球と、その周囲を巡るいくつもの人工衛星が浮かび上がった。
「量子転移が実用化される以前、人類はまだ太陽系内へ本格的な活動圏を築くことさえできていませんでした」
映像が切り替わる。巨大な貨物が光へ変わり、次の瞬間には宇宙空間で再構成される。
「物資を直接宇宙へ転送できるようになったことで、人類の宇宙進出は急速に拡大しました」
月、火星、そして見知らぬ恒星系へと光が広がっていく。
「もしマスターがそれ以前の時代に生きていたのであれば、量子転移をご存じであることは不自然です」
私はしばらく黙っていた。
「……つまり、私の記憶は」
『宇宙進出以前の時代のもの、と考えるのが自然ですが……』
ベルはそこで言葉を濁した。
「……何か問題があるのか?」
『それが、あるんですよねぇ』
ベルは困ったように笑う。
『人間を安全に量子転移できるようになったのは、連邦成立後なんですよ』
「待ってくれ……」
自分の胸元へ視線を落とす。
「私は、その技術でここへ来たんだろう?」
『はい。そこが一番おかしいんです』
「それ以前の記録はないのか?」
今度はクレイが答えた。
「連邦成立前後の記録には大規模な欠損があります。残されている資料も断片的で、正確な年代や経緯の特定は困難です」
私はゆっくり息を吐いた。結局、自分が何者なのかは分からないままだ。だが、一つだけ理解できたことがある。
少なくとも、今ある記録だけでは私という存在を説明できない。
気にはなる。だが、記憶も記録もない以上、ここで考え続けても答えは出ない。
「……今は保留にするしかないか」
私は無理やり思考を切り替えた。
「それより、別のことを教えてくれないか。今、クレイドルが置かれている状況と、なぜテロスを目指さなければならないのかを」
クレイは静かに端末を操作した。艦長室の照明がさらに落ちる。次の瞬間、無数の光が私たちを取り囲んだ。
「これは……」
思わず息を呑む。部屋いっぱいに広がった無数の光点は、ゆるやかに回転しながら巨大な渦を描いていた。
まるで宇宙そのものが艦長室へ切り取られたかのようだった。
「人類が観測した銀河系全域を表示しています」
クレイの声が静かに響く。中心部には眩いほどの光が集まり、その周囲を数え切れない星々が取り巻いている。
私たちの足元を流れる淡い光の帯さえ、一つひとつが恒星系を示している。
「……これが全部、星なのか」
「はい」
銀河の一角がゆっくりと拡大される。点でしかなかった光が、次々と名前を持った恒星系へ変わっていく。
私は星図に見入っていた。人類は、いつの間にこれほど広大な宇宙へ進出したのだろう。その疑問を見透かしたように、ベルが口を開く。
『ここから先は、人類全体の歴史というより、クレイドルがこの状況へ至るまでのお話になりますね』
先ほどまでの軽い調子とは違う、どこか落ち着いた声だった。クレイが静かに頷く。
「船内時間で、およそ九百三十年前まで遡ります」
これから語られるのは、教科書に載る人類史ではない。千年近い時を宇宙で過ごした、一隻の移民船の歴史だった。




