第03話 - 艦首の向く先は
「クレイドルは、もともと移民船として造られた船ではありません」
医療区画を出た私たちは、静まり返った船内を歩いていた。
「始まりは、辺境の配送会社が所有していた一隻の小型輸送船です」
「……この船が?」
「はい。クレイドルは中枢区画を基礎として、用途に応じて船体を増設できる構造を採用しています」
「なるほど。船を造り替えるんじゃなく、育てていく発想か」
「はい」
小型輸送船として就役した後、所有企業の事業拡大に合わせて貨物区画や機関部が増設され、クレイドルは少しずつ巨大になっていった。
「その頃、当該個体も管理人格として搭載されました」
「船が大きくなって、管理しきれなくなった?」
「概ね、その認識で問題ありません」
「それから、ずっとこの船に?」
「はい」
わずか一言だった。だが、その短い返答に込められた時間の長さだけは伝わってきた。
やがて政府は新たな移民船団を計画し、クレイドルを借り上げる。
所有企業は当初こそ難色を示したものの、提示された契約条件を受け入れ、最終的には船ごと政府へ譲渡されたという。
「夢がない話だな」
「利益を追求することが企業の役目です。企業経営とはそういうものかと」
「誰に教わった?」
「過去の経営記録です」
思わず苦笑が漏れる。こうしてクレイドルは、人々を新天地へ送り届ける恒星間移民船となった。
増設を繰り返した船体は、今や全長一キロメートルにも達する。
内部は七つの主要区画に分かれ、居住区だけでなく、行政、商業、農業、工業、医療までを船内だけで完結できるよう設計されていた。
最盛期には、五万人を超える人々が暮らしていたという。
――だが、その面影はもうない。
静まり返った通路へ響くのは、私とクレイの足音だけだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
いくつもの扉を抜けると、それまでとは雰囲気の異なる区画へ入った。
金属一色だった通路は落ち着いた木目調へ変わり、高級ホテルを思わせる静謐な空気が漂っている。
その一角で、認証ホログラムを灯した扉が静かに待っていた。
「こちらになります」
クレイが扉を開く。照明が灯り、艦長室が静かに姿を現した。
木目調のデスクと一脚の椅子。壁際には空になった書架が並び、デスクの端には小さな傷が残っている。
その傷だけが、ここで誰かが長い時間を過ごしていたことを物語っていた。
クレイが椅子を引く。
「ああ、ありがとう」
礼を言って腰を下ろす。静かな軋みを立てた椅子が、長く空席だった艦長席へ新たな主を迎え入れた。
「マスター、こちらを」
クレイは腕時計のような装置を差し出した。受け取って眺めるが、ベルトを留める金具も穴も見当たらない。
「これはどうやって着けるんだ?」
「手首へ当ててください」
言われるまま左手首へ当てる。ひやりとした感触が肌へ触れた次の瞬間、端末は生き物のように形を変え、手首へ吸い付くように密着した。
思わず身構えた。だが痛みはない。気付けば、それは以前からそこにあったかのように腕へ馴染んでいた。
「……すごいな」
継ぎ目はどこにも見当たらない。爪で押してみても微動だにしなかった。
「有機変性携行端末〝バイオリング〟です。一般には〝端末〟と呼ばれています」
「これ、外せるのか?」
「可能です。装着中は皮膚組織と接続し、身体の一部として操作できます」
「身体の一部……?」
そう言われた瞬間だった。
使い方を考えただけで、端末の操作方法が自然と頭へ浮かんでくる。まるで、昔から知っていた知識を思い出したようだった。
「これは……」
小さな電子音が鳴る。視界へ通知が浮かび、艦長就任を祝うメッセージと、艦長権限の有効化を知らせる表示が現れた。
「端末の個人認証が完了しました。これより、艦長として各システムから利用できます」
「なるほど」
通知を閉じる。だが、新たな疑問が浮かぶ。
「知らない情報は、どうやって調べればいい?」
「このように表示します」
クレイが端末へ触れると、淡い緑色のホログラムが空中へ展開された。艦内設備、登録乗員、バイオロイド、各種権限、運用記録――。
膨大な項目が空間を埋めるように並ぶ。
「……これで全部なのか?」
「いいえ。艦の放棄に伴い記録の大半は消去されています。本来は、この数十倍はありました」
「……これで少ないのか」
一つへ意識を向けるたび、知識が頭の奥から浮かび上がってくる。情報量の多さに思わず頭を押さえた。
「無理に確認する必要はありません。必要になった時点で参照すれば十分です」
その一言に肩の力が抜けた。知らないことを全部覚えなければならないわけではない。そう思っただけで気持ちは随分と楽になった。
「クレイ」
「はい」
「私は、これから何をすればいい?」
艦長になったとはいえ、今の私は何一つ分かっていない。自分に何ができて、何ができないのかさえ把握できていないのだ。
「まずは必要な知識を身に付けていただきます」
「やはりそこからか」
思わず苦笑すると、クレイも小さく頷いた。
「そこまでお時間を取らせることはありません」
「……それは助かるな」
「まずは、前提となる情報から順にご説明します」
そう言うと、クレイは軽く腕を振った。部屋の照明がゆっくりと落ち、無数のホログラムウィンドウが空間へ展開される。
淡い緑色の光が艦長室を満たし、その中心へ一つの天体が静かに浮かび上がった。
思わず息を呑む。
ゆっくりと自転するその惑星は、精巧な立体映像とは思えないほどの存在感を放っていた。
「……綺麗な星だな」
思わず漏れたその一言に、クレイは静かに頷く。
「精度の荒い映像ではありますが」
どこか地球を思わせる青い星。だが、大陸の形も海岸線も、私の記憶にあるどの地図とも一致しない。
「これが……」
「トレーズ恒星系、第四惑星‶テロス〟。本艦が目指している入植地です」
艦長室へ静寂が落ちる。
美しい惑星を見つめながら、私は初めて、この航海がまだ終わっていないことを実感した。




