第02話 - 艦長就任
「……本当に、私だけなのか?」
「はい」
少女は迷いなく頷いた。その顔を見ているうちに、別の疑問が浮かぶ。
「……待て、よく分からない。人類が私一人だけだというなら、君は?」
「私、ですか?」
「……君は何者なんだ。人間じゃないのか?」
少女は少し考え込むように沈黙した後、静かに口を開いた。
「当該個体は、恒星間移民船クレイドルの管理人格として製造された思考端末です。識別番号はSMIU-W901。一般には〝バイオロイド〟と呼称されます」
「バイオロイド……?」
聞き覚えのない言葉だった。だが、目の前にいる少女が人間ではないということだけは理解できた。
「さっき部屋を出ていった彼もそうなのか?」
「あれも同じです。ただし、単純作業を担う単機能個体ですので、高度な判断には対応していません」
彼女の喋る姿は人間にしか見えない。
「……そういえば、君の名前をまだ聞いていなかったな」
「名前……ですか?」
少女はその言葉の意味を確かめるように、僅かに首を傾げた。
「当該個体には、名前と呼ばれるものはありません」
「名前がない?」
「はい。識別にはSMIU-W901を使用しています」
私は思わず眉を寄せた。人間ではないということだが、こうして言葉を交わしている相手を、識別番号で呼び続けることには抵抗がある。
「そうだな……なら君のことを、これからは〝クレイ〟と呼んでもいいか?」
彼女の瞳が、僅かに見開かれた。
「クレイ……ですか?」
「ああ、船の名前から取った。単純だが、呼びやすいだろう?」
照れ隠しに肩をすくめる。
しばらく黙っていた彼女は姿勢を正し、静かに告げた。
「マスター権限による識別名称の変更を受理します。ISS-901〝クレイドル〟所属、識別呼称SMIU-W901は、以後〝クレイ〟を識別名称として登録します」
そう言って小さく一礼する。
先ほどまでと同じ動作のはずなのに、どこか柔らかく見えた。名前を得たからなのか。それとも、そう思いたい私の気のせいなのか。
「名前というものは、存外良いものですね」
そう言った後、返事のない私を不思議そうに見つめる。
「……いかがいたしましたか?」
「いや……」
思わず苦笑しかけて、先ほど聞いた言葉を思い出した。この船にいる人類は、自分一人。名前のことなど話している場合ではなかった。
「クレイ。さっき、この船にいる人間は私だけだと言ったな」
「はい」
「他の乗員はどうした?」
「現在、本艦にはおりません」
「それは聞いた。どこへ行ったんだ?」
「不明です」
「不明って……船の管理者なのにか?」
「本艦が放棄される以前の記録には、広範囲に欠損が確認されています」
「放棄……?」
また一つ、聞き捨てならない言葉が増えた。
「はい。本艦の一切の権利は放棄されています。したがって、宇宙航海法に定められた通り、唯一の人類残留者であるマスターへ、最高位権限が委譲されました」
「あー……勝手に委譲されても困るんだが」
「承認されない場合は、下船していただければ解除されます」
「……クレイ。分かってて言っているだろう」
宇宙の真っただ中で、この船を降りられるはずがない。
「何のことでしょうか」
澄ました顔に思わず額を押さえた。
何一つ納得できてはいない。だが、クレイの言葉が冗談でないことだけは分かった。
記憶を失い、目を覚ませば宇宙船の中。
他の人間は誰一人おらず、その理由すら分からない。挙げ句の果てに、放棄された船の最高責任者になれという。
到底、すぐに受け入れられる話ではなかった。
「……少し、整理させてくれ」
「承知しました」
クレイはそれきり口を閉ざした。ただ静かに、こちらを見つめている。
頭の中で今聞いたことを一つずつ並べ直してみる。だが、どう考えても結論は変わらない。この船を降りられない以上、選択肢など最初から存在しなかった。
「……分かった。その最高位権限者とやらを引き受ける。だから、そんな顔で見つめないでくれ」
両手を軽く上げて降参の意思を示す。
「それと、マスターとやらもやめてくれ。私にも名前くらいある」
「失礼しました」
クレイは一歩下がった。
「私は……そうだな、カツ……カツラギ。カツラギ・ユウイチだ。カツラギでもユウイチでもいい。着ていた白衣を見る限り、たぶん医者か研究者だったんだろう」
だが、そこから先が続かない。
自分が何者なのか。それ以上の記憶は、相変わらず何一つ戻ってこなかった。
クレイは一瞬だけ視線を落とした。
「人類統合連邦政府所属、恒星間移民船〝クレイドル〟。最高位権限者、識別呼称〝カツラギ・ユウイチ〟の乗船登録を完了しました」
クレイは改めて一礼する。
「ようこそ、マスター・カツラギ。クレイドルの管理者であるクレイは、マスターの着任を歓迎いたします」
「だから、そのマスターというのはやめてくれと言ったんだが……」
思わずため息が漏れる。
クレイは小さく首を傾げた。その仕草に、私は思わず苦笑した。
「まぁいい……クレイ。まずは、この船について教えてくれ」
クレイは静かに頷く。
「承知しました。では、艦長室までご案内いたします。その途中で、クレイドルの成り立ちについてご説明します」
「分かった。案内を頼む」
「かしこまりました、マスター・カツラギ」
「……そこは、もう諦めるしかなさそうだな」
ベッドから足を下ろす。まだ僅かなふらつきは残っていたが、歩けないほどではない。
クレイが踵を返すと、壁の一部が音もなく左右へ開き、その向こうに真っ直ぐ伸びる通路が現れた。
私は一度だけ窓いっぱいに広がる星空を振り返り、静かに部屋を後にした。




