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星渡る揺り籠 ―辺境星域開拓記―  作者: ハノン
第一章 宇宙漂流編

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第01話 - 漂流者と管理官の少女

 殺風景な部屋の中央に、一つのベッドが置かれていた。


 周囲には見舞いの品を置くサイドテーブルも、面会者用の椅子も、患者を隔てるカーテンすらなく、継ぎ目の少ない白一色の室内からは、生活の痕跡が徹底して排除されている。


 壁に埋め込まれたバイタルモニターから伸びる無数のケーブルだけが、その無機質な空間で唯一色彩を帯びていた。


 映し出されるバイタルサインは規則正しく明滅し、ベッドに横たわる男の呼吸だけが、その静寂を細く揺らしていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


(…………うっ……)


 閉じられた瞼越しの眩しさに、意識がゆっくりと浮かび上がる。


 体は鉛のように重かった。深い沼へ沈みこんでいるかのような倦怠感に、指先一つ動かすことさえ億劫に感じる。


 耳の奥では規則正しい電子音だけが反響していた。


 重い瞼を開くと、淡く発光する白い天井が視界に映る。瞬きを繰り返すうち、ぼやけた輪郭が少しずつ像を結び、やがて視界の隅に、白とは対照的な色が映り込んだ。


 首を巡らせた瞬間、後頭部から背筋へ鈍い痛みが走る。それでも目は、その光景から離れなかった。


 床から天井近くまでを覆う巨大な窓。その向こうに広がっていたのは、木々でも、青空でも、コンクリートでもない。


(夜空……?)


 大気汚染と都市の光によって失われたはずの星空が、窓いっぱいに広がっていた。無数の星々は手を伸ばせば届きそうなほど近く、それでいて果てしなく遠い。


 その美しさに息を呑む。だが、すぐに違和感がそれを上回った。


 地上から見上げる星空ではない。


 ――なぜ、自分はこんな場所にいるのか。


 何があったのか思い出そうとするが、脳裏には何も浮かばない。


 焦りを覚えながら、さらに記憶を辿ろうとしたその瞬間――頭の奥で何かが弾けた。


 叫び声と、けたたましい警報。像を結ばない断片だけが脳裏をよぎり、霧のように消えていく。


 視界の片隅で閃光が走った。


 巨大な岩石同士が衝突し、火花を散らしたのだ。目を凝らすと、無数の岩石が帯のように連なり、窓の向こうを埋め尽くしている。


 時折ぶつかり合った岩石は青白い炎をまとい、尾を引きながら漂っていた。


 ここは、一体どこなのだろうか。額を伝った汗が、枕へ落ちた。


「お目覚めですか?」


 小さな音とともに声が響いた。


 振り向くと、それまで壁だった場所が音もなく開き、一人の少女が室内へ入ってくるところだった。


 白を基調とした制服をまとい、肩口で揺れる銀色の髪だけが、その無機質な空間で静かな存在感を放っていた。


 ふと、壁際に人の形をした何かが立っていることに気づく。呼吸も物音もない。それでも、その存在だけが肌を刺すような気配を放っていた。


 少女と入れ替わるように、その人影は部屋を出ていく。迷いのない動きは、命令だけに従う機械そのものだった。


 壁は再び閉じ、何事もなかったように元の姿へ戻る。


 少女はベッドの傍らまで歩み寄った。


 華奢な体格に、二十歳にも満たないような容姿。だが、その顔立ちは驚くほど整っていた。怜悧な瞳には感情の揺らぎがほとんどなく、精巧に造られた人形を思わせる。


「まだ、動かれない方がよろしいかと」


 起き上がろうとした私の腕を軽く押さえると、懐からボールペンほどの器具を取り出し、迷いなく二の腕へ押し当てた。


「な、何を……っ?」


 プシュッ、と小さな音が響く。


 鋭い痛みは一瞬で消え、温もりが腕から全身へ広がっていく。強張っていた体から力が抜け、起こしかけた上半身は自然とベッドへ戻った。


 少女は器具をしまい、一瞬だけ間を置いてから淡々と告げる。


「ナノマシンを追加投与いたしました。血液サンプルを確認したところ問題はないと判断し、緊急処置につき同意を得ず投与しております。……ご気分はいかがですか?」


「ナノマシン……?」


 その言葉には聞き覚えがあった。研究段階の技術――少なくとも、私の知る限りでは。


「目を覚ます前の記憶はありますか?」


 目を閉じ、記憶を手繰り寄せる。しかし、それは触れた端から砂のように崩れ落ちていくようにおぼろげだった。


「……いや……分からない……」


 自分の名前は? 家族はいるのか? ここへ来る前、自分は何をしていた? 一つずつ問い掛けても、何も返ってこない。


 世界から自分だけが切り離されていくような感覚に襲われた。


 少女はほんのわずかに眉を寄せた。それが彼女の見せた最初の感情だった。


「無理に思い出さないでください。落ち着いて、深呼吸をしましょう」


 その声に導かれるように深呼吸を繰り返す。乱れていた鼓動は、少しずつ落ち着きを取り戻していった。


「……教えてくれ……ここは一体どこなんだ……? 私に……何が……?」


「ここは恒星間移民船〝クレイドル〟。私は、この船の管理者です」


「……恒星間……移民船?」


 聞き間違いかと思った。だが、窓の向こうに広がる星空が、その言葉を否定させてくれない。


「ようこそ、マスター。クレイドルを代表して、歓迎いたします」


「待て……待ってくれ」


 聞き慣れない呼び方に、思わず眉を寄せる。


「その〝マスター〟というのは何だ?」


「本艦における最高位権限者の呼称です」


「最高位権限者……?」


 自分が何者なのかすら分からないというのに、話はますます理解できない方向へ進んでいく。


「どうして私が?」


「現在、本艦に乗艦している人類は、マスターのみです」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。


「……私だけ?」


「はい」


 少女は、その言葉が持つ重さなど知らないかのように答えた。


 窓の向こうには、無数の星々が広がっている。


 先ほどまで美しいと感じていたその光景が、今はひどく遠く冷たいものに見えた。


 ――この船には、私以外の人間がいない。


 その事実だけが、静かに胸の奥へ沈んでいった。


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