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星渡る揺り籠 ―辺境星域開拓記―  作者: ハノン
第一章 宇宙漂流編

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第46話 - 外殻の捕食者

 工廠は既に後方へ遠ざかりつつあった。正面の観測窓には、遮るものを失ったテロスの雄大な姿が広がっている。


 先ほどまで、巨大な造船工廠に進路を塞がれ、その全容を視界に収めることさえできなかった。だが今、その大型構造物は後方へ流れ、正面には再び目的地である惑星の姿が戻っている。


 既に一つの天体として、全てを視界に収めることは難しい。青白い大気の縁が緩やかな弧を描き、その内側に広がる大陸と海が、視界の大半を占めていた。


 工廠を抜けるために、あまりにも多くのものを失った。複数の集光砲塔。補助エンジン。低下したシールド。外殻の損傷。


 ブリッジの各所では、戦闘終了後の処理が始まっていた。


 警告表示は未だ消えず、状態確認の報告が途切れることなく続いている。工廠突破を告げる歓声など、どこからも上がらなかった。


 生き延びた。だが、まだ終わってはいない。正面のテロスは、クレイドルが進むごとに、ほんの僅かずつ大きくなっている。


 白い雲の流れ。海岸線の形。緑の中に走る、山脈らしき影。先ほどよりも、その細部がはっきりと見えていた。


『艦長』


 通信回線を通じて、ヴァイスの声が響いた。普段と変わらない、低く落ち着いた声だった。私は正面映像から視線を外さずに答える。


「ヴァイスか、どうした?」


『後方の敵性個体群は相対速度を失いつつあります。追跡は続いていますが、再接触の可能性は低いと考えます』


 中央の立体映像の一角に、後方の戦術情報が表示される。工廠周辺に残された赤い光点は、クレイドルとの距離を広げていた。


「分かった……それで?」


 短く答える。確かに、今も増え続けるあの群れに追いつかれる可能性は低い。しかし、ただそれだけのことでヴァイスが連絡を寄こしてくるとは思えなかった。


『外殻へ接触した三体は、現在も本艦からエネルギーや構造材を吸収しています。損傷箇所の自己修復も継続中です』


 映像が切り替わる。クレイドルの船体表示。その外殻上に重なった、三つの赤い光点。工廠を抜けても、あの化け物たちはまだ残っている。


「取りついた敵の状況は?」


『第三十一目標は、クレイドルの外殻構造材を使い、失われた脚部の再形成を行っています。残る二体についても、外殻及び脚部構造の再生が開始したことを確認しました』


 映像の一角に、対象――第三十一目標と呼称した敵の拡大像が表示される。


 第三十一目標の砕けた脚部の先端から、黒い骨格が伸びていた。その周囲は粘性のある物質に覆われている。


 取りついた周囲には、不自然なクレーター状の窪みが広がっていた。


 外殻を分解し、自身の身体へ取り込んでいるように見える。クレイドルの外殻に刻まれた窪みが大きくなる度に、失われた脚部は徐々に元の形を取り戻していた。


「動き出すまで、どの程度だ」


『予測できません。ですが、既に一体は再形成された固定肢の一部を動かしています』


 拡大映像の中。新たに形作られた脚部が、ゆっくりと動く。その先端が、クレイドルの外殻へ触れた。


 外殻に取りついた三体は、生き残っている兵装の射角から外れている。偶然なのか。それとも、奴らはその場所を選んで取りついたのか。


「……分かった。射角に捉え次第、迎撃を開始しろ。しかし、大気圏突入が近い。船体を損傷させる方法は可能な限り避けてくれ」


『承知しました』


 通信が切れる。私は再び正面へ視線を戻した。


 テロスは、変わらずそこにある。青と緑に覆われた巨大な惑星。クレイドルが長い時間をかけて目指し続けた場所。その姿は、先ほどよりも僅かに大きくなっていた。


 しばらく、その姿を見つめていた。


 だからこそ。最初に感じたのは、ほんの僅かな違和感だった。正面に広がるテロスの地平線が、ゆっくりと傾き始めている。


 最初は、目の錯覚かと思った。雲の帯が斜めへ流れ、大陸の輪郭が視界の端へ沈んでいく。だが、惑星が傾いたわけではない。


 傾いているのは――クレイドルの方だった。


「姿勢偏差を確認しろ」


 クロムの鋭い声がブリッジに響く。それは、私が異変を口にするよりも早かった。


「基準姿勢より右舷方向へ〇・七度偏位。現在も増加しています」


「姿勢制御系、自動補正作動中です」


「右舷スラスター群はどうだ」


「確認します」


 航法管制を担当するバイオロイドたちが、一斉に端末を操作する。その間にも、正面に広がるテロスの地平線は、ゆっくりと傾き続けていた。


「右舷第三スラスター、推力低下。第五スラスターも規定値に達していません」


「第四も出力変動を確認」


「供給エネルギー流量を確認」


「第三系統、基準値より三十二パーセント低下。第四、二十八パーセント。第五は四十一パーセント低下しています」


「……供給幹線は」


「異常ありません。変換器、分配制御ともに正常です」


 クロムが僅かに眉を寄せた。異常を一つひとつ消し込むために、次なる指示をバイオロイド達に与えていく。


「系統内のエネルギー収支を照合しろ」


「了解」


 航法管制を担当するバイオロイドたちが、次々と表示を切り替えていく。右舷側の供給幹線。エネルギー変換器。分配制御系。


 いずれも、表示上は正常だった。にもかかわらず、姿勢制御スラスターへ到達するエネルギー流量だけが不足している。


「入力値と出力値が一致しません」


「第三系統、二十九・八パーセントが消失しています。第四系統も同様です」


 消失。エネルギーが、理由もなく消えるはずはない。


「異常流出の可能性を確認」


「艦内エネルギー監視系を照合します」


『ちょっと待ってください』


 その直後だった。中央の立体映像の一角に、小さな青い光が灯った。最初は、システムからの通知かと思った。だが、青い光はすぐに人の輪郭を形作っていく。


 見慣れた少女の姿。半透明の身体を中央の立体映像の端へ浮かべたベルは、何かを確認するように視線を左右へ動かしていた。


 その周囲には、膨大な数の数値とエネルギー供給経路が流れている。


 いつもの軽い口調とは違う。ベルは表示された数値を追いながら、僅かに眉を寄せた。


『今、そっちで右舷姿勢制御系への供給を変更しました?』


「いや。自動補正が作動中だ」


 ベルの問い掛けに、クロムが答える。


『ですよねぇ』


 ベルの周囲に浮かんでいた表示が、一斉に切り替わる。


『おかしいと思ったんですよ。さっきから右舷側への供給量だけ、急に増えたり減ったりしてるので』


「何か分かったのか」


『まだです。今、追っかけてます』


 ベルが片手を動かす。それに合わせ、中央の立体映像上へクレイドルのエネルギー供給系統が展開された。


 青く表示された幹線から、無数の供給経路が枝分かれしている。その中で、右舷側へ伸びる複数の線だけが、不規則に明滅していた。


『ここから右舷姿勢制御系へ送られて……変換器を通過。分配制御も正常』


 ベルが供給経路を指で追う。


『で、スラスターに届く前に――』


 その指が止まった。


『……ああ』


「どうした」


 ベルは一瞬だけ黙り、中央の立体映像上へクレイドルの船体図を呼び出した。


『見つけました』


 三つの赤い光点が表示される。右舷外殻。つい先ほどまで見ていた、三体の敵。


『多分、こいつらです』


 ブリッジの視線が、中央の立体映像へ集まる。


『異常流出地点が、三体の接触位置とほぼ一致しています』


「吸収しているのか」


『そうみたいですね』


 ベルの周囲に新たな数値が並ぶ。


『三体分の推定吸収量を合わせると、右舷姿勢制御系の供給不足分とほぼ一致します』


 そこで、何が起きているのかを理解した。


 スラスターが壊れたわけではない。姿勢を戻すためのエネルギーが、届いていないのだ。右舷側へ送り込まれたエネルギーを、あの三体が途中で吸い上げている。


「供給経路を迂回できるか」


 クロムが尋ねる。


『できますよ。ただ……多分、同じです』


「試してみてくれ」


『了解です』


 中央の立体映像上の供給経路が切り替わった。


「第二幹線から迂回供給開始」


「第三スラスター、推力回復」


「第四も規定値へ復帰」


 正面に広がるテロスの地平線が、ゆっくりと元の位置へ戻り始める。


「姿勢偏差、減少。〇・六……〇・五……」


『……来た』


 ベルの声が低くなる。中央部の立体映像上で、三つの赤い光点が強く明滅した。


「異常流出量、増大!」


「第三系統、供給流量低下!」


「第四も低下しています!」


 戻り始めていた地平線が止まった。そして、再びゆっくりと傾き始める。


『やっぱり』


「供給量に反応しているのか」


『そこまでは分かりません。でも、こっちが増やした分だけ吸ってます』


 まるで、こちらが送り込んだエネルギーの量を知っているかのようだった。


「迂回供給を停止」


「停止します」


 クロムの指示に、管制員が即座に応じる。ベルは三つの赤い光点を見つめたまま、僅かに首を傾げていた。


『……艦長さん』


「なんだ」


『ちょっと乱暴な方法、試してみません?』


 嫌な予感がした。ベルがこういう言い方をする時は、大抵ろくでもない。


「……聞こう」


『振り落とすんですよ』


 一瞬、その意味が分からなかった。


『クレイドルを回転させます』


 中央部の立体映像に、クレイドルの船体図が表示される。船体の中心を一本の軸が貫き、その周囲に回転方向を示す矢印が描かれた。


『あいつら、右舷側に固まってるでしょう。今の傾きを無理に戻すんじゃなくて、左舷側の姿勢制御スラスターへ出力を集中して、そのまま回転を加速させるんです』


「遠心力で振り落とすつもりか」


『正確には回転による加速度ですけど、まあ、そんな感じです』


 ベルの周囲に、幾つもの数値が現れる。


『固定肢の保持力は、工廠での戦闘記録から推定しています。正確なところは分かりませんけど、回転を上げれば固定状態を維持できなくなる可能性があります』


 クロムはすぐに航法管制へ向き直った。


「現在の質量分布と船体損傷を反映。実行可能範囲を算出」


「了解」


 表示上を数値が走る。正面のテロスは、今もゆっくりと傾き続けていた。


「算出完了。慣性制御を含め、規定範囲内で実行可能です。ただし、損傷箇所への影響は保証できません」


『このまま吸われ続けるよりはましですよ』


 ベルが言った。


『右舷側の供給経路そのものが、周囲の構造材ごと削られてるんでしょう? このままだと、じきに使えなくなりますよ』


 私は正面を見る。青白い大気の縁と、その下に流れる白い雲。緑に覆われた大陸。先ほどよりも、その細部は明らかに大きく見えている。考えている時間は、もうほとんど残されていない。


「……分かった。やろう」


 クロムがこちらを見る。


「船体を回転させ、黒蜘蛛達を振り落とせ」


「承知しました」


「クレイ」


「はい、マスター」


「ヴァイスとバレットに振り落とした個体を狙わせろ」


「承知いたしました」


 クレイが戦闘指揮所との通信を開く。


「ヴァイス、バレット。これより本艦を回転させ、右舷外殻の敵性個体の分離を試みます。船体から十分に離れた個体を攻撃してください」


『了解した』


『射角に入ったものから狙います』


 短い返答が届く。それだけで十分だった。


「全艦へ通達。これより船体を回転させる。総員、衝撃に備えろ」


 艦内への通達が完了する。


「……始めろ」


 指示が行き渡ったことを確認した私の言葉を受け、クロムが航法管制へ向き直る。


「全姿勢制御系、手動制御へ移行。現在の姿勢変動を利用する。回転軸を船体長軸へ固定し、使用可能なスラスターを順次噴射」


「手動制御へ移行」


「左舷スラスター、噴射準備完了」


 クロムは正面映像を見据えた。


「回転開始」


 船体の奥から、低い振動が伝わってきた。


 正面に広がるテロスが動く。地平線が傾き、白い雲の帯が斜めへ流れていく。大陸が視界の下へ沈み、反対側から青い海が現れた。その海さえも、ゆっくりと視界の端へ流れていく。


 さらに回転は速まる。


 海が消え。再び大陸が現れる。青と緑に覆われたテロスの大地が、巨大な円を描くように流れていく。


 クレイドルが、ゆっくりと回転を始めていた。


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