第44話 - 造船工廠突破戦 - 1
巨大な造船工廠が、正面から迫っていた。
全長一キロメートルを超えるクレイドルよりも、なお巨大な構造物。その全容は既に正面映像へ収まり切らず、複数の造船ドックと中央構造体が、視界の端へ大きく広がっている。
工廠へ近づいているというより、巨大な構造物そのものが、こちらへ迫ってくるようにさえ見えた。
「工廠外縁部まで、残り二千二百キロメートル」
「先行個体群、相対距離一万二千キロ――なおも離れる」
中央映像の後方。先ほどクレイドルとすれ違った敵性個体群を示す光点は、急速に遠ざかっていた。
あの群れが再び追いついてくることはないだろう。だが、問題は別にあった。
「後続の敵性個体群、接近中。数、七十四」
中央映像に、無数の赤い光点が表示される。工廠から新たに現れた後続だった。
先行した個体群とは違い、こちらへ一直線に向かっているわけではない。クレイドルの進行方向へ軌道を変え、速度を合わせるように加速している。
「第二波、本艦との相対速度を調整しながら接近しています。接触予測、最短二十七分」
工廠を抜けるより早い。このままでは、工廠周辺を突破している最中に追いつかれる。
「工廠内部にも新たな動体反応。複数の搬出口付近で増加しています」
中央映像の一部が拡大される。開放された巨大な搬出口。その暗闇の奥で、無数の反応が重なるように動いていた。
「……きりがないな」
迎撃だけでは駄目だ。目の前の七十四体を排除できたとしても、その間に次が出てくる。さらにその次も。この工廠そのものが、黒蜘蛛を吐き出し続けている。
私は通信回線を開いた。
「ヴァイス、迎撃準備はできているか?」
『はい、艦長』
「後続の第二波が接近中だ。接触前に可能な限り数を減らしたい。お前に任せる」
『承知しました』
短い返答だった。
中央映像では、第二波の軌道情報が次々と更新されている。七十四の光点が、少しずつ広がりながらクレイドルを包み込むように進路を変えていた。
単純に追いかけているわけではない。逃げ道を狭めるように、広がっている。
『それで、艦長。一つ、提案があります』
「何だ?」
『やはり後続を断つべきです。このままでは、迎撃中にも黒蜘蛛は追加され続けます』
やはり、ヴァイスも同じ結論に達したらしい。
「ああ。だが、できるか?」
『はい。私よりも、適任がおります』
一瞬で誰のことか分かった。
「バレットか」
『長距離精密射撃において、彼女以上の者は本艦に存在しません』
ヴァイスがそこまで言うのなら、迷う理由はなかった。
「分かった。バレットには私から指示する。お前は第二波の迎撃に集中しろ」
『承知しました』
通信を切り、別の回線を開く。
「バレット」
『呼んだかしら』
緊迫したブリッジには似つかわしくない、軽い声が返ってきた。
これから七十を超える黒蜘蛛と接触する。その事実を知らないはずはない。それでも、声からは焦りも緊張も感じられなかった。
僅かに口元が緩む。だが、すぐに中央映像へ視線を戻した。
「仕事だ。電磁投射砲を使って、工廠の搬出口を潰してもらいたい」
僅かな沈黙。
『……搬出口を?』
「ああ。後続の合流を止めたい。だが、クレイドルは最大出力で加速中だ。工廠との相対位置も、常に変わっている」
狙うのは巨大な工廠ではない。その外壁に点在する搬出口だ。中央映像の中でさえ、工廠全体と比較すれば小さな穴にしか見えない。
「加速中の遠距離射撃だ。できるか?」
『お望みとあれば』
即答だった。私は僅かに眉を上げた。少しくらいは難色を示すと思っていた。だが、バレットの声に迷いはない。
「では、任せる」
『了解したわ』
通信の向こうで、バレットが小さく笑う。その笑い声もまた、普段と何も変わらない。
通信が切れる。
工廠との距離は、なおも縮まり続けていた。前からは巨大な工廠。後方からは七十四体の黒蜘蛛。時間的余裕はもうない。
「第一、第二電磁投射砲、射撃管制権限を委譲」
オペレーターの声が響いた。
中央映像の一角に、電磁投射砲の状態情報が表示される。射撃管制系への接続。弾道演算開始。工廠外壁の構造解析。複数の処理が、ほとんど同時に進行していく。
通信を切ってから、まだ僅かな時間しか経っていない。
「……早いな」
つい呟きが漏れた。どうやら、こちらが心配する必要はなさそうだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ブリッジに併設されている射撃管制指揮所には、専門技術を有した砲術担当のバイオロイド達が詰めており、その総合指揮をバレットが担っていた。
バレットは敵性存在が現出する搬出口の拡大映像を眺めながら、小さく呟いた。
「三か所ね……」
巨大な造船工廠。その外壁に開いた三つの搬出口が、それぞれ個別の映像として拡大表示されている。内部構造は不明。外壁の装甲厚も、使用されている構造材も分からない。
加えて、クレイドル自身が最大出力で加速を続けている。工廠との相対位置は、一秒ごとに大きく変化していた。
照準表示が、映像の中を絶えず僅かに移動している。
「……面倒だわ」
そう口にしながらも、バレットの視線は既に一つ目の搬出口へ向けられていた。
「右舷第一電磁投射砲、砲身状態は?」
「正常。射撃可能です」
「第二は?」
「装填中。三十七秒後に射撃可能」
「では、第一から使いましょう」
バレットが一つ目の搬出口を拡大する。射撃管制が目標を認識し、照準表示が巨大な開口部の中央へ重なった。
バレットは数秒だけ、その映像を見つめる。
「……そこじゃないわ」
「照準位置を変更しますか?」
「搬出口をそのまま撃っても、穴が少し大きくなるだけでしょう?」
指先を僅かに動かす。照準表示が開口部から外れ、ゆっくりと上方へ移動した。
巨大なハッチ。その上部に組み込まれた支持構造。複数の梁が交差し、隔壁の重量を支えている。
バレットの視線が止まる。
「ここよ」
「支持構造ですか?」
「入口を壊したいわけじゃないの。蓋をするだけでいいわ」
巨大な構造物ほど、力任せに壊すものではない。荷重が集まる一点を失えば、自らの重さで崩れていく。
重要なのはどこを撃つかだった。
バレットは僅かに首を傾け、照準を睨みつけた。
射撃管制担当が、新たな目標点を設定する。クレイドルの速度。現在加速度。工廠との相対位置。弾体の初速と飛翔時間。
数値が高速で更新され、複数の射撃解が次々と表示される。いずれも、支持構造への命中そのものは保証されていた。だが、バレットは何も言わない。
「第一電磁投射砲、照準完了」
「待って」
オペレーターの手が止まる。予測着弾位置が、支持構造の上を僅かに滑っていく。
バレットが見ているのは、命中するかどうかではない。どこを撃てば、崩れるのか。どの角度で構造体を破断させれば、巨大な隔壁が搬出口へ倒れ込むのか。照準表示が、一つの梁を横切る。
違う。次の接合部へ移る。まだ早い。射撃管制系が提示する数値を眺めながら、バレットは待った。
数秒。そして――予測着弾位置が、ある一点を通過する。
「……今よ」
「発射」
次の瞬間。
電磁投射砲が、轟音と共に弾体を吐き出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「目標、第二波七十四体。全個体の軌道情報を更新」
ヴァイスの声が戦闘指揮所に響く。ラウルディエルから近接防衛兵器を移設する際に立ち上げたこの指揮所は、艦内のセンサー群から艦外に展開された各種砲塔までを一元的に掌握する、戦闘行動に特化した区画だった。
正面の立体映像には、クレイドルへ接近する無数の光点が表示されている。
その軌道は一つとして同じではない。上下左右へ広く展開しながら、それぞれがクレイドルとの相対速度を合わせるように進路を変えていた。
接近速度。軌道。予測交差位置。それら全ての情報が戦術管制系へ集約され、刻一刻と更新されていく。
「接触予測時間を基準に脅威度を算出。第一から第十二目標を最優先」
ヴァイスの指示と同時に表示が切り替わり、敵群の中から十二体が優先目標として強調された。
「照準情報、各砲塔へ転送。右舷砲塔、連動開始」
「右舷上部集光砲、一番から七番、射撃準備完了」
「同じく右舷下部集光砲、一番から五番、射撃準備完了」
報告が次々と上がる。上部七基、下部五基。それぞれの照準が、十二の優先目標へ割り振られていく。
ヴァイスは表示された標的へ視線を走らせた。使用可能な集光砲塔には限りがある。全てを同時に相手にすることなど、最初からできない。
「左舷集光砲は待機。撃ち漏らしが飛び越えてきたところを狙い撃て」
「了解」
右舷側で迎撃網を形成し、減速し切れずクレイドルを通過した個体を左舷側で処理する。
これまでの交戦記録から、黒蜘蛛に遠隔攻撃能力がないことは分かっている。奴らの攻撃手段は、自らの四肢と、その質量だけだ。
ならば、接触さえ許さなければいい。
十分な距離を保ち、近づく前に撃ち落とす。そのために、限られた火力を最大限に使う。
「全砲塔、出力制限を解除」
オペレーターの一人が顔を上げた。
「最大出力では、集光レンズの融解の恐れがあります」
「承知の上だ」
ヴァイスは表情を変えなかった。
集光砲は本来、最大出力での連続射撃を前提としていない。限界を超えたエネルギーを照射し続ければ、集光レンズだけではなく、砲塔内部の冷却系にも致命的な負荷が掛かる。
十回と照射しないうちに、使用不能になる砲塔が出る可能性もあった。
「命令だ。砲塔の保全は考慮しない」
今必要なのは、戦闘後も使える砲塔ではない。これから数十分を生き残るための火力だった。
立体映像の中で、十二の優先目標すべてに照準表示が重なる。
クレイドル右舷の上部七基、下部五基の集光砲塔が、それぞれ異なる方向へ砲身を向けていく。
全ての数値が、許容範囲内へ収束していく。
「最大出力、集光砲への動力伝達。開始」
供給電力が一斉に跳ね上がった。戦術管制画面の各所に、出力超過を示す警告が浮かぶ。黄色。そして、一部は既に赤。
高出力送電に伴う低い唸りが床越しに伝わり、普段は静かな船体が、巨大な獣が息を吸い込むように僅かに震えた。
「主電力網、安定」
「冷却系統、限界値九十二パーセント」
「砲身温度、上昇開始」
決して楽観できる数値ではない。それでもヴァイスは、一つひとつへ短く頷くだけだった。
砲塔は消耗品だ。生き残ることができれば交換できる。生き残れなければ――その必要すらなくなる。
「全砲塔、射撃シーケンス同期」
「同期完了」
十二本の予測射線が、散開を続ける黒蜘蛛へ伸びていく。
敵群は単純に突撃しているのではない。互いの軌道が干渉しないよう広がりながら、クレイドルを包囲しようとしていた。
ヴァイスはその動きを見つめたまま、僅かに間を置いた。
「射撃開始」
クレイドルの外殻から、迫りくる脅威に向けて、無数の光が放たれた。




