第43話 - 唯一の航路
「……最悪だな」
苦い言葉が口をついて出た。
「だから、止めて」
女性が私を見る。先ほどまで弱々しかったその目が、今だけは真っ直ぐに私を捉えていた。
「あそこにも奴らがいるかもしれない……近づいちゃ駄目」
私は数秒だけ女性を見つめ、踵を返した。
「クロム」
「はい」
「航路変更。工廠への接近を中止する」
「承知しました」
クロムが指示を飛ばす。
「航法管制、現航路からの離脱経路を算出。工廠との距離を確保する」
「了解。離脱経路を算出します」
各席から声が上がり、ブリッジの空気が一気に慌ただしくなる。その時、観測席から、鋭い声が上がった。
「造船工廠内部に、エネルギー反応を確認」
「……何?」
中央の映像が切り替わる。暗闇の中に浮かぶ巨大な造船工廠。その内部に、一つ。また一つ。赤い光点が浮かび上がっていく。
「複数区画でエネルギー反応が上昇しています」
その報告を聞いた瞬間、女性が息を呑んだ。
「……まさか」
私は振り返る。女性は、血の気を失った顔で工廠を見つめていた。長い間、放棄されていたはずの造船工廠。その巨大な施設が、今、確かに動いていた。
直後、艦長席の通信端末が鳴った。
『艦長!』
スピーカーから響いたのは、ザルツの声だった。普段の落ち着いた口調とは異なり、明らかに興奮している。
『工廠が起動したぞ! 中央動力区画だけじゃない。造船ドックや資材搬送区画にも、順次エネルギーが供給されている!』
「ザルツ、待て」
『クレイドルの接近を認識したんだ。艦船識別信号か、接近管制設備がまだ生きていたんだろう。俺たちを受け入れるために、工廠が再起動してる!』
中央の映像では、彼の言葉を裏付けるかのように、工廠内部の反応が増え続けていた。一つ。また一つ。長く眠っていた巨大施設の内部へ、血が巡るようにエネルギーが広がっていく。
『あそこが使えるなら、クレイドルを完全に修復できる!』
「ザルツ、聞け」
少し強く名を呼ぶ。通信の向こうで、ようやく彼が口を閉じた。
「工廠への接近は中止だ。奴らが工廠の設備を利用している可能性がある」
短い沈黙が返ってきた。
『……何だって?』
「今、ラウルディエルから救出した女性に確認した。奴らは生産施設や制御系を乗っ取り、増殖に利用するらしい」
通信の向こうで、ザルツが息を呑む。
「工廠がこちらを認識して起動したという、お前の推測が間違っているとは限らない」
『なら――』
「だが、何が潜んでいるのか分からない」
ザルツの声が止まった。
「使える工廠なら、私だって喉から手が出るほど欲しい。だが、今は安全の確認が先だ」
短い沈黙の後、通信越しに深く息を吐く音が聞こえた。
『……わかった。指示あるまで待機だな。了解した』
先ほどまでの興奮は、もう声には残っていなかった。
「ああ。頼む」
通信が切れる。ザルツの気持ちは分かる。求めてきたものが、ようやく手の届く場所に現れたのだ。
「艦長」
クロムの声に、私は顔を上げた。
「離脱経路の算出が完了しました」
「必要時間は?」
「現航路から完全に離脱するまで、約一時間四十分」
「最接近距離は?」
「約三千八百キロメートルです」
「……まだ近づくことになるか」
「本艦は既に工廠への接近軌道に入っています。現在の速度を相殺するには、相応の時間を要します」
クレイドルは巨大な移民船だ。一度進み始めた船体を、即座に止めることなどできない。
「工廠内部の反応は?」
「依然として上昇中です」
中央映像が更新される。赤く表示されたエネルギー反応が、中央構造体から周囲の区画へ広がっていく。
「資材保管区画及び搬送設備へ、エネルギー供給を確認」
「工廠外縁部に、微弱な動体反応を確認」
「位置は?」
「第三資材保管区画付近です」
中央映像の一部が拡大される。巨大な資材コンテナと、船体部材と思われる構造物。その隙間に、一つの光点が表示された。
「移動しています」
「形状は?」
「構造物に遮られ、確認できません」
「新たな熱源を検出」
観測員の報告が重なった。中央映像に、黄色い光点が増えていく。
「別区画にも反応確認。数、合計十一。なおも増加しています」
「全反応を要監視対象として登録」
「了解」
ブリッジ内の空気が張り詰める。黄色い光点は、少しずつ工廠外縁部へ移動していた。
「第三資材搬入口に動きがあります」
「映像を出せ」
工廠側面に設けられた巨大な搬入口が映し出される。長く閉ざされていたはずのハッチが、ゆっくりと開き始めていた。
「内部に複数の熱源を確認」
暗闇の中から、少しずつ内部の輪郭が浮かび上がる。搬送用の軌道。積み上げられた資材。壁面に並ぶ巨大な機械群。そして、その手前で何かが動いた。
「映像を止めろ」
画面が静止する。低い胴体。四本の脚。黒く不規則な外殻。
「対象を確認」
警報がブリッジに鳴り響いた。
「総員、戦闘配置」
クロムの命令が飛ぶ。映像が再び動き始める。最初の一体が搬入口の外へ進み出る。その後ろで、別の影が動いた。
一体。二体。さらに奥にも。
「動体反応、急増。三十を超えました」
「第二搬入口も開放を開始」
「第一造船ドック下部にも反応!」
中央映像の各所に、警告表示が浮かび上がる。巨大なハッチが、工廠の至る所で開き始めていた。その暗闇から、無数の敵が姿を現していく。
ザルツの推測は、半分だけ正しかった。工廠は確かにクレイドルの接近を認識していた。
だが、私たちを迎え入れるためではない。
「……奴らが気付いたんだ」
私は、増え続ける反応を見つめた。
「私たちが、ここにいることに」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「敵性体、工廠から離脱」
観測員の報告と共に、中央映像に表示された光点が動き始めた。工廠の外壁を離れ、黒い群れが宇宙空間へ広がっていく。
「進行方向は?」
「本艦です」
予想していた答えだった。
「本艦との相対速度、急速に上昇。なお加速中」
「離脱軌道へ移行した場合、追いつかれるまでの時間を算出しろ」
「了解」
中央映像の上に、新たな航路が表示される。クレイドルが工廠から距離を取るために描こうとしている、緩やかな反転軌道。その後方から、敵を示す無数の光点が迫っている。
航法管制から送られてきた計算結果を、クロムが告げる。
「現計画のまま離脱した場合、約一時間後に敵性個体群が本艦へ到達します」
間に合わない。
「主機出力を限界まで上げた場合は?」
「反転開始を早めることは可能ですが、敵性個体群との接触は回避できません」
「どれくらい稼げる?」
「約二十分です」
「意味がないな」
私は中央映像を見つめた。黄色く表示されたクレイドルの航路。それを追う、無数の赤い光点。再び艦内へ侵入されれば、今度は一体では済まない。
「反応、さらに増加」
「現在、確認できるだけで百二十七体」
「後続反応、工廠内部に多数」
あれが百体以上。まともに迎え撃てる数ではない。
「集光砲塔による迎撃は?」
クロムが答える。
「迎撃は可能です。ですが、全砲塔を使用しても、接触までに排除できるのは一部と推定されます」
「どの程度だ?」
「楽観的に見積もっても、三割です」
私は表示された航路を見つめた。反転するために速度を落とすと追いつかれる。
――ならば。
「クロム」
「はい、艦長」
「反転中止だ」
一瞬、ブリッジが静まった。
「……工廠への接近を継続するということですか?」
「工廠へ入るわけじゃない」
私は中央映像へ手を伸ばした。工廠。クレイドル。そして、その先に浮かぶ惑星テロス。
「このまま工廠の近傍を通過し、テロスの低軌道へ入る」
現在の航路を延長する。クレイドルは工廠の近傍を通過し、その先へ抜ける。進行方向にあるのは、テロスだった。
ブリッジ内に、僅かなざわめきが生まれた。
「艦長」
クレイがこちらを見る。
「工廠へ接近すれば、さらに多数の敵に囲まれます」
「ああ、分かっている。だが、反転すれば追いつかれる」
私は端末を操作し、現在の航路と離脱航路を重ねて表示させた。
「現在の速度を維持したまま、工廠を通過するおつもりですか?」
「維持では足りない。加速する」
反転すれば速度を殺すことになる。それなら逆に、このまま前へ出る。
正面の敵だけを排除し、最大加速で群れを突き抜ける。高速ですれ違えば、奴らもすぐには追撃へ移れない。
問題は、その先だった。
「低軌道へ遷移した場合、大気圏到達までの時間は?」
「最大加速を継続し、航路修正を含めて約四時間半です」
「接触予測は?」
航法管制席で、計算結果が更新される。
「最大加速を継続した場合、テロス大気圏到達まで接触を回避できる可能性があります」
そこでクロムが僅かに言葉を止めた。
「……そのまま、テロスへ降下するつもりですか?」
その言葉に、ライズに支えられた女性が顔を上げた。顔色は随分良くなっている。
「惑星へ……?」
「奴らは単独では大気圏突入に耐えられない。少なくとも、防護なしではな」
「ですが、本艦の耐熱外殻にも未修復の損傷が残っています」
「降下機能そのものは生きている。ここで百体以上に取りつかれるよりはましだ」
短いやり取りの末、クロムは続く言葉を飲み込んだ。
「ザルツに連絡を」
「接続します」
通信が開く。
『艦長?』
「反転を中止。補助エンジンを最大出力まで上げて工廠側へ加速する」
通信の向こうで、ザルツが言葉を失う。
『……工廠へ突っ込むつもりで?』
「通過して、そのままテロスへ降りる」
短い沈黙。その後、ザルツが深く息を吐いた。
『分かりました』
今度の返答に、迷いはなかった。
『補助エンジンの安全機構を解除します。ですが、出力を上げれば損傷箇所への負荷も増える』
「やってくれ」
『……まったく』
通信越しに、小さな溜息が聞こえた。
『五分ください。出力制限を解除します』
「頼む」
通信を切る。私は中央映像へ目を向けた。
「クロム。テロスへの降下航路を算出。工廠の近傍を最短で抜ける。敵性個体群との接触予測を常時更新しろ」
「承知しました」
「クレイ。ヴァイスとバレットに伝達。電磁投射砲及び集光砲を接近中の黒蜘蛛へ集中。進路上のデブリは、偏向シールドで軌道を逸らせ」
「了解しました。ヴァイスとバレットに迎撃統制を指示します」
「艦内へ緊急放送。最大加速に備え、全員を基幹ブロックへ移動。衝撃に備えさせろ。ライズ、彼女を安全な場所へ」
「承知いたしました。さぁ、こちらへ」
ライズに連れられて、女性がブリッジを出ていく。それに前後して、ブリッジの各席から、一斉に応答が返る。直後、艦内へ警報が鳴り響いた。
『補助エンジン出力、上昇開始。保護回路遮断、安全制限解除』
ザルツの声がブリッジへ流れる。船体の奥から、低い振動が伝わってくる。次第に大きくなり、艦長席を通して全身へ響いた。
「出力三十パーセント」
「四十」
「五十」
「補助エンジン出力、百パーセント。定格上限へ到達」
「定格出力を突破。現在出力、百十パーセント」
クレイドルが、補助エンジンの限界出力で加速を始めた。慣性制御下にもかかわらず身体が艦長席へ押しつけられる。
正面映像の中で、巨大な造船工廠が少しずつ大きくなっていく。その周囲から、無数の黒い影がこちらへ向かっていた。
「正面、敵性個体群との接触まで四十秒!」
「電磁投射砲、敵群中央へ斉射! 集光砲は進路上の個体を掃討!」
正面映像を複数の閃光が貫いた。電磁投射砲の弾殻が敵群中央を穿ち、直後、その周囲を幾筋もの集光砲の光が薙ぎ払う。密集していた黒い影の一部が砕け、群れの中央に僅かな空隙が生まれた。
「進路上の敵性個体、減少!」
「そのまま突き抜けろ!」
クレイドルが、開いた僅かな間隙へ突入する。
黒い影が観測映像の両側を高速で流れていった。
何体かが脚を広げ、胴体各部から微かな光を噴き出しながら、船体へ進路を変えようとするが、既に遅い。
取り付くより早く、クレイドルの後方へ消えていく。
「先行の敵性個体群、本艦側方を通過。急速に遠ざかります!」
「降下予測地点を表示」
テロスの地表図が映し出される。都市遺構。森林地帯。湖。そして、広大な荒野。
「地表状態が比較的安定している区画を選定」
「候補地点を表示します」
私は艦長席の肘掛けを強く握った。それは命令というより、艦に残る全員へ向けた宣言だった。
「全員、覚悟を決めろ――クレイドルは、これよりテロスへ降下する!」




