第40話 - 星に降る残骸
浅い眠りの中、端末の呼び出し音が耳に届く。
私はゆっくりと目を開け、薄暗い艦長室の天井を見つめた。常夜灯だけが灯る室内で、机上に投影された資料の淡い光だけが、やけに鮮明に浮かんで見えた。
どうやら、いつの間にか眠り込んでいたらしい。
机の上には、読みかけの報告書が何枚も投影されたままになっていた。
どれも目を通しておく必要があるものばかりだったが、ここ数日はまともに休めていなかった。思っていた以上に疲れが、溜まっていたのだろう。
再び鳴った呼び出し音に、私は身を起こす。端末に触れると、聞き慣れた声が室内に響いた。
「どうした」
『マスター、至急ブリッジまでお越しください』
クレイの声だった。普段と変わらない、落ち着いた声。しかし、その短い言葉に、私は身構える。
「何かあったのか?」
『テロス近傍に到着いたしました』
一瞬、言葉が出なかった。私は机上に表示された時刻へ目を向ける。予定よりもかなり早い。
「もう……到着したのか」
『はい』
『現在、クレイドルはテロスの重力影響圏を目前に、減速を開始しております。テロス及び周辺宙域の詳細観測も開始されました』
「分かった。すぐに行く」
『お待ちしております』
通信が切れる。私は椅子から立ち上がり、壁際に掛けてあった上着へ腕を通した。
――テロス。
この船に流れ着いてから、一年半。存在を知り、目指すと決め、ようやくここまで辿り着いた。
その名前は、いつの間にか私たちにとって、単なる惑星の名ではなくなっていた。
人類が残した痕跡。クレイドルを修復できるかもしれない造船工廠。そして、あの黒蜘蛛が逃げようとした先。
期待と不安。そのどちらが勝っているのか、自分でも分からないまま、私は艦長室を出た。
通路を進む間にも、艦内の空気が普段とは僅かに違った熱気をまとっていることに気付く。どうやら、テロスへの到着を意識しているのは、私だけではないらしい。
やがてブリッジへ続く扉が開く。その瞬間、私は足を止めた。正面の観測窓。その向こうに、巨大な青い星が浮かんでいた。
「……これが」
声が漏れ出た。
遠距離観測の映像では、何度も見ていた。だが、実際に目の前にすると、その印象はまるで違う。
特に内側を巡る巨大な衛星は、惑星の付属物と呼ぶには、あまりにも強い存在感を放っていた。
「お待ちしておりました。マスター」
声に振り向くと、クレイがすぐ傍らに立っていた。
「ああ……」
「どうぞ、中へ」
クレイに促され、私はようやく自分が入口で立ち尽くしていたことに気付いた。
気恥ずかしさを覚えながら、ブリッジへと足を踏み入れる。
既に各所では、オペレーターたちが慌ただしく観測情報の整理を進めていた。次々と更新される数値や映像が空中を行き交い、静かな緊張と、どこか浮き立つような空気が入り混じっている。
私はクレイと共に艦長席へ向かい、再び観測窓を見上げた。
「トレーズ恒星系第四惑星、テロス」
私の視線の先を追うように、クレイもまた青い惑星へ目を向ける。
「私たちは、目的地へ到着いたしました」
その言葉を聞きながら、私は目の前に広がる青い星を見つめ続けた。
一年半という時間が長かったのか、短かったのか。今となっては分からない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
私たちは、ようやくここまで辿り着いたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
テロス近傍への到達から、およそ二時間。観測機器から送られてくる情報は、時間を追うごとにその精度を増していた。
ブリッジの中央には、テロスと二つの衛星を含む立体映像が投影され、その周囲を大小無数の光点が取り囲んでいる。
各観測席では、集められた膨大な情報の解析が休むことなく続けられていた。
「随分と詳しく見えるようになったな」
「はい。地表の構造物についても、より詳細な識別が可能となっています」
クロムが端末を操作すると、中央に浮かんでいたテロスの映像が大きく拡大された。
青く広がる海は、惑星表面の半分以上を覆っている。その合間には大小幾つもの大陸が浮かび、赤道付近には、深い緑に覆われた広大な森林地帯が横たわっていた。
そこから南北へ離れるにつれて緑は疎らとなり、乾燥した褐色の大地へと姿を変えていく。北半球の高緯度地域は白い氷雪に覆われ、その縁からは無数の河川が枝分かれしながら大地を走り、やがて海へと注いでいた。
白い雲が複雑な渦を描きながら、その上空をゆっくりと流れていく。
「……本当に、地球によく似ているな」
「半径は地球の一・七倍、大気組成、平均気温、地表重力。いずれも人類の生存に適した範囲内です。少なくとも、環境上は現在も居住可能な惑星と判断されます」
「そうか」
地球そのものではないことは分かっている。
それでも、青い海と白い雲に覆われた星を目の前にすると、遠い記憶の中にある故郷の姿を重ねずにはいられなかった。
「二つの衛星については?」
「こちらをご覧ください」
映像が切り替わる。最初に映し出されたのは、テロスの内側を巡る巨大な衛星だった。
「第一衛星‶デュナミス〟。直径は地球の月のおよそ二倍に達します」
「二倍……」
驚きのまま、その数字を繰り返した。
地球から見上げていた月を知っているだけに、その大きさがどれほどのものなのか、嫌でも実感できた。
表面は灰白色の岩石質に覆われ、大気は存在しない。無数のクレーターが刻まれた姿だけを見れば、確かに月によく似ている。
だが、決定的に違うものがあった。
「……あれは人工物か?」
「はい。人類由来の構造物と判断されます」
拡大された地表に、自然形成とは思えない直線が幾つも浮かび上がる。
巨大な円形構造物。地平線の彼方まで続く線状の施設。そして、幾つものクレーターの縁に沿うように築かれた、階段状の人工構造物。
その規模は、一つの都市と呼ぶにはあまりにも広大だった。
「随分と開発が進んでいたようだ」
「地表だけではありません。地下にも複数の大規模空間を確認しています」
映像上に幾つもの領域が強調表示される。研究施設か、資源採掘の跡か。今の情報だけでは判断できない。
「次に、第二衛星‶グオノス〟です」
デュナミスの映像が縮小し、その外側を巡るもう一つの衛星が拡大された。
「直径は、地球の月とほぼ同等です」
「こっちは、見慣れた大きさだな」
「マスターが実際に見ていた月とは、観測距離が異なりますが」
「……分かっている。大きさの話だ」
「失礼いたしました」
相変わらず表情一つ変えないクレイを横目に、私は再び映像へ視線を戻した。グオノスもまた、大気を持たない岩石質の衛星だった。
しかし、その地表にも人類の痕跡が残されていた。
広大な平坦地に規則正しく並ぶ巨大な建造物。その中心からは、複数の線状構造が放射状に延びている。
「宇宙港でしょうか」
「記録との照合結果からも、その可能性が高いと判断されます。周辺には格納庫や観測施設と思われる構造物も確認されています」
「ここにも、人がいたんだな」
テロスだけではない。二つの衛星にまで、人類はその活動圏を広げていた。かつて、この星系にはどれほど多くの人間が暮らしていたのだろう。
「……調べてみたいが」
言葉が口をついて出た。特にデュナミスの地下構造には、好奇心を強く刺激された。
「マスター」
クレイが何かを言うより先に、私は答えた。
「そうだな。今はクレイドルの修復が最優先だ。衛星の調査は後回しにする」
「賢明なご判断かと」
小さく息を吐き、私は再びテロスへと視線を戻した。
「造船工廠の位置は?」
「現在、観測情報との照合を進めています」
クロムの操作によって、映像の視点が大きく引かれる。そこで改めて目に入ったのは、テロスを取り巻く膨大な数の残骸だった。
折れ曲がった構造材。原形を失った船体。巨大な外壁と思われる板状の物体。
小型船ほどの大きさしかないものから、クレイドルを上回る巨大な構造物まで、大小様々な残骸が複雑な軌道を描きながら、テロスの周囲を漂っている。
その中でも、特に目を引くものがあった。
「軌道エレベーターか」
かつて地表と宇宙を結んでいたのであろう長大な構造体。地表側の基部は、今も大陸の一角に巨大な影を落としている。
しかし、宇宙へと伸びていた構造体は途中で完全に断裂し、上部は大きく湾曲したまま軌道上を漂っていた。
周囲には、そこから剥がれ落ちたと思われる無数の破片が広がっている。
「周辺にある輪は何だ?」
「環境リングでしょう」
クロムが答える。
「内部に人工重力及び閉鎖型生態系を構築し、居住区や農業区画として利用される施設です」
映像が拡大される。
巨大な輪の内側には、僅かに緑色を残す区画が見えた。少なくとも、一部では今も環境が維持されている可能性がある。だが、その他の多くの部分は既に崩壊している。
「……随分と派手に壊れたものだな」
「崩壊原因は不明です」
クロムの答えは短かった。視線を再びテロスへ戻す。
森林の中に沈む都市。砂漠に半ば埋もれた巨大構造物。海岸線に沿って延びる、かつての居住区画。整然と並んでいたのであろう街路は植物に覆われ、その輪郭だけが緑の中に辛うじて残されている。
中には、高層建築物と思われる巨大な構造体が、森の中から突き出すように残っている場所さえあった。
「これだけのものを残して……誰もいないのか」
「はい、人類の活動を示す兆候は見られません」
目の前に広がっているのは、紛れもなく人類が築いた世界だった。そして同時に。そこから人類だけが、綺麗に姿を消していた。
その時、観測席の一つからオペレーターの声が上がった。
「テロス及び両衛星の重力影響を考慮した、造船工廠までの航路算出が完了。現航路からの接続が可能です」
「表示に出せ」
クロムの指示と同時に、中央の立体映像が切り替わる。
テロスを中心に、デュナミスとグオノスの軌道が淡い光の線で描き出された。その中を縫うように、クレイドルの現在位置から一本の航路が伸びていく。
航路の先に浮かび上がったのは、テロスの外縁軌道を周回する巨大な構造物だった。
造船工廠。
遠距離観測では一つの巨大な影にしか見えなかったそれも、今では複数の造船ドックと、それらを繋ぐ中央構造体まで確認できる。
「到達までの時間は?」
「現在の減速行程終了後、航路を変更。およそ十八時間で接近可能です」
「工廠の状態は確認できるか」
「現在、詳細解析を進めています。外部構造には複数の損傷が確認されていますが、主要構造体は原形を維持しています」
少なくとも、残骸ではないらしい。その事実に、僅かな安堵を覚える。だが、私はすぐに別の懸念を思い出した。
「そういえば……黒蜘蛛の姿は確認できるか?」
その一言で、ブリッジに流れていた空気が僅かに張り詰めた。クロムが観測席へ視線を向ける。
「現在までに取得した光学情報、熱源反応、反射特性を、回収された脚部の解析情報と照合しています」
オペレーターが手元の端末を操作する。
立体映像の中に浮かんでいた無数の残骸が、次々と枠で囲まれていく。その数は、ざっと見ただけでも数千を超えていた。
「現時点では、該当する物体は確認されていません」
「工廠周辺もか?」
「はい。現在確認可能な範囲では、一致する外殻形状及び反射特性を持つ物体は存在していません」
私は安堵のため息を吐いた。
「……そうか」
見つからないことが、安全を意味するとは限らない。ラウルディエルで遭遇した個体も、起動するまではただの金属塊にしか見えなかった。
それでも、少なくとも今この瞬間、こちらへ向かってくる敵が存在しないという事実は、ささやかな安心材料にはなった。
「警戒は継続しろ。特に工廠への接近中は、些細な変化も見逃すな」
「承知しました」
クロムが答える。
私は再び中央の立体映像へ目を向けた。そこには、青く輝くテロスと、その周囲を漂う無数の残骸が映し出されている。
「テロス大気圏へ進入する物体を確認」
不意に、観測席から声が上がった。先ほどまでの話もあり、私は反射的に顔を上げる。
「やつらか?」
「いえ。軌道上を漂流していたデブリです」
オペレーターの返答に、僅かに強張っていた肩から力を抜く。
「デブリ?」
「はい。推定質量、約四千二百トン。現在、北東部に位置する大陸へ向けて降下中です」
中央の立体映像が切り替わり、テロスへ向かって伸びる一本の軌道が表示された。その先端には、複雑に折れ曲がった構造物らしき影が浮かんでいる。
どうやら、かつて何らかの施設を構成していた残骸らしい。
「地表まで到達するのか?」
「大部分は大気圏突入時に焼失すると予測されます。ただし、質量及び構成材から判断し、一部は地表まで到達する可能性があります」
「危険は?」
「落下予測地点に、大規模な人工構造物は確認されていません」
オペレーターがそう答えると、映像上の一点が強調表示された。深い森林に覆われた大陸。その中央から僅かに外れた山岳地帯だった。
「なら、監視だけ続けてくれ」
「了解しました」
再び観測作業が続けられる。私は何気なく、表示された落下予測軌道へ目を向けた。
やがてデブリが大気圏へと突入する。黒い構造物は瞬く間に赤熱し、眩い光に包まれた。
「……まるで流れ星だな」
赤く燃えながら尾を引く残骸は、夜側の空を横切り、静かに地平の向こうへ消えていく。
「……あれも、人類が残したものか」
「はい。規模を考慮すれば、一般的な隕石とは異なりますが」
「分かっている」
クレイの律儀な訂正を聞き流す間にも、デブリは次々と崩壊していく。その大半は大気中で燃え尽き、残った幾つかの破片だけが雲の中へと消えた。
数秒後、森林の一角から土煙が立ち上る。
「落着を確認。予測地点からの誤差範囲内です」
「これは、随分と頻繁に起きているのか?」
私の問いに、クロムが観測記録を呼び出した。
「はい。テロス周辺には大量の軌道残骸が存在します。その一部は衛星及び他のデブリとの重力干渉によって軌道を変化させ、継続的にテロスへ落下しているものと考えられます」
テロスの地表映像に、無数の印が浮かび上がる。
「こちらは、地表で確認された衝突痕です」
「……随分と多いな」
森林に覆われ、既に輪郭すら曖昧になった巨大な窪地。湖となり、その内部に水を湛えているもの。砂漠の中に半ば埋もれたもの。
その一方で、未だ植物に覆われることなく、剥き出しの大地を晒す小さなクレーターも点在していた。
古いものから、新しいものまで。テロスの地表には、長い時間をかけて刻まれた無数の傷跡が残されている。
「惑星環境への影響は?」
「現時点で、重大な影響は確認されていません。大規模な気候変動を引き起こすほどの衝突事例も、観測可能な範囲では存在しません」
「惑星にとっては、大した問題じゃないということか」
「はい」
クロムは一度言葉を切った。
「ただし、地表に存在する人工構造物にとっては、その限りではありません」
私は再び、テロスの地表へ目を向けた。
惑星そのものにとっては、些細な傷に過ぎない。だが、そこに残されたものまで同じとは限らなかった。




