幕間 - デュランタ星系会戦
統合暦4295年10月17日(カツラギ・ユウイチの漂流から1年と164日)
人類統合連邦勢力圏外――北部方面、デュランタ星系
北部方面の前線を越えた先に、恒星デュランタはあった。
目立った資源惑星も、居住可能な天体も存在しない。幾つもの小惑星帯と、役目を終えた岩石惑星だけが恒星の周囲を巡る、枯れた星系。
それが、統合連邦軍の偵察艦艇が持ち帰った評価だった。だが今、その静かな恒星系には、三千を超える艦艇が集結していた。
青白い推進光が、暗い宇宙を幾筋にも切り裂いている。
戦艦を中心とした主力打撃群。その周囲を固める巡航艦と駆逐艦。広域観測を担う索敵艦に、フィールド発生艦、工作艦、補給艦などの支援艦。
統合連邦北部方面軍に所属する第二、第五、第九艦隊。三個艦隊、艦艇総数三千百十七隻。
それは、北部方面軍が起した久し振りの攻勢だった。
第二艦隊旗艦〈グロリアス〉の作戦室では、その陣容が巨大な立体戦域図として映し出されていた。
統合連邦軍を示す青い光点が、第三小惑星帯の手前で扇形に展開している。
対する赤い光点は、小惑星帯の後方に築かれた補給拠点と、その周辺に僅かに散らばっているだけだった。
「敵主力は、デュランタ第三小惑星帯後方の補給拠点を防衛中。確認された防衛部隊は、プレデター級百七隻、ハウンド級百四十二隻」
作戦室の空気が、僅かに緩んだ。誰も声を上げて喜びはしない。だが、士官たちの表情には、隠しきれない期待が浮かんでいた。
「十分の一、か。まるで空き巣狙いの強盗の気分だ」
人類統合連邦政府軍大将、エーリッヒ・グスマンは、腕を組んだまま戦域図を見上げていた。口元には、薄い笑みが浮かんでいる。
北部戦域はこの数十年、決定的な勝利とは無縁だった。
進出しては押し返され、占領しては奪い返される。艦隊を送り込み、艦艇と兵員を失い、幾つかの無人星系を得たところで、戦線はほとんど動かない。
そんな消耗戦に、前線の将兵も本国の政治家もいい加減うんざりしていた。
だが、この補給拠点を制圧すれば状況は変わる。
デュランタを経由していたアトラムの補給線は断たれ、北部方面の旧人類勢力圏に展開する敵は後退を余儀なくされる。
場合によっては、数十年停滞していた戦線を、一挙に押し戻すことすら可能になる。
久方ぶりに訪れた、明確な勝利の機会だった。
「大将閣下」
参謀長のハインリケ大佐が口を開いた。周囲の士官たちとは異なり、その表情には期待よりも強い警戒が浮かんでいる。
「敵防衛部隊の規模が、事前の戦力評価と一致しません」
「偵察結果が間違っていたと言いたいのか」
「逆です。偵察段階では、この宙域にはベヒモス級を含め、我が艦隊に伍する艦艇が存在していました。それが、我々の接近と同時に姿を消しています」
ハインリケが戦域図の一角を指し示す。
「さらに、通常であれば補給拠点外縁に配置されるはずの長距離哨戒個体が確認されていません。小惑星帯の索敵反応も、不自然なほど希薄です」
「害虫のごときアトラムとて、無尽蔵にいるわけではあるまい」
エーリッヒは鼻を鳴らした。
「消耗しているのは、向こうも同じだ。別の戦域へ戦力を回しただけかもしれん」
「その可能性はあります。しかし――我々がここを攻めることを、敵があらかじめ知っていた可能性もあります」
作戦室に、短い沈黙が落ちた。だが、エーリッヒは笑った。
「臆病になったものだな、ハインリケ。好機を前にして、存在するかも分からん敵に怯えることを警戒とはいわん」
「……承知しました」
ハインリケはそれ以上反論しなかった。ただ、背後で組んだ拳に力が入り、手袋の革が小さく軋んだ。
エーリッヒは戦域図へ向き直った。
「全艦、突撃隊形へ移行。第二艦隊は中央。第五艦隊は左翼、第九艦隊は右翼へ展開。目標はデュランタ第三小惑星帯後方のアトラム共の補給拠点だ」
青い光点が一斉に動き始めた。
「鎧袖一触だ! 一気に叩き潰す!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
三個艦隊は、横幅数万キロメートルに及ぶ巨大な陣形を形成しながら、小惑星帯へ進入した。
中央を進む第二艦隊が、敵補給拠点への主攻を担う。左右には第五、第九艦隊が大きく張り出し、逃走する敵部隊を包囲するための弧を描いていた。
その前方では、駆逐艦と高速巡航艦からなる先鋒部隊が、小惑星の間を縫うように進んでいる。
時折、小惑星の陰から現れたハウンド級が砲火を放つ。青白い光条が宙域を横切り、直後に統合連邦軍の艦艇群から一斉射撃が返された。
逃げ遅れた敵艦が防御フィールドを貫かれ、黒い船体を内側から膨れ上がらせる。
音のない宇宙で、爆発の光だけが幾重にも重なった。
前哨部隊は、ほとんど抵抗らしい抵抗を見せなかった。
統合連邦軍の先鋒が接近すると僅かな砲撃を行い、すぐさま後退する。少しずつ小惑星帯の奥へと退いていく赤い光点を、戦域図は淡々と映し続けていた。
「予定通りだな」
エーリッヒは満足げに頷いた。
「このまま補給拠点まで押し込め。敵に陣形を整える時間を与えるな」
全てが予定通りに進んでいた。
「前方哨戒群からの通信に遅延が発生。二・六秒――現在、四・一秒まで拡大」
「小惑星帯による通信障害だろう」
参謀の一人が答えた。だが、観測席から別の声が上がる。
「第五艦隊外縁部でも、長距離索敵精度が低下しています。原因は不明。小惑星内部の鉱物反応に、これまで確認されていない変動があります」
戦域図の一部が、一瞬だけ揺らいだ。赤い光点が消え、すぐに同じ位置へ戻る。
「観測妨害か」
「現時点では断定できません」
エーリッヒは苛立たしげに戦域図を睨んだ。
「敵が逃げるために妨害を始めただけだ。進軍を継続しろ」
「閣下。一度、先鋒を停止させるべきです。後続部隊との距離が開きすぎています」
「止まれば、敵に立て直す時間を与える。前進を継続する」
命令は覆らなかった。
青い光点の群れが、さらに第三小惑星帯の深部へ入っていく。三個艦隊は依然として一つの陣形を保っていた。少なくとも、戦域図の上では。
「第九艦隊外縁哨戒艦とのデータリンクが途絶しました」
「中継艦を経由します」
通信士の指が端末の上を走る。数秒。返答はない。
「中継艦と接続できません」
作戦室の空気が冷えた。その時、戦域図の後方――撤退経路にあたる小惑星帯外縁部に、小さな赤い光点が現れた。
数千キロメートル離れた場所に、次々と光点が増えていく。
「敵性反応、増加しています」
観測士の声が強張る。戦域図の右側で、新たな赤い光点が次々と現れる。
左側にも。後方にも。これまで単なる小惑星として処理されていた観測対象の全てが、一斉に熱源を発し始めていた。
「反応、推定一千を突破! なお増加中!」
「敵艦艇です! 小惑星表面及び内部から、ベヒモス級、プレデター級、ハウンド級が多数出現!」
戦域図が、赤く染まっていく。なおも反応は増え続ける。
前方だけではない。左翼の第五艦隊外側。右翼の第九艦隊後方。そして、三個艦隊が通過してきた小惑星帯の出口。
青い光点を包み込むように、赤い光点の輪が閉じ始めていた。
「……これほどの艦隊を、どうやって隠していたんだ」
ハインリケが呟いた。
「小惑星内部より、大規模な観測妨害波を確認! 敵艦艇は岩塊に擬態していたものと思われます!」
「後方の敵性体の規模、本艦隊に匹敵します! 退路が遮断されつつあります!」
「馬鹿な!」
エーリッヒが吐き捨てる。
手薄に見えた補給拠点に後退を続けた哨戒部隊。不自然なほど薄かった索敵網でさえ、三個艦隊を小惑星帯の内部へ誘い込むために用意されたものだった。
「大将閣下、直ちに反転を! 後方の敵艦隊は、まだ展開を完了していません! 反転し、全火力を集中すれば、包囲が完成する前に突破できます!」
決断までに残された時間は、数分もない。だが、エーリッヒは即答しなかった。
退く。それは即ち、この作戦そのものの失敗を意味する。
久方ぶりの好機と喧伝し、統合作戦司令部まで巻き込んだ作戦を、補給拠点へ一撃も加えないまま放棄する。
それは、認められるものではない。
「――否。前面の補給拠点まで、あと僅かだ。目標を陥落させれば、後方の敵部隊も継戦の意味を失う。前進を継続する」
「敵は我々を殲滅するために展開しています! 拠点を落としても包囲は解けません!」
「前進しろと言っている!」
エーリッヒの怒声が、作戦室を満たした。その瞬間、戦域図の後方で、赤い光点の列が閉じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
事態は坂を転がるように悪化する。
最初に崩れたのは、第九艦隊だった。
右翼外縁部に展開していた駆逐艦群へ、小惑星の陰から敵艦隊が殺到する。
無数の砲撃が一斉に暗黒を走り、一隻の駆逐艦の防御フィールドが砕けた。
船体を貫いた砲撃が機関区画へ達し、艦尾が内側から爆ぜる。その残骸を避けようとした巡航艦が隊列を乱し、空いた間隙へ敵のプレデター級が突入した。
「第九艦隊右翼、防御線を突破されました!」
「旗艦〈カルバドス〉、推進器に被弾。行動不能! 司令部機能を巡航艦〈ヴァリアント〉へ移譲します!」
「第九艦隊へ第三予備戦隊を送れ」
「できません! 連絡線が、伏兵となっていた敵艦隊に分断されています」
直後、左翼で光が弾けた。
第五艦隊へ向け、前方の補給拠点固定砲台、側面の伏兵艦隊、後方の増援部隊――三方向から大小数百条の砲撃が降り注ぐ。
防御フィールドが連続して明滅し、一隻、また一隻と、青い光点が戦域図から消えていった。
「閣下。既に第五、第九艦隊との相互支援は不可能です。このままでは各個撃破されます」
「まだだ! 敵拠点を目前に撤退などできようか!」
第二艦隊は、前進を続けていた。
戦艦群を前面に並べ、防御フィールドを重ね合わせながら補給拠点へ接近する。
主砲が一斉に火を噴き、数十の高出力ビームが拠点の防御フィールドへ突き刺さる
「敵拠点外縁部に損傷!」
「見ろ! 敵の防御は破れる! 全艦、正面へ火力を集中しろ!」
エーリッヒが拳を握る。だが、正面へ火力を集中させたその瞬間、第二艦隊の側面が開いた。
小惑星の影から現れたプレデター級群が、一斉に砲撃を放つ。
戦艦〈アウグスト〉の側面で防御フィールドが砕け、装甲を貫いた砲撃が艦内を焼き払い、数秒遅れて融合炉が誘爆した。
全長七百メートルの船体が、三つに折れる。
三個艦隊の陣形は、もはや一つの艦隊とは呼べない状態になっていた。
分断された艦艇群が、小惑星の間でそれぞれ個別に戦っている。
数の優位は、統合連邦軍側にあった。だが、敵の位置を把握できず、互いに支援し合えない状況では、その数に意味はなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦闘開始から六時間。互いに消耗を押し付けながら戦闘は続いている。
「第二艦隊右翼、防御フィールド発生艦、大破! 外縁部のフィールドが消滅します!」
「第五艦隊所属、巡航艦十七隻が戦列を離脱! 孤立している模様!」
「補給艦隊への敵部隊接近を確認!」
報告は途切れなかった。
戦域図に映る青い光点は、開戦当初の半数にまで減っている。前方の補給拠点は、依然として赤い光を放っていた。
外縁部に損傷は与えている。固定砲台も幾つか破壊した。だが、拠点中枢は健在だった。
「もう少し、もう少しだ……補給拠点さえ落とせば、流れは変わる」
エーリッヒは、誰に聞かせるでもなく呟いた。その言葉に、応える者はいなかった。
戦域図の中で、青い光点がまた一つ消えた。
既に、消失の声を上げる者はいなかった。報告すべき艦が、あまりにも多すぎたからだ。
「大将閣下」
ハインリケの声は掠れていた。
「このままでは、三個艦隊が全滅します。艦隊としての陣形は、既に維持できておりません。航行可能な艦だけでも、この宙域から脱出させるべきです」
「それでは敗走ではないか!」
「既に我々は敗北しています! どうか命令を!」
ハインリケの裏返った叫びが作戦室に響き、長い沈黙が流れた。
その間にも、青い光点は消え続けた。
第九艦隊の中央部が崩壊し、第五艦隊の後方にいた補給艦艇が敵に呑み込まれる。
第二艦隊の旗艦周辺にすら、敵艦艇が接近し始めていた。
「――わかった」
やがて、エーリッヒの口から、掠れた声が漏れた。
「全艦、離脱行動へ移行。突破口を形成し、開いた場所から抜けろ」
命令が下る。しかしそれは、あまりにも遅かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
統合連邦軍の戦域離脱は、整然とした撤退ではなく、混乱を伴う壊走となった。
航行可能な艦艇は、最寄りの敵部隊へ砲撃を浴びせながら、それぞれ異なる方向へ進路を取った。
動けなくなった艦を守る余裕はない。
救難信号を発する艦艇の横を、味方艦が通り過ぎていく。
損傷艦から射出された脱出艇の多くは、回収されることなく、暗黒の中へ置き去りにされた。
第九艦隊の残存艦は小惑星帯上方へ進路を取り、敵の薄い箇所へ集中砲火を浴びせた。
先頭を進む巡航艦が防御フィールドを失いながらも敵陣へ突入し、船体を盾にして後続艦のための突破口を開く。
ハウンド級二隻を巻き込んで爆散したその後を、十数隻の艦が強引に通過した。
第五艦隊は左右に分断され、一方は外縁部へ、もう一方は恒星方向へ離脱を試みた。
第二艦隊は旗艦〈グロリアス〉を中心に残存艦艇を集め、砲撃を繰り返しながら小惑星帯を抜けた。
後衛を担った巡航艦が一隻、また一隻と撃沈されていく。それでも、残された艦艇は進み続けた。
包囲から脱するまでに、さらに四時間を要した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦闘終結後。旗艦〈グロリアス〉の作戦室には、機器の作動音だけが響いていた。
三個艦隊、艦艇総数三千百十七隻。生還、七百十一隻。撃沈、または航行不能による放棄及び自沈処分、二千四百六隻。乗員の死者、行方不明者は、五十万を超えた。バイオロイドまで含めると、その数はもはや数えることすら億劫だった。
対するアトラム側の損害も、決して小さくはなかった。
事後の分析では、敵艦隊も統合連邦軍と同数に近い艦艇を失ったと推定されている。
損害の数字だけを見れば、痛み分けだ。しかし、アトラムは補給拠点を守り切った。
統合連邦軍は何一つ戦略目標を達成できないまま、三個艦隊の大半を失った。
疑いようのない大敗だった。
「……統合作戦司令部への報告書は、私が起案します」
感情の籠らぬ声音でハインリケは言った。しかし、エーリッヒは何も答えない。
立体投影装置には、まだ戦闘終了時の戦域図が映し出されたままだった。
かつて三千を超える光で満たされていた画面に、青い光点はほとんど残っていない。
その向こうでは、デュランタ第三小惑星帯後方の補給拠点を示す赤い光が、変わることなく灯り続けていた。
エーリッヒは、長い間、その光から目を離すことができなかった。




