第39話 - 人の影に潜むもの
航海は順調に進み、クレイドルは静かにテロスとの距離を縮めていた。
そんな折、脚部の解析が完了したという報告を受け、私はザルツやライズが解析を進めている、倉庫を改修した解析所へ向かった。
艦の修復と並行して進められてきた数々の調査の中でも、あの脚の解析結果は、これから先の判断を左右しかねない重要な材料となるはずだった。
解析所の隔壁が静かな駆動音とともに左右へ開く。
内部へ足を踏み入れた瞬間、鼻をつくのは消毒薬と金属の匂い、その奥に微かに混じる生臭さだった。
床には新たに敷設された電源ケーブルや冷却配管が走り、各装置の状態を示す表示灯が規則正しく点滅を繰り返していた。
部屋の中央では、問題の脚部が巨大な固定架台に拘束されたまま静かに横たわっている。剥き出しになった繊維状の組織は照明を受けて湿ったような鈍い光沢を放ち、その周囲には採取した組織片を収めた密閉容器や分析装置が並んでいた。
「おお、艦長。ちょうど良いところに」
作業台に向かっていたザルツが、私に気付いて顔を上げた。その傍らには、白衣に似た作業着を纏った細身のライズの姿もある。
「それでザルツ、解析が終わったというのは、本当か?」
「ええ。ライズと協力して、一通りの解析は終えました。もっとも、まだ全てを理解できたわけではありませんが……」
ザルツはそう言うと端末を操作し、解析結果をまとめた資料を投影する。空中に浮かび上がった図表には、脚部の断面を幾重にも輪切りにした画像が並んでいた。
「まず構造面ですが、やはりこいつは、金属と有機物が同じ組織の中に共存している、としか言いようがありません。しかも、互いに機能を補い合うように配置されている。関節部分の駆動機構なんかは、生体の筋繊維によく似た伸縮構造が、金属の骨格を動かしている形になってまして」
「機械の技術で、生物の仕組みを模しているのか、それとも逆なのか」
「俺の見立てじゃ、どちらか一方を後から取り入れた、というより、最初から一つの生命体として設計されているように思います。単純な後付けでこの精度は出ません」
ザルツの言葉に、隣に立つライズが頷く。
「生体側の観点からも、同じ印象です」
その声は、瞳に宿る強い探究心とは対照的に、いつも通り落ち着いていた。
「装甲材は、外部からエネルギーを与えることで、極めて高い自己修復能力を発揮することが確認されました。ただし、修復には内部に蓄えられた原料も必要になるようです」
「つまり、装甲そのものが生きているということか」
「ただ、一つ理解しておいてほしいことがありまして」
「何だ?」
「今回、あの脚を切り落とせたのは、あくまで幸運だったということです」
「幸運とは、どういうことだ?」
「あの個体、起動した時点で残存していた原料が少なかったようでして」
ライズが静かに言葉を継ぐ。
「もし、あれが万全の状態だったとしたら――防衛隊が携行している集光銃程度の火力では、恐らく傷一つ付けられなかったはずです」
その指摘に、私は鋭く息を呑んだ。
ザルツが端末を操作する。幾つかの攻撃パターンに対する耐久データが、グラフとして表示された。
「熱や光を主体とする攻撃には、かなりの耐性を示しています」
「熱や光による損傷は、照射時間に応じて徐々に蓄積しますが、装甲材はその損傷を自己修復機能で補ってしまいます」
ライズの補足に、私は眉を寄せた。
「……では、何が弱点になるんだ?」
「爆発による衝撃波や質量弾のような、構造全体へ力を伝える攻撃が比較的有効であることが分かっています」
「つまり、自己修復能力を上回る一撃を、一度に叩き込む方が有効ということか」
「仰る通りです。中途半端な攻撃は、むしろ相手を利するだけかもしれません」
私は投影された脚部の映像へと目を向けた。
金属の骨格、それを覆う筋組織、外側を這う神経、そして体内を巡る血液に似た液体。あの脚は単なる機械の部品ではなく、生物の身体にも似た精巧な機構を備えている。
未知の生命体――いや、機械生命体とでも呼ぶべき存在。その正体こそ依然として謎のままだが、少なくとも戦い方と構造については、一つの指針を得ることができた。
「よく分かった。これだけの情報が得られただけでも、大きな成果だ」
「とはいえ、解析できたのは、あくまで脚一本だけです。本体となれば、まだ未知の部分の方が遥かに多いでしょう」
ザルツは肩を竦める。
「艦長」
ライズは一瞬だけ、言葉を選ぶように視線を伏せる。
「脚の件とは別件になりますが……先日救出した、あの女性の件です」
その一言に、私は足を止めた。
「経過は順調だと聞いていたが……何か問題か?」
「問題はありません。バイタルは着実に安定しており、生命活動にも危険な兆候は見られません」
ライズは端末に表示された数値の推移を私へと示した。脈拍、体温、脳波に相当すると思われる信号――そのいずれもが緩やかに上向いている。
「いつ目を覚ましても、おかしくない状態です。今日か明日か、あるいは一週間後か――そこまでは、私にも読み切れませんが、その時が近いことだけは確かです」
「分かった。何か変化があれば、すぐに報告を」
「承知しました。……目を覚ました際に、彼女がどのような反応を示すか、私にも予測がつきません。念のため、対応の手順だけは、あらかじめ決めておいた方がよろしいかと」
「もっともだな。クレイと相談して、手筈を整えておく」
「ありがとうございます。艦長」
一礼するライズの淡々とした口調の奥に、わずかな緊張を感じながら、私は解析所を後にした。
振り返ると、彼女は既に端末へと向き直り、いつもの静かな所作で作業を再開している。
あの女性が目を覚ました時、一体何を語るのか。それを想像すると、脚の解析結果とはまた違う種類の重さが、胸の奥にのしかかってきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
解析所を出た私の端末に、今度はベルからの通信が届いた。
『艦長さん! ちょっと報告あるんですが!』
そういえば、数日前にも似たような切り出し方で通信をよこしてきたことがあった、と私はふと思い出す。
「今度は何だ?」
『今度は、って酷くないですか!? 結構重要な話ですよ!』
「前は、食堂の新メニューに関する報告だったが?」
『それも重要な報告だったでしょう?』
「少なくとも、艦長に直接報告する内容ではないと思うがな」
『えー、そうですか?』
相変わらずの調子に、思わず苦笑が漏れる。
「分かった。それで、今度は本当に重要なんだな?」
『もちろんです! ノアからの報告ですから!』
ノアの名を聞き、私は僅かに意識を切り替えた。
「……最初からそう言え。すぐに会議室へ向かう」
『むー、何か私の時と反応が違いませんか?』
「気のせいだ」
『絶対違いますよね!?』
「ベル」
『何ですか?』
「会議室だ」
『……はい』
どこか不満げな返事を最後に、通信が切れた。
相変わらず騒がしい。だが、先ほどまで解析所で聞かされていた話の重さを思えば、その騒がしさが今は少しだけありがたくも感じられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
会議室に入ると、既にクレイが待機していた。正面の投影装置にはベルとノアの光像が並び、その周囲には幾つもの恒星系を示す星図が浮かんでいる。
「それで、何が分かった」
『女性の所持していた電子媒体から復元された記録についてです』
口火を切ったのはノアだった。
『大部分は破損していましたが、幾つかの航行記録と事故報告を復元することができました。年代は、ラウルディエルが活動していた時期と概ね一致します』
「事故報告?」
『はい。こちらをご覧ください』
星図の一部に、赤い光点が次々と灯った。
一つ、二つではない。
テロスを中心として複数の恒星系へ伸びる航路。その先に存在する星系の各所に、赤い点が散らばっている。
「……随分多いな」
『復元できた記録だけでも、相当数に上ります。いずれも当時、トレーズゲートを介した転送網と接続関係にあった星系です』
トレーズ恒星系を中心に枝分かれする航路網。その各所で、同じ時期に事故が起きている。
「事故の内容は?」
『船舶の喪失、通信途絶、施設の機能停止など様々です。当時は原因不明とされていましたが、一部には映像記録も残されています』
星図の脇に映像が表示された。酷く荒れてはいるものの、四本の脚と黒い外殻を持つ姿は見間違えようがない。
「……黒蜘蛛か」
『はい。他の記録にも同様の個体が確認されています』
映像が切り替わる。採掘船の船内、貨物区画、施設の通路。場所は違えど、そこに映っているのは同じものだった。
「ラウルディエルだけじゃなかったんだな」
『はい。少なくとも当時、黒蜘蛛はテロス周辺の複数の星系で確認されていたようです』
「原因は?」
『分かっていません。当時も調査は行われていたようですが、発生源を特定するには至っていません』
私は改めて事故記録へ目を通した。採掘船の喪失。輸送船の通信途絶。鉱石集積所での事故。精錬ステーションの閉鎖。
しばらく眺めているうちに、その並びに違和感を覚えた。
「……採掘船が多いな」
『はい。船舶に限れば、採掘船が最も多く、次いで輸送船となっています』
「施設は?」
『鉱石の集積施設、精錬施設が多いですね』
ベルの答えを聞いて、以前ザルツから見せられたものを思い出した。
「クレイ。ラウルディエルから回収した個体の、最初の映像を出してくれ」
「こちらです」
星図の横に、脚を折り畳んだ黒蜘蛛の姿が浮かび上がる。
改めて見ると、やはり奇妙だった。黒蜘蛛だと知っていればそう見える。だが、知らなければ、形の崩れた鉱石か金属塊にしか見えない。
「……ザルツが、鉱物に似ていると言っていたな」
「はい。休眠状態では、外見から判別することは困難とのことでした」
私は事故記録へ視線を戻した。
「採掘船で見つかって、次が輸送船。その先で集積所や精錬施設……」
『艦長さん?』
「こいつら、運ばれてたんじゃないか?」
ベルの表情から、僅かに笑みが消えた。
『……鉱石に紛れて?』
「ああ。採掘した時に鉱石と共に船に積んだ。そこで目を覚ませば採掘船で被害が出る。目を覚まさなければ――」
『そのまま次へ運ばれる』
ノアが続ける。
「そういうことだ」
しばらく誰も口を開かなかった。やがてノアが星図を操作すると、赤い光点の間を幾つもの航路が結んでいく。
『……それなら、この分布にも説明がつきます』
テロスから周辺星系へ伸びる航路と、黒蜘蛛が確認された場所。その二つは、ほとんど重なるように広がっていた。
少なくとも、二百五十年前の人類の活動圏には、既に黒蜘蛛の影が紛れ込んでいた。
そして私たちもまた、ラウルディエルで同じものを拾っている。
「だが、なぜ軍艦に、奴らが……?」
こぼれた言葉に対する答えは、誰からも返ってこなかった。




