第37話 - 次に向けた準備
居住区の一角を改装して造られた訓練施設は、ヴァイスやバレットを中心とした戦闘特化型のバイオロイド達が入り浸るエリアとなっている。
住民たちが利用する緑地帯として造成された場所は、観測情報によって判明しているテロスを模した環境を再現しており、その一部は艦内戦闘を想定した構造に改装されていた。
そこでは、仮想敵――黒蜘蛛を模した標的を用いた訓練が行われている。むろん、そのまま再現する事はできないが、高速で動き回る相手に対する射撃訓練は、役に立つと考えられていた。
今回の迎撃戦に投入されたバイオロイド達は、その大部分が施設管理用のバイオロイドであった。
彼らの生体脳には、戦闘用の行動規範や最適な動作を実現させるプリセットは組み込まれておらず、それが今回の戦闘で被害を拡大させた一因でもあった。
戦闘用のプリセットがなくとも、多少なりとも経験を積んでおけば、いざという時の醜態は減らせる――そう考えたヴァイスとバレットは、手の空いた施設管理担当のバイオロイドたちへ戦闘技術を教え込み、どこまで対応できるようになるかを見極めようとしていた。
模擬標的――黒蜘蛛を模したフレームが、油圧の駆動音を立てながら訓練区画の中央を這い回っていた。
その周囲を、四体の施設管理担当バイオロイドが、遮蔽物を頼りに位置を変えながら包囲していく。指示を出しているのは、防衛部隊所属の一体だった。
「三番、右の遮蔽へ。二番はそのまま、標的の側面を切れ」
簡潔な指示に従い、四体はそれぞれの位置へ滑り込む。動き自体に大きな乱れはない。命令された通りに動き、命令された通りに撃つ――それだけならば、既に十分な水準に達していた。
しかし、いざ標的が動きを変えた瞬間、綻びが生じた。
側面を狙っていた個体が射線を確保する間に、包囲の輪の反対側にいた個体が、既に発生していた射線と重なる位置へ踏み込んでしまう。
かろうじて誤射は免れたものの、指示役の声には、僅かな苛立ちが混じった。
「止まれ。今の位置取りは、味方の射線を塞ぐ形になっている」
「申し訳ありません。標的の動きに合わせて距離を詰めることを優先しました」
施設管理担当の一体が、機械的な口調でそう答える。判断そのものは間違っていない。だが、その判断が、他の個体の動きと噛み合っていなかった。
少し離れた位置からその様子を見ていたヴァイスが、小さく息を吐いた。
「やっぱり、そう簡単にはいかないか」
「個々の判断能力は、決して低くないわ。むしろ、指示への反応速度は防衛部隊の平均値を上回っているほどよ」
隣に立つバレットが、手元の端末に表示された数値を確認しながら言う。
「問題は、連携か」
「ええ。戦闘用プリセットがあれば、部隊全体の動きを意味のある行動として判断できる。でも、彼らにはそれがない。個々の最適解を積み上げるだけでは、全体の最適解には届かない、と言うことかしらね」
バレットは、模擬標的の脇で立ち往生している四体を見やった。
「プリセット、入れてみるよう意見を上げるか?」
「それができれば、苦労はしないわ」
バレットは端末の表示を切り替える。個体ごとの生体脳の使用領域を示す図が投影された。
「彼らの生体脳には、既に本来の担当業務に関する知識や行動プログラムが、最適化された状態で格納されている。戦闘用プリセットを新たに導入するには、相応の記憶領域が必要よ」
「容量が足りないか」
「ええ。一度知識と経験をリセットして、戦闘用個体として再調整が必要でしょうね。知識だけを無理に導入すれば、既存の業務知識を圧迫し、本来の職務に支障が出る可能性があるわ」
バレットは腕を組み、しばらく黒蜘蛛の模擬標的を睨みつけた。
「じゃあ、あいつらは一生、半端なままか」
「半端、というのは正確ではないわね。適性個体を選抜し、業務知識を整理した上で、限定的な戦闘プリセットを導入する余地はある」
「悠長にしてる暇はないんだがな」
「そんなの、私も分かってるわよ」
二人の会話は、そこで一旦途切れた。その視線が、再び模擬標的へと戻る。
模擬標的の脇では、指示を受けた四体が、先ほどの失敗を踏まえて位置取りをやり直している。動きはまだ硬い。しかしその動きは先ほどよりも良くなっているように見えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
訓練場を訪れた私に気づいたヴァイスとバレットが、揃って端末を置き、敬礼をして出迎える。
「これは、艦長」
「なに、道すがら寄っただけだ。……調子はどうだ?」
「ご覧の通り、こちらはまだ苦労しています」
ヴァイスが、模擬標的の脇で位置取りをやり直す四体へ視線を向けた。
「ですが、方向性は見えてきました。後ほど報告書を上げさせてもらいます」
バレットが、ほんの僅かに口の端を上げた。
「経験の有無はいざという時に差が出るものだ。地道だが、続けてくれ。……ところでライズが、二人に検査を受けてほしいと言っていたぞ。何度も連絡していたらしいが……見てないのか?」
二人は、僅かに気まずそうに顔を見合わせた。
「……申し訳ありません。訓練を優先しておりました」
「今すぐ向かいます」
「気合いを入れるのはいいが、訓練もほどほどにな」
バレットが端末を仕舞い、足早に立ち上がる。ヴァイスもそれに続いた。二人の背を見送りながら、私は小さく苦笑した。
現場を預かる者ほど、自分のことを後回しにする――そういう性分らしい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヴァイスたちと別れ、その背を見送りながら、私は艦内が少しずつ戦時から平時へ戻り始めていることを実感していた。
私はベルとノアを伴い、食堂へと足を向ける。
農業区画での生産が本格化したことで、様々な食材を使った料理が、バイオロイドたちにも振る舞われるようになっている。
本来、バイオロイドは必要以上の休息も食事も必要ないように設計されている。当初のクレイドルでの生活においては、食事と睡眠は、常に最低限のものでしかなかった。
それが今では、強制していないにもかかわらず、連日食堂は盛況になるほどだった。人類と同等の感覚器を持つ彼らにとって、食事は単なる栄養補給以上の意味を持っていたということだろう。
「バイオロイドも、やはり人間と同じように、考え、感じ、思考と感情を制御できるのですね」
自身の考えが正しかったのだと、ミーシャはこちらを見ながら穏やかに微笑む。
傍らのテーブルの上では、ノアとベルが相変わらずどうしようもないことで言い合っている。
しかし、それは食堂の一角を彩る一つの要素でしかない。今の艦内には、和やかな空気が満ちていた。
「マスター、今日は少し豪華にしてみました。少し調理法にも工夫を」
ミーシャがそう言って、湯気の立つ皿をテーブルへ並べていく。焼き上げられた野菜と、香ばしい匂いを漂わせる肉料理。
流動食や固形食糧をかじっていた時期を思えば、信じられないほどの進歩だった。周囲に漂う匂いだけで、自然と頬が緩んでしまう。
「随分と豪華になったものだ」
「頑張った甲斐がありましたね」
ミーシャは柔らかく笑う。その表情には、戦闘の緊張からようやく解放された安堵が滲んでいた。
「戦いの日は、生きた心地がしませんでしたが、こうして皆で無事に食卓を囲めるのですから、これほど嬉しいことはありません」
ミーシャの言葉を聞きながら、私は温かな料理へ目を落とした。
捕獲剤の生成や食料管理など、目立たない働きの一つひとつが、戦闘を終えた今の日常へ繋がっている。その事実を、湯気の向こうに改めて実感していた。
「そういえば、修復に当たっている皆さんの分も、少し多めに用意しているんです。疲れている時こそ、しっかり食べてもらわないといけませんから」
「気が利くな」
「これくらい、当然のことです」
ミーシャはそう言って、追加の皿をワゴンへ載せていく。誰に頼まれるでもなく、こうして目に見えない気配りを重ねていく姿は、彼女らしい献身そのものだった。
食堂には、以前よりも多くの顔ぶれが並ぶようになっていた。ラウルディエルから回収された個体たちが、それぞれの持ち場で働き、こうして食卓を囲む姿は、もはやこの艦の当たり前の光景になりつつある。
賑やかな話し声と、食器の触れ合う音が、静かだった食堂に確かな生活の温もりを取り戻していた。
「ノア、艦にはもう慣れたか」
私が問いかけると、テーブルの端に投影されたノアの光が、僅かに揺れた。
『少しずつ、ではありますが』
「ベルにいじられて、大変じゃないか」
『……否定はできません』
その律儀な返答に、周囲から小さな笑いが漏れる。
「あら、ノアさんも大変ですね」
ミーシャが、くすくすと笑いながら言葉を添えた。
「でも、ベルさんなりに、可愛がっているんだと思いますよ」
『それは……分かってはいるのですが』
ノアの光が、困ったように瞬く。個性のかたまりのようなベルの横では何かと翻弄されてしまうようだ。
『心外ですね、ミーシャさん。私はいつだって真面目に接してますよ』
テーブルの隅に投影されたベルが、不満げに声を上げた。
『おしゃべりに熱中するあまり、業務用の通信帯域を圧迫したのは、つい先日のことでは?』
すかさずノアが切り返す。
『あ、あれは事故です』
『事故で三十分も回線を専有できるものでしょうか』
珍しく言い返されたベルが、言葉に詰まる。その様子に、テーブルを囲む面々から小さな笑いが起きた。
ラウルディエルで最期を迎えたはずのノアが、こうして新しい日常に馴染みつつある様子は、私にとっても密かな喜びだった。
かつて失われたはずの存在が、形を変えて、こうして誰かと笑い合える場所を見つけている――。
それだけで、この長い航海にも、確かな意味があるように思えてならなかった。




