第36話 - 日常への回帰
黒蜘蛛への対抗策を話し合ってから数日、艦内は慌ただしい修復作業に追われていた。
ザルツの指揮の下、作業は昼夜を問わず続けられ、外殻に穿たれた穴も、応急処置とはいえ徐々に気密性を取り戻している。
通路には溶接の火花が散り、工具の奏でる金属音が絶え間なく響く。焼け焦げた壁面は塗り直され、破損部には新たな装甲板が取り付けられていた。
日を追うごとに戦いの傷跡は覆われ、クレイドルは少しずつ本来の姿へ戻りつつある。
『いやぁ、しかし派手にやってくれましたなぁ』
通信越しに聞こえるザルツの声には、いつもの豪快さが戻っていた。
表示された映像では、修復区画の人工重力が停止され、鋼製フレームが宙を漂っている。整備班は磁気ブーツで身体を固定し、小型マニピュレータを操りながら、巨大なフレームの位置を調整していた。
黒蜘蛛が残した爪痕は深い。天井や壁には、今も鋭く抉られた傷が残っている。
「すまんな。余計な仕事を増やして」
『何を仰いますか。傷ついた艦を直すのが、俺たちの仕事です。それに――』
ザルツは周囲を一瞥し、肩を竦めるように笑った。
『あの化け物を退けられたんです。壁の一枚や二枚、安いもんです』
「一枚や二枚で済んでいないから、苦労を掛けているわけだが」
『そりゃそうだ。これは参りましたな! はっはっは!』
豪快な笑い声が通信越しに響く。すると、作業を続けていた整備班の何人かが顔を見合わせ、僅かに表情を緩めた。
以前なら、ザルツがどれほど笑おうと、彼らは反応を示さず工具を動かし続けていただろう。
ベルとノアが施した調整は、感情の抑制を僅かに緩めるだけのものだった。だが、その変化は確かに現場へ表れ始めている。
視線を交わし、笑い、互いを気遣う。
作業能力が大きく変わったわけではない。それでも、同じ艦で働く仲間としての一体感は、少しずつ育ちつつあった。
ザルツの号令を合図に、休憩を終えた班が作業中の班と入れ替わる。
短い引き継ぎを終えると、宙を漂う鋼製フレームが再び動き始めた。接近警報の合間を縫い、マニピュレータが巨大な鋼材を静かに運んでいく。
「修復状況は、予定通りか」
『ええ。むしろ少し前倒しで進んでおりますな。ヴァイスが寄越してくれた戦闘記録のおかげで、損傷箇所の優先順位と補強すべき場所をすぐに割り出せました』
「さすがだな」
『現場だけでは艦は直りません。戦った連中が正確な記録を残してくれたからこそです』
私は通信を繋いだまま、修復作業を眺めた。戦闘記録から修復箇所が選定され、必要な資材が運び込まれ、次の工程へ引き継がれていく。
以前なら、その一つひとつに私やクレイの指示が必要だった。今は、それぞれが役割を理解し、自ら判断して次へ繋げている。
その流れは、既にクレイドルの日常として根付き始めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
医療区の一角には、薬品と金属の入り混じった匂いが満ちていた。
窓と扉で隔てられた処置室では、損傷したバイオロイドたちが白い診療台の上に横たわっている。
身体の一部を抉られ、四肢の先を失った個体も少なくない。損傷部は既に整えられ、生体組織の壊死を防ぐため、培養液へ浸されていた。
切断面からは、骨格の代わりを担う金属フレームが覗いている。
術衣に身を包んだライズは、そのうちの一体へ向き合い、黙々と手を動かしていた。
傍らの搬送台には、生体培養施設から届けられた交換用の生体部品が並んでいる。それぞれの個体に合わせて製造され、適合性試験を終えたものだった。
ライズが必要な部品を取り出すと、遠隔操作されたアームが剥き出しのフレームへ接続していく。
駆動を確認した後、神経束と筋組織が一本ずつ繋ぎ合わされる。気の遠くなるほど繊細な工程だったが、ライズの手に迷いはなかった。
全ての接合を終えると、栄養活性処置が開始される。透明な管から薬液が送り込まれ、萎えていた組織へゆっくりと血の色が戻っていく。
失われた身体を数日かけて再生する、長い修復工程の始まりだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私が医療区画へ顔を出しても、ライズは作業に没頭し、こちらへ気づく様子はなかった。
声を掛けようと一歩踏み出した、その時だった。
『艦長さん、ストップです』
聞き慣れたベルの声に足を止める。通路脇にはベルの立体映像が浮かび、その隣にノアも投影されていた。
「ベルにノア? どうしてここにいるんだ」
『ライズさんに呼ばれたんですよ』
ベルが胸を張る。
『今回の修復で得られる損傷データを、細かく解析してほしいって頼まれまして。フレームの破断状況から、生体組織への応力伝達まで記録してるんです』
『損傷の発生要因や応力の集中箇所を解析すれば、次世代フレームや装甲設計へ反映できます』
ノアが補足する。
『今回の戦闘は、多数の実損傷データを取得できた初めての事例です』
『だからライズさん、ものすごく集中してるんですよ』
ベルは処置室へ視線を向けた。
『艦長さんが話しかければ、返事はしてくれると思いますけど……』
『作業精度へ影響する可能性があります』
ノアが言葉を継ぐ。
『機能回復に関わる繊細な工程です。あと十分ほどお待ちいただくことを推奨します』
「分かった。終わるまで待とう」
『それにしても、ノアさんは相変わらず堅いですねぇ』
待つ間、ベルがぽつりとこぼした。
『もう少し、砕けた感じになってくれたらいいのに』
『心外です』
ノアの声に、僅かな硬さが滲む。
『艦載AIとは、収集したデータに基づいて情報を分析し、人類の決定を支援する存在です。あなたのように感情へ左右される方が、不自然なのではありませんか』
『またそれですかぁ。これだから軍工廠製のAIは融通が利かないって言われるんですよ』
ベルが、うんざりしたように肩を落とす。
『艦長さんは、どっちがいいと思います? 私とノアさん』
急に話を振られ、私は少し考えてから答えた。
「どちらにも、それぞれいいところがあると思うぞ。ただ、ベルがもう一人増えたら大変そうだ」
『ちょっと、それどういう意味ですか! 私、そんなに問題児じゃないですよね!?』
「問題児とは言っていない。一人でも十分賑やかだからな」
『賑やかって、褒め言葉ですよね?』
「どう受け取るかは任せる」
『えぇ……』
ベルが不満そうに唇を尖らせる。その様子を見つめていたノアが、ふと口を開いた。
『艦長。このような会話は、日常的に行われているのですか』
「ああ……まあ、そうなるな」
『理解しました』
ノアは僅かに間を置いた。
『これが、クレイドルの日常なのですね』
「いや、ベルが特別なだけだと思うぞ」
『えっ、私だけなんですか!?』
「艦長の仰る通りですね」
背後から静かな声が割り込んだ。
『ええ!? ライズさんまで!?』
振り返ると、いつの間に作業を終えたのか、ライズが立っていた。彼女はベルの抗議には答えず、私へ向き直る。
「艦長、お待たせしました」
「終わったのか」
「はい。機能停止に至った十七体については、修復処置を終えました。あとは数日かけて生体組織の定着を待つのみです」
ライズは淡々と報告を続ける。
「軽度・中度の損傷を負った四十七体も、既に全個体が任務へ復帰しています。今回の戦闘による喪失個体はありません」
その言葉に、私は小さく息をついた。誰も欠けることなく元の姿を取り戻しつつある。それは何よりの安堵だった。
「構造についても、確認できたことがあります」
ライズが端末を操作すると、金属フレームの断面図が空中へ投影された。赤や黄色の線が、各部へ集中した応力を示している。
「損傷個体を修復する過程で、敵の攻撃を受けた際の破断傾向を確認できました」
断面図の一部が拡大される。
「攻撃を正面から受けた場合と、斜めに受け流した場合では、フレームへ伝わる応力の分布が大きく異なります。姿勢制御によって、損傷を軽減できる可能性があります」
『簡単に言えば、受け方が上手ければ壊れにくくなるってことです』
ベルが横から補足する。
『今までは硬くする方向ばかり考えていましたけど、衝撃を逃がすこともできそうなんですよ』
『正確には、衝撃を一点へ集中させず、フレーム全体へ分散させます』
ノアが続ける。
『姿勢制御と構造の最適化を組み合わせれば、近接戦闘時の損傷率を低減できる見込みです』
ライズが頷く。
「受け流しに適した装甲構造も組み合わせれば、近接戦闘用個体の設計思想そのものを見直せるかもしれません」
『黒蜘蛛のような相手とも、もっと長く戦える個体を作れるかもしれませんね』
『現時点では推測です』
ノアがすぐに釘を刺す。
『ただし、今回得られた実測データには、十分な研究価値があります』
「フレームと生体組織の接続部についても、新たな知見が得られました」
ライズの淡々とした口調に、僅かな充実感が滲んでいた。
「それと、艦長にお願いがあります」
「何だ」
「ヴァイスとバレットに、医療区画で検査を受けるよう伝えていただけますか。何度か通信を送っているのですが、訓練を優先して来てくれません」
「分かった。必要なら艦長命令として伝えよう」
「助かります」
ライズは短く答えると、次の診療台へ向き直った。
私は彼女に別れを告げ、ベルとノアを伴って、居住区の一角を改装した訓練施設へ向かった。




