第34話 - 残された一肢
観測窓の外には、変わらぬ暗闇が広がっていた。
先ほどまでの喧騒は消え、艦内には空調ダクトの低い唸りだけが響いている。だが、戦いの爪痕まで消えたわけではない。
鳴り響いていた警報の残響が、いまだ耳の奥にこびり付いているような錯覚を覚えた。
戦闘終結から数時間後。艦橋に併設された会議室には、迎撃戦に携わった者たちが集まっていた。
「まずは、皆、よくやってくれた」
私が切り出すと、席に着いた面々が静かに頷いた。
戦いは終わった。それでも、誰の表情にも緊張の名残が残っている。
とりわけ、迎撃を指揮したバレットとヴァイスには、その色が濃かった。バレットの制服からは微かに焦げた匂いが漂っていたが、本人は意に介した様子もなく、背筋を伸ばして席に着いている。
クロムとクレイは既に端末を操作し、会議の準備を進めていた。
テーブル中央にはノアを形作る光が浮かび、その傍らにはベルが立っている。普段なら沈黙に耐えかねて何かと口を挟む彼女も、今は黙ったままだった。
ミーシャは会議に参加する面々へ、穏やかな所作で飲み物を配っていた。
「皆様、お疲れ様でした。どうぞ、お召し上がりください」
湯気の立つカップが一人ひとりの前へ置かれ、紅茶の香りが焦げた匂いの残る会議室へ広がっていく。
本来なら、この場にはザルツの姿もあったはずだ。しかし彼は、損傷した外殻の修復を指揮するため、今も現場を離れられずにいた。
私のすぐ近くでは、ヴァイスが端末を操作している。
展開された複数のウィンドウには、迎撃点の映像や各部隊からの報告が時系列順に並べられていた。
その視線が、一つの映像で止まる。
「ヴァイス、何か気になることでもあるのか」
「はい。こちらをご覧ください」
ヴァイスは映像を会議卓中央へ投影した。敵性個体が電磁投射砲に貫かれ、消滅した瞬間だった。
「対象が消滅する直前です」
再生速度が落とされ、貫通孔の周囲が拡大される。
敵性個体の内部が一瞬だけ強く発光し、その光は外へ広がることなく、中心へ向かって急速に収束した。
光が消えた時には、敵性個体の姿も残っていなかった。
「爆発ではないな」
「光が外側へ広がらず、内側へ収束しています」
クレイの言葉に、ノアが続く。
『対象の内部には、極めて高いエネルギー密度を持つ反応炉が存在していたものと推測されます。致命的な損傷によって制御を失い、自己分解に近い反応を起こした可能性があります』
「つまり、自壊したということか」
『あるいは、意図的に自壊するよう設計されていたのかもしれません』
ベルが映像を指し示す。
『単なる暴走なら、エネルギーは外へ放出されるはずです。でも、これは対象の内側へ収束している。捕獲や解析を防ぐための仕組みに見えませんか?』
会議室に、重い沈黙が落ちた。
もしベルの推測が正しければ、この個体は自身の痕跡を残さないよう、あらかじめ設計されていたことになる。
「敵性個体――ひとまず〈黒蜘蛛〉と呼ぶが、こいつはこちらへの警告も威嚇も行わなかった。遭遇した瞬間から攻撃してきた以上、人類に友好的な存在とは考え難い」
『否定できる材料はありません』
ノアが静かに答える。
「実際に対峙した身としては、単なる本能だけで動いていたとは思えません」
バレットが口を開いた。
「追い詰められた後に逃走へ切り替えた判断も、あまりに合理的でした」
「私も同感です」
ヴァイスが続ける。
「迎撃中も、損傷を受けるたびに進路と動作を修正し、突破の可能性が高い手段を選び続けていました。相応の判断能力を持っていると考えるべきでしょう」
『それで、一つ気になったんですけど』
ベルが身を乗り出す。
『あの個体、最後はどこへ逃げようとしていたんでしょう?』
その視線がクロムへ向けられた。
「最後に確認した進路は、船首方向です」
「ああ。おかげで電磁投射砲の射線が通しやすかった」
ヴァイスの言葉を聞き、ベルは航宙図へ視線を移した。
『追い詰められた状況で逃走先を選んだのなら、その先を安全だと判断した可能性があります』
その指先が、航宙図上の一つの天体を示す。
『……テロス』
ノアの呟きが、会議室に重く響いた。逃走経路だけを見れば、黒蜘蛛はテロスへ向かっていたことになる。
偶然と片付けることもできる。だが、この場にいる誰も、その結論を素直には受け入れられなかった。
「……何かの糸口をつかむ必要があるな」
誰も答えない。全員が航宙図に映るテロスを見つめ、それぞれの思考へ沈んでいた。
その静寂を破るように、会議室の扉が勢いよく開いた。
「艦長! 報告です!」
飛び込んできたのは、ザルツだった。
修復現場からそのまま駆けつけてきたのだろう。額には汗が滲み、作業着の袖は肘までまくり上げられている。指先には煤が残り、片腕には分厚い資料端末が抱えられていた。
「ザルツ、修復作業はどうした」
「一段落つきましたんで、少しだけ抜けてきました。それより、先に報告しておきたいことがありましてな」
ザルツが空いていた席へ腰を下ろすと、ミーシャが冷えた飲み物を差し出した。
「ありがとうございます」
それを一息に飲み干し、大きく息をつく。
「奴が隔離区画を突破した後、迎撃部隊が切り落とした脚を回収していたんですが……」
会議室の空気が再び張り詰めた。
「消えていなかったのか」
「ええ。本体から切り離され、艦内に残っていた部分だけは消滅しなかったようですな」
「なぜ、今まで報告がなかった?」
「誰かさんが船体に風穴を開けてくれましたからね。まずは、そちらの応急処置を優先しておりました」
その皮肉に、会議室へ小さな苦笑が広がる。船体を貫いてでも迎撃を優先するよう命じたのは、他でもない私だった。
ザルツは端末を操作し、保管庫の映像を投影した。低温保存された黒蜘蛛の脚が、重厚な台車の上へ横たわっている。
全長は約一・五メートル。人の胴ほどもある太さで、切断面からは黒く変色した組織が覗いていた。
外殻には幾何学的な溝が刻まれ、関節部には生物の骨格とも機械の機構ともつかない、複雑な構造が露出している。
「既に解析は進んでいるのか?」
「本格的な解析はこれからです。今は外観の記録と初期調査を始めたところですな」
映像が切り替わり、切断面が拡大される。
黒く炭化したような組織の内部には、金属とも生体組織とも判別できない層が幾重にも重なっていた。
「金属成分は確認できましたが、同時に有機物と思われる反応も出ています。生物なのか、機械なのか。今のところ、断定はできません」
ザルツが肩を竦める。
「ですが、一つ興味深い発見がありましてな」
「興味深い発見?」
「構造を調べるため、低出力の電流を流してみたんですが」
映像が切り替わった。隔離障壁の内側へ固定された脚部に、数本のケーブルが接続されている。
技術員が送電装置を作動させた瞬間、黒く焼け焦げていた切断面が青白い光を帯びた。
外殻に刻まれた幾何学模様も淡く発光し、脈打つように傷口へ光が集まっていく。
やがて裂けていた外殻がゆっくりと閉じ始め、亀裂が時間を巻き戻すように消えていった。
切断面からは細い繊維が伸び、失われた本体へ繋がろうとするように蠢いている。
「……自己修復か」
「はい。脚一本から本体が再生するようなことはありませんでした。ですが、外部からエネルギーを与えた途端、活動を再開して修復を始めたことは間違いありません」
私は映像に映る脚部を見つめた。
「クレイ、この脚の解析にはライズも加えてくれ」
「医療官のライズを、ですか」
「ああ。金属構造の解析はザルツたちに任せられる。だが、この反応は機械の自己修復というより、生体組織の治癒に近い」
「工学と医学、双方の視点が必要だと」
「そういうことだ。生物と機械のどちらかに決めつければ、重要なものを見落とすかもしれない」
クレイは静かに頷いた。
「かしこまりました。ライズへ協力を要請いたします」
「頼んだ」
ザルツも大きく頷く。
「助かりますな。うちの技術班だけでは、正直お手上げでした」
その素直な物言いに、張り詰めていた空気が僅かに緩んだ。
「引き続き解析を進めてくれ。何か分かり次第、報告を」
「了解しました。では、現場へ戻ります」
ザルツは席を立つと、足早に会議室を後にした。扉が閉まり、その足音が廊下の奥へ遠ざかっていく。
会議卓の中央には、自己修復を続ける黒蜘蛛の脚だけが映し出されていた。




