第33話 - 静かな終幕
ブリッジの一角。
一連の防衛戦の指揮権をヴァイスへ委ねた私は、クレイやクロムと共に、中央に投影された状況図を見つめていた。
バレットとの通信を終えたヴァイスは、戦術端末から目を離さない。
「対象消失。バレットの報告と一致しています」
誰も言葉を発しなかった。
更新を続ける状況図に、新たな反応は現れない。数十秒が過ぎても、消えた光点が戻ることはなかった。
「クロム。そちらでも異常はないか」
「現時点で、周辺センサーに有意な反応は確認されていません」
ひとまずは、望んでいた結果が出揃っていた。ヴァイスは状況図を操作し、状況終了を示す表示を追加する。
「各部署へ通達。状況終了、通常警備態勢へ移行――艦長、指揮権を返上いたします」
その瞬間、ブリッジに流れていた電子音が不意に途切れた。
『ちょっと待ってください』
ベルが呆れたように割り込んできた。ヴァイスの手が止まる。
「何だ、艦載AI」
『何だ、じゃないですよ。皆さん、すっかり片付いた空気になってますけど、ちょっと楽観的すぎません?』
「対象は排除された。センサーにも反応はない。何を疑う必要がある」
『そこなんですよ。あれだけラウルディエルの戦闘員を苦戦させた相手が、万全ではなかったとはいえ、こんなにあっさり消えますか?』
「感覚論だな。推測だけでは判断材料にならん」
『感覚だって馬鹿にできませんよ。正式に終了を宣言するのは、もう少し様子を見てからでも遅くないと思います』
二人のやり取りを聞いていた私は口を挟んだ。
「ベルの言い分にも一理ある。慎重すぎるくらいで、ちょうどいい局面だ」
「艦長まで、そう仰いますか」
ヴァイスが小さく息をついた。
「クロムはどう見る」
「戦術的には成功です。敵性反応は消失し、再出現の兆候もありません」
クロムは一度言葉を切った。
「ですが、その結果は過去の行動傾向と整合しません。これまで観測した個体は、損傷を受けても攻撃を継続していました。今回だけ例外となる根拠を、私は見出せません」
ブリッジが静まり返る。ヴァイスは状況図を見つめたまま、しばらく動かなかった。
「……分かりました。状況終了の通達は保留します」
『分かってくれれば――』
ベルの言葉が終わるより早く、新たな通信が割り込んできた。
『こちらザルツ』
「どうした。何か異常か?」
『それなんですが、まだ終わってないようです』
その一言に、ブリッジの空気が凍りついた。
『例の金属塊。念のため発信機を取り付けておいたんですが……まだ反応してます』
ベルのホログラムが大きく揺らめく。
『……だから言ったでしょう。とはいえ、喜んでる場合じゃありませんね』
「位置を出せ」
ヴァイスの声が、瞬時に指揮官のものへ切り替わった。艦周辺の位置図が投影される。
光点は、先ほど集光砲によって穿たれた破孔の縁にあった。ゆっくりと、しかし確実に移動している。
「まさか、生きているというのか」
『船外カメラの拡大映像を送ります』
映像が切り替わる。宇宙空間に晒された破孔の脇を、敵性個体が傷ついた身体を外殻へ這わせながら移動していた。
三本残っていた脚のうち、二本は根元から失われている。残る一本も外殻が大きく損壊し、内部機構を露出させていた。
傷口から漏れた黒い液滴が、真空中で白く凍りつき、細かな結晶となって尾を引いている。
「自己再生が止まっています。修復へ回すだけの余力が残っていないのでしょう」
クレイが静かに分析する。それでも敵性個体は、破孔から遠ざかるように進み続けていた。
「――逃げているのか」
あれほど苛烈だった個体が、今は明確にクレイドルから距離を取ろうとしている。自己保存を優先したのだろう。だが、それは見逃す理由にはならない。
この個体が再び現れない保証はない。我々に関する情報が、他の個体へ伝わらないとも限らなかった。
「ヴァイス」
「はっ」
「電磁投射砲の使用を許可する。逃走を許すな」
「かしこまりました。電磁投射砲、射撃準備。照準開始」
ヴァイスが端末を操作すると、艦の外観図に船体側面の大口径砲塔が強調表示された。
砲身が標的へ向けて旋回を始める。
「エネルギー充填、開始」
砲塔基部のゲージが少しずつ満たされていく。発電設備から送られた電力が、幹線ケーブルを通じてキャパシタへ集約されていた。
「充填率、五十パーセント……七十……」
オペレーターの報告が続く。私は船外映像から目を離さなかった。敵性個体は残された一本の脚で外殻を掴み、身体を僅かずつ前へ引き寄せている。
その動きは鈍く、先ほどまでの脅威的な姿は見る影もなかった。
それでも、止まらない。生き延びようとする執念だけが、今もその身体を動かしていた。
「弾殻装填、完了。照準固定、自動追尾開始」
「充填率、九十五パーセント。まもなく発射可能です」
金属質の弾殻が磁力によって砲身内部へ固定される様子が、断面図として投影される。
「充填率、百パーセント。発射シークエンス完了」
その報告を受けたヴァイスは、一拍も置かなかった。
「――撃て」
「電磁投射砲、発射します」
次の瞬間、艦全体へ低い振動が伝わった。砲塔内部で解放された莫大なエネルギーが、弾殻へ集約される。
磁場に導かれたそれは砲身を駆け抜け、光の尾だけを残して視界から消えた。
ブリッジの全員が、船外映像を見つめていた。敵性個体は、こちらを振り返ることもなく、ただ破孔から遠ざかろうとしている。
船外映像の端へ、一筋の光が飛び込んだ。弾殻は一瞬で距離を詰め、敵性個体の胴体を真正面から貫いた。
衝撃と共に外殻内部の構造が弾け飛ぶ。心臓を思わせる球状の隆起が砕け、漏れ出た体液が真空中で凍りついた。
残された脚が力なく宙を掻く。次いで全身へ亀裂が走り、敵性個体の身体は薄い硝子細工のように砕け散った。
無数の破片が恒星の光を反射しながら、静かに宇宙の闇へ広がっていく。
「対象の完全消滅を確認」
『発信機からの信号も、完全に途絶えました』
ヴァイスの報告に、ザルツの声が続いた。ブリッジに、しばしの静寂が満ちる。
「クレイ、周辺の残存反応は」
「検出されません。破片の熱源反応も急速に低下しています」
「クロム」
「こちらでも異常な反応は確認されておりません」
二つの報告を聞き、私はようやく詰めていた息を吐き出した。
「今度こそ、間違いなく、か」
「はい」
ヴァイスが静かに答える。
「対象の完全な消滅を確認しました。これにて、一連の防衛作戦を終了いたします」
『いやぁ、今度こそ本当に終わりましたね』
ベルの声には、いつもの軽さが戻りつつあった。その根底には、確かな安堵が滲んでいる。
「ご苦労だった、ヴァイス。バレットたち防衛部隊の皆にも、よく伝えてくれ」
「かしこまりました」
防衛態勢の解除が発令されると、張り詰めていた艦内の空気は、少しずつ本来の流れを取り戻していった。
警戒配置についていた部隊は持ち場を離れ、整備班は外殻の損傷確認へ向かう。医療区画では負傷者の収容が始まり、工業区画では消費した弾薬の補充計画が組まれていく。
数百年前、ラウルディエルを――ひいてはトレーズ星系の人類を蝕んだ悪夢の一端が、ようやく終わりを迎えた。
だが、私の胸には一つの疑問が残っていた。そこまでの脅威にしては、その最期はあまりにも呆気ない。
モニターに映る暗闇には、もう何も見えなかった。砕けた欠片さえ、宇宙の闇へ溶け込んでしまっている。
まるで、最初からその程度の存在でしかなかったかのように。




