第31話 - 開かれる戦端
事前の策を話し合った後、ブリッジへ移動した私の前では、迎撃に向けた準備が慌ただしく進められていた。
正面に浮かぶ球体レーダーには隔離区画周辺の見取り図が投影され、その上を幾つもの緑色の光点が移動している。
ヴァイスの指揮の下で展開されつつある防衛部隊と、各所へ搬入される資材の位置を示すものだった。
「捕獲剤の生成、進捗は」
私が問いかけると、ミーシャの声が端末越しに返ってきた。
『穀物を圧縮し、特殊な樹脂を混ぜ込んで粘着性を高める処理を進めています。もう少しお時間をいただければ』
「急いでくれ」
『はい。ですが、品質を落とすわけにはいきませんので』
ミーシャの声には、いつもの柔らかさの中に、確かな職人気質のようなものが滲んでいた。急かされていることは理解している。それでも、使い物にならないものを送り出すつもりはないらしい。
一方、隔離区画周辺では、迎撃設備の照準調整と部隊展開が同時に進められていた。
「第三、第五砲塔、隔離区画へ射線を固定。第一小隊は東側通路、第二小隊は後方隔壁へ展開」
『了解。第三砲塔、角度調整完了』
『第五砲塔、射線確保しました』
ヴァイスが次々と各部署へ指示を飛ばしていく。その口調は淡々としていたが、一切の無駄がなかった。
「艦長」
クロムが険しい表情のまま、私へ向き直った。
「人員の退去は八割まで完了しています。ただし、隔壁の閉鎖と近傍区画の封鎖には、今しばらく時間を要します。現状で対象が起動した場合、完全な包囲は困難かと」
「分かっている。ザルツ、そちらはどうだ」
『補強作業は完了しました! ただ、あの区画の隔壁は予想以上に脆くなっておりましてな! どこまで持つかは、こちらでも予測できません!』
ブリッジの端末に表示された隔壁の推定強度は、補強を終えた今も、本来の七割にすら届いていない。
「ザルツ、そこはもういい。退避しろ」
『承知しました!』
人員の退去も、区画の封鎖も、捕獲剤の生成も、確かに完了へ近づいている。だが、隔離区画の映像を前にすると、その全てがあまりにも遅く感じられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
準備もいよいよ大詰めといった様相を呈している。その最中だった。
「マスター。隔離区画より、緊急信号を受信しました」
クレイの声が鋭く響き、その言葉を聞いた私は勢いよく立ち上がった。
「対象――金属塊に、エネルギー反応が確認されました」
正面の立体映像が切り替わり、隔離区画の監視映像が大きく投影される。
先ほどまで沈黙していたはずの塊が、内側から淡い光を放ち始めていた。折り畳まれていた四本の脚がぎこちなく震え、少しずつその形を解いていく。
継ぎ目のように見えていた線が、まるで生き物の関節のように滑らかに動き始めた。金属質の外殻は、内部から漏れる光を透かし、鈍く赤黒い輝きを見せている。
やがて最後の脚が床を捉えると、黒灰色の巨体がゆっくりと持ち上がった。
全高はおよそ二・五メートル。四本の脚に支えられた姿は、巨大な蜘蛛にも似ていた。だが、外殻の隙間から赤黒い光を漏らし、微かに脈動する様子は、明らかに生物のものだった。
頭部と思しき部分に、目に該当する器官は見当たらない。代わりに、正面に並んだ複数の突起がそれぞれ異なる方向へ動き、周囲を探るように微かに震えていた。
『……起動を確認。対象、完全に覚醒したものと判断します』
ノアの声が、僅かに震えを帯びていた。
映像の中で、敵性個体が一歩、二歩と隔離区画の床を踏み締める。硬質な音が、静寂を破って響いた。
機関部で受けた損傷が残っていたのか、右前脚の付け根だけは外殻の閉じ方が甘い。
「……間に合わなかったか」
胸の奥に悔しさが込み上げる。だが、今はそれを引きずっている時間はなかった。
「捕獲剤の準備は」
『第一便は届いていますが、散布には少しかかります』
バレットの言葉と共に、迎撃点の映像が映し出される。
「隔離区画は突破されるか……」
私は即座に判断を下した。
「ヴァイス、事前の迎撃計画を変更する。後方に迎撃点を設定し、各防衛部隊へ遅滞戦闘を指示。クロムは区画を選定し、迎撃に必要な通路の封鎖を進めろ。各砲塔はヴァイスの指定した座標へ照準を再設定だ」
「了解しました」
「承知いたしました」
ヴァイスの指が球体レーダー上を走り、隔離区画から伸びる複数の通路が瞬時に選別されていく。その中の一つ、隔離区画から二区画離れた比較的広い交差通路が赤く強調表示された。
三方から集中砲火を浴びせられ、敵の逃げ場となる分岐も限られている。
「ここを迎撃点とする。第一から第四小隊は遅滞戦闘を行いながら対象の進路を限定し、交差通路へ誘導。第五小隊、第六小隊は迎撃点周辺へ展開。指揮はバレットに委ねる」
クロムは退避状況を確認しながら隔壁閉鎖を進め、ヴァイスは迎撃陣地の再配置を矢継ぎ早に指示していく。
映像の中で、隔離区画の隔壁が鈍い金属音と共に内側から歪んでいく。補強を加えた隔壁が、ゆっくりと中央から膨らんでいた。
次いで、金属の裂ける甲高い音と共にその一部がひしゃげ、僅かに開いた隙間から脚の先端が突き出される。
先端が隔壁の裂け目へ食い込むと、左右へ押し広げるように動いた。金属板が悲鳴を上げ、まるで薄い紙を破るかのように穴が広がっていく。
「対象、隔離区画の隔壁を突破! 通路への侵入を確認!」
「進行方向は」
『第七区画方面。このまま直進した場合――』
ノアの声が僅かに強張った。
『ドライブコアの保管区画に到達します』
「ドライブコアを目指しているのか?」
断片的な記録の中で見た、あの群がる影の映像が脳裏を過る。あれと同じことが今、このクレイドルの中で起きようとしているのだとしたら、自由に進ませるわけにはいかない。
球体レーダーへ視線を戻す。敵性個体の進路と迎撃点。その後方に、ドライブコアを配置できる保管用区画があった。
「迎撃点の後方まで、ドライブコアを移動させろ」
私の命令に、クレイが僅かに間を置いた。
「囮として使用されるおつもりですか」
「ああ。奴が本当にドライブコアを目指しているなら、こちらで進む道を選ばせられる。保管区画へ自由に向かわせるよりはましだ」
「敵性個体に奪取される危険があります」
「だから迎撃点の後方だ。全火力を通過しなければ辿り着けない位置へ置く。万が一、迎撃線を突破された場合は、コアを後退させた上で区画ごと封鎖する」
クレイは僅かな沈黙の後、私へ向き直った。
「承知いたしました。搬送ユニットを手配します」
球体レーダー上へ新たな経路が描かれる。それは安全な場所へ退避させる道ではない。敵をこちらの望む場所へ誘い込むための道筋だった。
ラウルディエルの最期を招いた元凶が、今度は自分たちを守るための切り札として使われる。何とも皮肉な話だった。
『艦長』
ミーシャの声が通信へ割り込んだ。
『捕獲剤の第二便が完成しました。十分な熟成時間を取れておりませんので持続性は保証できませんが、迎撃点周辺で使用する分は確保されています』
「十分だ。バレット、受け取って配置を急げ」
『承知しました。散布装置への充填後、迎撃点の前方へ展開します』
程なくして捕獲剤が迎撃点へ到着し、バレットの部隊が通路床面への散布を開始した。
粘度の高い黄褐色の物質が、交差通路の床から壁際へ向けて広げられていく。量は十分とは言えない。それでも、敵の脚を一瞬でも止められるなら、その一瞬が生死を分ける。
「迎撃部隊、配置完了しました」
ヴァイスが告げた。
交差通路を囲むように防衛部隊が配置され、砲座の射線も迎撃点へ集中している。
「よし……あとは、そこへ誘導するだけだ」
「対象、進路変更しました。迎撃点まで、およそ十五分」
通路を進む影の姿が、艦内のカメラ映像に映し出される。四本の脚が壁や床を選ばず、縦横無尽に這い回っていた。
時折天井にまで這い上がり、逆さまの姿勢で進んでは、再び床へ降り立つ。
「第一小隊は後退を開始。射撃は脚部へ限定。分岐へ進ませないことを優先しろ。手痛い反撃がくることを教えてやれ」
ヴァイスの指示に従い、進路上で待ち構えていた防衛部隊が一斉に射撃を開始した。
その多くは対象を捉えることはできなかったが、着地を狙った複数の光条が影の脚を焼き焦がす。
特に、外殻の閉じ方が甘かった右前脚。その関節部を覆う装甲が、隔壁を突破した衝撃によって完全に外れていた。
『右前脚の付け根に火力を集中しなさい!』
バレットの指示に従い、防衛部隊が集光銃を撃ち放つ。
立て続けに照射を受けた右前脚の付け根が、沸騰するように泡立った。露出していた内部構造が赤熱し、その周囲から黒い体液のようなものが溢れ出す。
しかし、それよりも早く次の光条が突き刺さり、内部構造を融解させた。
やがて右前脚が、本体から切り離される。
『脚部一本を切断しました。……ですが、止まりませんね』
切断面から飛び散った黒い体液が、空気に触れた途端、意思を持つかのように蠢き、傷口を覆い始めた。
傷跡は瞬く間に、薄い膜のようなもので塞がれていく。
「再生している……のか?」
「完全な再生ではないようです。あくまで、応急的に損傷部位を覆っただけかと」
ヴァイスが冷静に映像を分析する。
「関節が上手く動いていないな」
クロムの言葉に、ノアが応じた。
『機関部で受けた衝撃による損傷が残っている可能性があります。当該個体は、ドライブコアの緊急操作による爆発の際、既に何らかの損傷を負っていたものと推測されます』
だが、その動きは決して鈍いままではなかった。
「徐々に動作が最適化されています」
クロムの声に緊張が走る。影は残された三本の脚の動きを補正するように姿勢を変え、奇妙なほど滑らかさを取り戻しつつある。
損傷そのものを学習し、克服しようとしているかのようだった。
遅滞戦闘を行う防衛隊を強引に突破した敵性個体は、そのままドライブコアを目指し、一直線に進む。
そして迎撃点の手前へ到達した瞬間、床一面へ散布されていた捕獲剤が、その脚へ絡みついた。
三本の脚が粘着質へ深く沈み込み、引き上げようとするたびに太い糸を引く。一歩、そしてまた一歩。影の歩みは明らかに鈍り、やがて止まった。
「敵性個体、停止しました」
オペレーターが声を上げる。
「捕獲剤は有効だな」
私は安堵の息を漏らした。だが、それも束の間だった。
影が、再び動き始める。関節の可動域を変え、体重のかけ方を変え、拘束から逃れるための動作を試している。
「学習能力まで持っているというのか」
思わず漏れた呟きに、誰も答えることができなかった。
敵性個体は少しずつ前進を再開し、三方からの射線が交差する位置へ近づいていく。
周囲を固めた防衛部隊は微動だにせず、その瞬間を待ち構えていた。
罠は、既に仕掛け終えている。あとは獲物が、最後の一歩を踏み入れるのを待つだけだった。




