第30話 - 招き入れたモノ
程なくして、通信ウィンドウにザルツの顔が映し出された。既にノアもベルの横に立ち、ザルツの映るウィンドウを見つめている。
『呼び出しとは珍しいですな、艦長。何かありましたか?』
その表情には、いつもの豪快な笑みが浮かんでいる。何気ない日常の延長のような、その気安さが、今はかえって不釣り合いに感じられた。
「例の金属塊のことだ。詳細な確認をしたい」
『ああ、あれですか。分かりました、映像を送りましょう』
ザルツが端末を操作すると、通信映像が切り替わる。投影されたのは、隔離区画の監視映像だった。
厚い隔壁によって他区画から完全に遮断された小部屋。その中央には、回収時のまま固定架台へ載せられた例の金属塊が静かに横たわっている。
照明は最低限まで落とされ、周囲には解析用のマニピュレーターと監視装置が並ぶだけで、人影は一つもない。
『発見以来、状況に変化はありません』
ザルツが説明を続ける。
『外観検査のみ実施しておりますが、熱源反応、電磁反応ともに変化なし。念のため直接接触は避け、遠隔操作で管理しております』
空中に映し出された金属塊は、以前見た時と何一つ変わっていなかった。
折り畳まれた脚のように見える溝。鈍い光沢を放つ黒灰色の外殻。生命の気配など微塵も感じさせない、ただの無機質な塊。その姿だけを見れば、誰もが「動くはずがない」と思うだろう。
その映像を見た瞬間、テーブルの上のノアの光が、大きく揺らいだ。
『……これは』
「どうした」
ノアの周囲へ複数の解析ウィンドウが展開される。
交戦記録。隔離区画の映像。二つの映像が並べられ、関節部、外殻形状、損傷位置が高速で重ね合わされていく。
静まり返った私室に、演算を示す微かな電子音だけが響いた。数秒にも満たない時間だった。
しかし、その沈黙は妙に長く感じられた。
『これは――先ほどまでお話していた交戦記録の中に映っていた個体と同一の物です』
艦長室の空気が、一瞬で凍りついた。誰もが、たった今耳にした言葉の意味を咀嚼するのに、僅かな時間を要していた。
『四肢の関節構造、外殻の質感、全体のシルエット。変形していますが、全て、記録に残る敵性個体の特徴と一致します』
ノアは一拍置き、静かに結論を告げた。
『これは――敵性個体そのものです』
誰も言葉を発しなかった。静まり返った私室の中で、投影された金属塊だけが無機質な光を返している。
つい先ほどまで、ただの回収品だと思っていたもの。それが、ラウルディエルを壊滅寸前まで追い詰めた敵だった。
その事実は、ゆっくりと現実味を帯びながら胸の奥へ沈んでいく。
「……もっと早くに気付いておくべきだった」
私はたまらず額に手を当てた。
機関部で発見された時点で、交戦記録と照合していれば、もっと早く正体へ辿り着けたのではないか。
そんな後悔が頭を過る。
まさか、あの惨劇を引き起こした存在を、自分たちの手で艦内へ運び込んでいたとは。その事実の重さに、背筋が冷たくなる。
『ですが、反応は今のところ、全くありませんぞ?』
ザルツの声には、いつもの豪快さの中に、僅かな戸惑いが混じっていた。
『発見時から今まで、エネルギー反応もゼロのままです。ただの金属の塊にしか見えませんが』
『それは、休眠状態にあるものと推測されます』
ノアが即座に応じた。
『交戦記録によれば、一定以上のダメージを負った個体が、動きを止めた後、しばらくしてから活動を再開したとあります』
『あー……確かに。自己修復機能を持つ個体にはありがちですね』
ベルが、珍しく真剣な声色で補足する。
「つまり、今は眠っているだけで、いつ目を覚ますか分からない、ということか」
『はい。今この瞬間にも動き出すことを想定すべきです』
ノアの返答に、私は小さく息を吐いた。楽観を許さないノアに、それでも、心のどこかで「大丈夫だ」という言葉を言って欲しいと期待してしまう自分がいる。
ラウルディエルの最後の記録が脳裏を過る。
――決して船外へ出すな!
あの時は、過去の記録として受け止めていた。だが今、その言葉は、私自身が下すべき命令へと変わっていた。
「ザルツ」
『はっ!』
「隔離区画の防備を固めてくれ。人員の再配置、物理的な障壁の増強、万が一の時の迎撃案、あらゆる対策を講じておきたい」
『了解しました! こちらでも、区画周辺の補強を急ぎましょう』
ザルツの声にも、先ほどまでの陽気さは鳴りを潜め、代わりに引き締まった緊張が滲んでいた。
「クレイ」
「何でしょうか」
「戦闘要員は、今どれだけ動かせる状況だ」
私の問いに、クレイは僅かに思案するような間を置いた後、答えた。
「警備部隊は六個小隊百五十名です。また、ラウルディエルより回収した戦術統制指揮型のバイオロイド二体が、復旧作業を完了しております」
「戦術統制指揮型?」
「はい。戦術管制、及び戦闘指揮に特化した個体です。ラウルディエル艦内で回収後、損傷部位の修復と記憶領域の整合性確認を進めておりましたが、既に全工程を終了しています」
ラウルディエルの生存者――
厳密には違う。彼らは人間ではない。だが、そう呼んでも差し支えない存在だった。
あの艦で最後まで戦い続け、数百年という時を越えて、今こうしてクレイドルの中で再び目を覚ましている。
彼らは敵と実際に交戦し、生き延びた数少ない当事者でもある。その経験は、今の私たちにとって何物にも代え難い戦力になるはずだった。
願ってもない報告だった。この状況で、専門の指揮官が待機しているというのなら、これほど心強いことはない。
「ちょうどいい。すぐに呼んでくれ」
「かしこまりました」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
程なくして、艦長室の自動扉が静かに開いた。
足音は二つ。どちらも一定の間隔を保ち、寸分の狂いもなくこちらへ近づいてくる。
先頭を歩くのは、長身で引き締まった体躯を持つ男性型バイオロイドだった。無駄のない動作で室内を一瞥すると、艦内の配置、人員、退避経路までを一瞬で確認したかのように視線を巡らせる。
その後ろには、小柄な女性型が半歩下がって続いていた。華奢な体格とは裏腹に、その眼差しには獲物を捉える狙撃手のような鋭さが宿っている。
二体とも、クロムやクレイとは纏う空気が違っていた。戦うために造られ、戦場で指揮を執るためだけに存在する個体。
それが、一目で分かった。
「艦長へ、着任のご挨拶を」
クレイの言葉を受けて、男性型のバイオロイドが一歩前へ進み、敬礼する。
「【TCU-4710-RLD-812】戦術統制指揮型個体です。戦術士官として設計されています」
続いて女性型も同じように敬礼した。
「【TCU-4710-RLD-802】同じく戦術統制指揮型。射撃戦闘指揮を担当します」
淀みのない報告だった。数百年もの眠りから目覚めたとは思えない。まるで、今この瞬間まで現役で任務に就いていたかのような緊張感を纏っている。
私は二体を見渡してから、小さく頷いた。
「やはり番号は味気ないな」
二体は微動だにしない。名前の有無など、自分たちには関係ないと言わんばかりだった。だが、それでも私は自己意識を持つ個体を番号で呼ぶつもりはなかった。
「812番、お前は――ヴァイスだ」
「ヴァイス、拝命いたしました」
「802番は……少し無理やりだが、バレットだな」
「バレット、拝命いたします」
二人は短く応じた。
その声色に喜びも戸惑いもない。ただ、新たな名を自らの識別情報として静かに受け入れている。
それでも、その名を口にした瞬間から、彼らは単なる番号ではなく、一人ひとりの存在として私の中に刻まれた。
「歓迎会といきたいところだが、今は時間がない」
「「はっ」」
私は隔離区画の映像を二人へ向けた。
「この金属塊だ。ラウルディエルの交戦記録と照合した結果、敵性個体そのものである可能性が極めて高い。現在は休眠状態と推定されている」
ヴァイスは映像へ視線を向けたまま尋ねる。
「活動再開の兆候は」
「現時点では確認されていない」
「承知しました」
返答に迷いはなかった。彼の瞳には恐怖も驚きも映らない。ただ、敵として認識した対象を、どのように排除するかだけを考えているようだった。
私は彼らに、迎撃方針を尋ねる前に、一つ考えていたことを口にする。
「まずは機動力を封じたい。あの異常な速度だ、真正面から戦って勝てる相手じゃない」
ラウルディエルの交戦記録を思い返しても、犠牲の大半は敵の機動力に翻弄された結果だった。ならば、最初に奪うべきは攻撃力ではなく、その脚だ。
「艦長の見識に同意致します。行動を制限できなければ、狭い艦内ではこちらの損害が拡大します」
ヴァイスはそのままの姿勢で、私の考えを肯定する。
「方法はあるか?」
今度はバレットが一歩前へ出る。
「農業区画の備蓄資材を転用できる可能性があります。高粘度の捕獲剤を生成し、関節部へ直接射出すれば、一定時間ですが運動性能を著しく低下させられると考えます」
「トリモチのようなものか」
「はい。簡易的なものですが、機動力の封殺という目的には十分有効です。ミーシャ管理官と連携し、直ちに準備へ移ります」
私は小さく頷いた。派手さはない。だが、こういう泥臭い方法こそ、生き残るためには必要なのだろう。生き残るためなら手段は選んでいられない。
「採用しよう」
「了解しました」
バレットは一礼すると、すぐにヴァイスへ視線を向けた。
「捕獲剤の生成はミーシャ管理官にお任せし、私は現地で指揮を執ります。いいですね、ヴァイス。」
「ああ、任せる」
ヴァイスはそう言って短く頷いた。二人のやり取りに、余計な確認はなかった。互いの役割を当然のものとして理解していることが、その短いやり取りだけで伝わってくる。
ヴァイスが静かに口を開く。
「……対象の拘束後は、大火力による同時攻撃を実施します」
映像から視線を外すことなく、その声だけが私室へ響く。
「損傷を与えるだけでは意味がありません。活動を再開する可能性を考慮し、敵の自己修復能力を上回る攻撃を叩き込みます」
「焼却……まさか集光砲を艦内で使うのか?」
「はい。中途半端は敵を利するだけかと愚考します。必要と判断した場合は、隔離区画ごと破壊する事も視野に入れて頂きたい」
その口調には一切の迷いがなかった。
「わかった……人員への被害は最小限に。施設への被害は考慮しなくていい」
「了解しました。近傍に設置されている集光砲の照準を隔離区画へ再設定します。また、敵が区画外へ出た場合に備え、迎撃線を複数段階で構築します」
ラウルディエルが数百年をかけて残した記録。その犠牲と教訓の全てが、この短いやり取りの中へ凝縮されているように思えた。
「クレイ統括管理官」
「何でしょうか」
「該当区画周辺からの人員退避、並びに集光砲から迎撃点までの経路上にある隔壁の閉鎖をお願いします」
クレイが私へ視線を向ける。その瞳には一瞬だけ迷いが浮かんだ。艦を守るために、自ら艦を傷つける。その判断を、私へ委ねているのだろう。
「……可能な限り応じてやってくれ。クレイ」
「承知いたしました。マスター」
クレイは即座に各区画への指示を開始した。
「感謝します、艦長。クレイ統括管理官」
「頼んだぞ、ヴァイス。バレット」
「「お任せください」」
二人は敬礼すると踵を返し、迷いのない足取りで艦長室を後にした。
その背中を見送りながら、私は静かに息を吐く。あくまで、念のための備え。そう自分に言い聞かせても、胸の奥に巣食う嫌な予感だけは、一向に消える気配がなかった。




