第28話 - 敵は、もういなかったのに
会議室に、しばしの沈黙が落ちる。
「……クレイ」
「はい」
クレイが端末を操作すると、これまで語られた情報が、時系列順に並び替えられていく。空中に浮かぶ図表には、簡潔な文言と共に、いくつかの時刻が刻まれていった。
淡々と整理されていく情報の羅列は、その裏にある凄惨な出来事とは対照的に、恐ろしく淡泊だった。
しばらくの沈黙の後、ミーシャがぽつりと呟いた。
「随分と、過酷な状況だったのですね……」
その声には、これまで聞いたことのないほどの静けさがあった。彼女の穏やかな気質をもってしても、この話には言葉を選ぶ必要があったのだろう。
私は静かにノアへと視線を向ける。数百年前、その光の向こうでは、人々が最後まで戦い続けていた。その記憶を宿す彼女を前に、会議室には重い沈黙だけが流れていた。
「ノア、続けてくれるか。残された人々が艦内でどう戦ったのか、詳しく知りたい」
『……了解しました』
ノアの光が、僅かに姿勢を正すように揺らめく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『徹底抗戦の方針が確定した後、艦内の各区画は、独自の判断で対応を続けています。まずは、最も詳細な記録が残っている、機関部周辺の状況からご説明します』
空中の映像が切り替わる。薄暗い通路の奥、支持架に守られたドライブコアの姿が映し出された。
これまで沈黙を保っていたクロムが小さく身を乗り出し、モニターへと視線を集中させる。ベルもまた、いつの間にか茶化す様子を消し、静かにその映像を見つめていた。
誰もが、これから語られる内容に、意識を研ぎ澄ませている。
『敵性個体の大部分が、艦の破壊よりも、ドライブコアそのものへの接触を優先していたようです』
「ドライブコアに……何をしようとしていたんだ?」
『不明です。ですが、複数の個体が群がり、コア外殻への接触を試みている様子が記録されています』
「艦を止めるため、ではないのか」
『その可能性は否定できません。しかし、推進系統や制御設備にはほとんど関心を示さず、コア本体への直接接触を繰り返していました』
破壊が目的なら、周辺設備を狙えばいい。だが、奴らはそうしなかった。
映像の中で、影の群れがコアを守る外殻へと近づいていく。まるで、外殻の内側に何があるのかを、初めから知っていたかのような迷いのない動きだった。
ドライブコアユニットの外殻とその周囲では、防衛部隊と思しき兵士たちが、即席のバリケードの後ろで隊列を組んで応戦している。
閃光が幾度も瞬き、影の一体が怯むように後退する様子も見えた。だが、決定打には至らない。押し込まれ、また押し返される、そんな攻防が繰り返されていた。
積み上げられたバリケードの残骸には、幾度となく補修が加えられた跡があり、この攻防がどれほどの時間続けられていたかを物語っていた。
『同時刻、別の個体群は、艦橋を含む指揮区画へ向けて移動していたことも確認されています』
「戦闘指揮所か……」
嫌な予感がした。
映像がさらに切り替わる。指揮区画へと続く通路を、複数の影が音もなく駆け抜けていく様子が映し出された。守るべき者たちの数に対して、あまりにも多勢に無勢な光景だった。
『記録上、艦長を含む上級指揮官のバイタルデータは、この頃を境に途絶えています』
ノアの声は努めて淡々としていたが、その内容の重さは変わらない。指揮を執るべき者たちが失われた。それはつまり――
「以降の対応は、現場の判断に委ねられた、ということか」
『はい。断片的なログからは、各部署が独自の判断で対応を続けていた様子が窺えます』
指揮系統を失ってなお、残された者たちは、それぞれの持ち場で自分にできることを模索し続けた。その事実だけで、私はどこか救われる思いがした。
『その後、機関部周辺では、防衛部隊が突破された事で敵性個体がコアへ直接接触できる状態になりました。機関部の人員はその対応にあたっています』
「機関部の人員が?」
『はい。この状況を受け、内側の機関制御を担っていた区画から、通常手順を無視した緊急操作が実行されています』
「緊急操作?」
『動力伝達機構へ、意図的にエネルギーを逆流させています。これにより、周辺の推進系統は暴走状態に陥り、結果として、ドライブコアを中心に余剰エネルギーが拡散され、周辺の構造物のほとんどが焼失しました』
私は、調査隊から送られてきた機関区画の映像を思い出していた。一方向に引き千切られたように歪んだフレーム。何かが一点から放たれたとしか思えない破壊痕。あれは、事故ではなかったのだ。
「待て。それはつまり……」
言葉にしようとして、喉が詰まった。
「機関部に残っていた者が、自分たちのいる区画ごと推進系統を焼いたのか。奴らを道連れにするために」
『可能性は高いと考えます。操作を実行した者の識別情報は特定できていません。ですが――』
ノアの声に、僅かな重みが加わった。
『結果として、コアへ接触していた敵性個体は、その大半が消失、あるいは機能停止に追い込まれたものと推測されます。ドライブコア本体が無事だったのは、恐らく、その頑強な防護構造によるものでしょう』
会議室に、重い沈黙が落ちた。誰かが、コアを守るために、自らの持ち場ごと敵を焼き尽くすという決断を下した。その決断を下した者の名前も顔も、もう永遠に分からないままだ。
私は小さく息を吐いた。名もなき誰かの決断が、今こうして、私たちがドライブコアを受け継ぐことに繋がっている。そう考えると、あの銀色の球体を見る目が、また少し変わる気がした。
「――これも、確定した事実ではないんだな」
『はい。当時、その場に居合わせた者にしか分からない事実が、まだ多く眠っているはずです』
ノアは、静かにそう答えた。
『続けます……同時刻、艦内では、もう一つの動きがありました』
「もう一つ?」
『生体研究施設への、人員及びバイオロイドの集約です』
空中に投影された艦内図の一角、あの培養施設のある区画が、赤く強調される。
「……あの女性が発見された場所か」
『はい』
ノアの声に、僅かな迷いのようなものが混じった。
『当該区画を指揮していたのは、艦の通常編成には含まれない人物でした』
「通常編成にない、というと?」
『権限ログを確認する限り、艦内のバイオロイドに対する指揮権限を有していた事は間違いありません。ですが、その人物がいつ、どのような経緯でラウルディエルに乗り込んだのか、記録からは判別できません』
「妙な話だな……乗員名簿には?」
『乗艦記録上は、正規の手続きを経た形跡がありません』
思わず腕を組んだ。正体不明の人物が、いつの間にかバイオロイドたちを従えていた。まるで幽霊のような話だが、ノアが淡々とそう語る以上、疑う余地もない。
「指揮権限まで持っていたとなると、ただの密航者、というわけでもなさそうだな」
『はい。単なる不法乗艦者であれば、私を含む艦内システムが、バイオロイドへの指揮権限を承認することはありません。正当な認証が行われた形跡だけは残されていますが、その認証過程と発行元が記録から失われています』
「まるで、最初からそこにいないことになっている、みたいな話だな」
『……そう表現しても、差し支えないかもしれません』
ノアの声に、僅かな戸惑いのようなものが混じった。この生真面目なAIをして、判断に迷わせるほどの異常事態なのだろう。
映像に、命令コードの断片が表示される。
【人間個体の保護。最優先対象:同乗中の民間調査員】
「培養施設で発見された女性は、民間調査員として同乗していた記録だけは残っているんだったな」
『はい。少なくとも、軍属ではなかったことは確かです』
「その謎の人物が、彼女を守っていた、ということか」
『はい。生体研究施設へのバイオロイドの集約と、人間を生体培養槽へ入れるという行為は、その人物の指示によって進められたと考えられます』
「なぜ、彼女がそこまで重要視されていたのかは……」
『分かりません』
ノアは、迷うことなくそう答えた。
『権限も、経歴も、目的も、はっきりしない人物が、なぜかバイオロイドへの指揮権を持ち、民間調査員である女性を守っていた。今のところ、記録から言えるのは、それだけです』
会議室に、静かな沈黙が落ちる。誰も、その先を無理に埋めようとはしなかった。
「なら、答えはどこにある」
『恐らく――彼女が身につけていた、あのペンダント型の記憶媒体の中に』
私は思わず、医療区画で見せられたあの細長い金属片を思い出した。
あの時は単なる遺留品程度にしか考えていなかったが、今こうして話を聞いていると、まるで違う重みを持って感じられる。
あの小さな物体一つに、これほど多くの謎が詰め込まれているとは、誰が想像しただろうか。
「中身については、まだ何も?」
『はい。解析は継続中です。憶測でお答えすることは避けたいと思います』
ノアの声には慎重さがあった。私は、小さく息を吐いた。
「では、艦がヘリオン付近を漂うに至った経緯は? 徹底抗戦の末に、そのまま力尽きた、ということか」
『――それについても、記録が残っています』
ノアの声に、僅かな翳りが差した。
『先の緊急操作によって、ドライブコアへ群がっていた敵性個体の大部分が排除された後――残存していた個体は、艦内から撤退したものと推測されます』
「撤退……逃げた、ということか」
『詳細な理由は不明です。ですが、それ以降の交戦記録は、艦内のどこにも残されていません』
「コアを狙っていた奴らが、それを残したまま退いたのか」
『はい。目的を達成できないと判断したのか、別の命令を受けたのか、あるいは損耗率が一定値を超えたためか。理由を特定できる記録はありません』
「なら、それに気付いて、皆逃げられたんじゃないのか」
私がそう言うと、ノアは静かに、しかしはっきりと否定した。
『――いいえ。生体研究施設に立てこもっていた人員は、その撤退に気付いていなかったものと考えられます』
「気付かなかった……?」
『艦内通信網の大部分は、既に機能を喪失していました。外部の状況を確認する手段を持たないまま、彼らはただ、最後に受けた命令――現在地を死守し、内部の者を守り抜くという指示に従い続けたのでしょう』
誰もが、言葉を失った。
『敵が去ったことも知らぬまま、彼らは再び訪れる襲撃に備え、その場に留まり続けたのでしょう。そして、限られた資源と電力の中で、一人、また一体と、機能を停止していったものと推測されます』
誰にも気付かれることなく、誰に看取られることもなく。それでも最後まで、与えられた役目を全うしようとしていた者たちの姿を思うと、胸の奥が締め付けられるようだった。
もし通信さえ生きていたなら。もし誰かが、外の状況を伝えられていたなら。そんな詮無い「もし」が、次々と頭をよぎる。だが、はるか昔に起きた出来事の結末を、今更変えることは誰にもできない。
「……敵は、もういなかったのに、か」
私は、気づけばそう呟いていた。声が、僅かに掠れる。
『はい』
ノアの声は、いつも通り抑揚が薄かった。だが、その一言には、重く沈むような響きがあった。
『そうして、指揮官不在のまま、動力の大半を喪失したラウルディエルは、慣性に従い、ヘリオンの重力圏付近を漂うこととなりました。……以上が、現時点で断片的な記録から再構成できる、事象の全容です』
誰に命じられることもない航海。託されたものを最後まで残し、ただ星々の間を漂い続けた長い年月。それが、あの朽ちた護衛艦の、本当の姿だったのだ。
ラウルディエルは、誰にも知られぬまま役目を終えた。
それでも、機関部で下された決断も、生体研究施設で守り続けられた命も、完全に失われたわけではない。その一部は、クレイドルの中に残されている。
ドライブコアとして、眠り続ける一人の女性として、そしてノアの記憶として。
「……少し休憩を挟もう」
私はそう言って立ち上がった。
あまりにも重い話を、これ以上一度に飲み込むのは難しい。誰もがそれぞれの形で、この事実と向き合う時間を必要としている。それは、私自身も同じだった。
「マスターも、少しお休みください」
クレイの声に、私は小さく頷いた。だが、頭の中では、先ほど再生された音声が、今も消えることなく反響し続けていた。
――敵をここで可能な限り排除する! 一体でも多く破壊しろ。決して船外に出すな!
名も知らぬ誰かが遺したその決意は、数百年の時を越え、今こうしてドライブコアと一つの命を、私たちのもとへと繋いでいる。
そして、その意志を記憶する最後の証人が、今、私たちの目の前にいた。




