第27話 - 惨禍の記憶
「ラウルディエルに、何があった。話せる範囲で聞かせてくれ」
そんな私の言葉を受けたノアの光が、僅かに揺らいだ。
会議室の空気が、先ほどまでの穏やかさとは一転し、静かな緊張を帯びていく。誰もが、テーブルの中央に浮かぶ光の輪郭から目を離せずにいた。壁面のディスプレイに腰掛けていたベルでさえ、いつの間にか居住まいを正すように姿勢を変えている。
しばらくの沈黙の後、途切れ途切れではあるものの、確かな言葉が、ノアの口から紡がれ始める。
『……アーカイブに残された記録によれば、事象の発端は、テロス近傍で受信した外縁部からの救難信号でした』
「ティエナの観測基地からの救援要請、というやつか」
テーブルの上に、星系図が投影される。トレーズ星系の外縁部、第十一番惑星ティエナを示す光点が、赤く点滅していた。
『ティエナの観測基地は、大規模な恒星間転送ゲートの近傍基地として、様々な物資が集積され、交易の拠点となっていました』
恒星間転送ゲート。以前クレイから聞いた話を思い出す。
物質を量子情報へと変換し、固定座標間でやり取りを行う量子転移技術。その中でも恒星系同士を繋ぐ最大級の施設が、恒星間転送ゲートだった。
人類の勢力拡大は、常にこの大規模ゲートの建設と共にあったという。中核となる惑星へ入植し、その周辺にゲートを築くことで、既存の人類勢力圏との接続点とするのだ。
もっとも、恒星系の内部では、重力の干渉によって遠距離からの量子情報を正確に受け渡すことが難しい。そのため大規模な転送ゲートは、恒星の重力から十分に離れた外縁部に設けられるのが常だった。
辺境の惑星であるティエナもまた、そうした拡張の最前線に位置する場所の一つだったのだろう。人類が版図を広げるたびに、こうした辺境の地に幾つもの拠点が築かれ、そして今もなお、その多くが静かに宇宙の片隅で役目を果たし続けているのだと思うと、この銀河の広さを改めて実感させられる。
同時に、そうした最前線の拠点ほど、何かが起きた時に真っ先に見捨てられる場所でもあるのだろう。華やかな中枢星域とは対照的に、辺境の地には、常にそうした危うさがつきまとう。トレーズ星系の拠点もまた、その例外ではなかったのかもしれない。
「それで、ラウルディエルはそこへ向かった、と」
『はい。定期哨戒任務の最中に救援要請を受け、任務が変更されています』
空中の星系図に、一本の航路が描き出される。示す光点はまずヘリオンへ向かい――あの朽ちた軌道ステーションで、束の間、動きを止めていた。
補給のためだ。まだ人が働き、艦が行き交っていた頃のあの場所で。
あの朽ち果てた巨大構造物が、かつては活気に満ちていたという事実に、私は改めて思いを巡らせた。
今もあの残骸の奥には、当時そこで働いていた者たちの痕跡が、静かに眠っているのかもしれない。補給を待つ艦艇の列、行き交う作業員たちの声。
そんな在りし日の光景が、朽ちた構造物の映像に重なって見える気がした。
『補給を終えたラウルディエルは、既に通信が途絶していたティエナへと進路を取っていた……はずでした』
光点が再び動き出し、外縁部を示す方向へと伸びていく。
「はずだった、というと?」
『――軌道ステーションを出港後、すぐに、記録が途絶えています』
光点から伸びていた航路の軌跡が、ヘリオン重力圏の外側で不自然に途切れている。それきり、続く線は描かれなかった。あまりにも唐突なその終わり方に、私は息を詰めた。
『次に記録が再開するのは、艦内時間で約六時間後です。その間の記録は、ほぼ完全に失われています』
「六時間分、丸ごとか」
『はい。断片的に残る周辺ログから推測する限り、この間に、何らかの敵性存在との接触があったものと考えられます』
ノアはそこで一度言葉を切った。まるで、次の言葉を選んでいるかのような間だった。
『再開後の記録には――艦内各所での交戦記録が残されています』
空中に、新たな映像が投影される。ノイズだらけのそれは、以前見せられたものと似ていたが、今度は複数の視点から撮られた、より詳細なものだった。
映像の一つには、狭い通路を駆け抜ける兵士たちの姿が映っていた。誰かが叫び、誰かが倒れ、また誰かがその肩を支えて先へ進む。カメラの揺れが激しく、時折画面全体が暗転する。おそらくは、装備に固定されていた記録端末が、激しい衝撃を受けた瞬間なのだろう。
通路を這う金属質の影。それを迎撃しようとする兵士たち。閃光。悲鳴。ひしゃげ、穴が穿たれる隔壁。断片的に切り替わる映像は、まるで悪夢を早回しで見せられているかのようだった。
切り替わる視点の一つひとつに、逃げる者、踏み止まる者、それぞれの最後の瞬間が刻まれている。
『交戦は、艦内の広範囲に及びました。防衛部隊は各所で応戦を続けましたが、対象の機動性と再生能力の前に、被害は拡大する一方でした』
「遠隔攻撃はしてこないのか」
『確認されている限り、敵性個体に遠隔攻撃兵装は搭載されていません』
ノアの声が、静かな会議室に響いた。
『砲撃、投射体、指向性エネルギー兵器に相当する攻撃は、いずれも記録されておりません。確認された攻撃手段は、四肢を用いた物理的なものに限られます』
「つまり、攻撃手段は肉弾戦だけということか」
『厳密には、高い質量と速度、そして四肢そのものが兵器として機能しています。前肢による打撃、把持、穿孔。後肢による跳躍と姿勢制御。確認された損傷の大部分は、それらによる物理的破壊です』
空中に、ラウルディエルの船体損傷図が投影された。
艦内通路には無数の陥没と裂傷が刻まれ、一部には、鋭利な何かを突き立てたような穿孔痕が残されている。砲弾の炸裂や熱線による融解とは明らかに異なる、力任せに引き裂かれた傷跡だった。
「それだけの能力を持ちながら、撃ってはこないのか……」
『少なくとも、ラウルディエルとの交戦においては』
その言葉に、私は僅かに息を吐いた。
安堵するには、あまりにも物騒な話だった。それでも、接近される前から一方的に攻撃される可能性がないという事実は、決して小さくない。
距離を保ち、近づく前に撃ち落とす。
こちらには集光砲も、電磁投射砲もある。接近さえ許さなければ、対処の余地はあるはずだった。
――少なくとも、その時の私はそう考えた。
映像の中では、隊列を組んだ兵士たちが一斉に射線を集中させている。
だが、影は壁を蹴り、天井へと跳び、床すれすれを這うように駆け抜ける。集中する射線の隙間を縫い、そのほとんどをかわしながら通路の奥へと消えていった。
壁も天井も床も区別しないその機動は、人類が築き上げてきた戦闘教範を嘲笑うかのようだった。
その異様な光景を前に、ノアが淡々と情報を付け加える。
『当該個体は、私が保持する戦術データベース、および閲覧権限を有する軍事情報内には記録が存在しません』
「存在しない……か」
私はたまらず唸った。これまで感じていた物とは、まるで質の違う脅威。少なくとも、私たちが知る由もない未知の存在と、ラウルディエルは真正面から出くわしてしまったということになる。想像するだけで、背筋に冷たいものが走った。
傍らのミーシャも、珍しく表情を硬くしたまま映像を見つめていた。
「これは……元々この恒星系に存在していたのでしょうか?」
「いや」
私は少し考えてから、首を振った。
「もし元々この恒星系にこれほどの脅威が潜んでいたなら、そもそも入植地があそこまで発展できたとは思えない。何百年もの間、気付かれずにいられるようなものではないはずだ」
「では、外からやってきた、と」
『可能性としては、その線が最も高いかと思いますね。対象が星系外より侵入した、あるいは従来の観測圏外から出現したと仮定すれば、これまでの繁栄の記録と矛盾しませんし』
ベルがそう言って、映像を拡大する。
今の彼女に、普段の軽薄な雰囲気は見られない。いつもなら重い空気を茶化して和ませようとするベルが、今は微塵もそんな素振りを見せなかった。それだけで、事態の深刻さは十分に伝わってくる。
「厄介だな……これが今もこの星系にいるなら、我々も例外ではない」
私がそう答えると、ミーシャは小さく頷いた。普段の柔らかな笑みが鳴りを潜め、代わりに静かな緊張がその表情に浮かんでいる。
「テロスに到達する前に、対策を練っておく必要がありそうです」
クロムが険しい表情のまま口を開いた。
「現状の艦の武装で、対抗できるか?」
「艦内への侵入を許さない前提であればあるいは……内部へ侵入された場合はラウルディエルから得た武装を鑑みても、正直、楽観できる状況ではありません」
クロムの言葉には、いつもの淡々とした調子の中に、隠しきれない緊張が滲んでいた。あれほどの機動力と再生能力を持つ相手だ。慎重になるのも当然だろう。
『解析が進めば、対策の糸口も見えてくるかもしれませんね』
ベルが静かに言葉を継いだ。
『少なくとも、当該個体の弱点についての記録が、断片的にでも残っている可能性はあります』
「弱点、か。あるとありがたいが」
『過度な期待は禁物です』
ノアの律儀な念押しに、私は苦笑した。楽観を許さないその姿勢は、時に頼もしくもあり、時にもどかしくもある。だが、それこそがこのAIの誠実さの表れなのだろう。
「それで、艦はどうなった」
『交戦開始から約六時間後、当時の艦長により総員退艦命令が発令されています。ですが――』
映像が切り替わる。今度は、脱出艇の発艦記録らしきものだった。宇宙空間へと放たれる小型艇の姿が、いくつも映し出されている。
一隻、また一隻と艦から離れていく脱出艇。だが、そのうちの一隻に、影が重なった。
艦内を這い回っていたはずの敵性存在。それが、いつの間にか船外へと出ていたのだ。宇宙空間を、まるで足場があるかのように移動し、脱出艇の外殻へと四肢を突き立てる。
次の瞬間、艇体は内側から食い破られるように歪み、そのまま軌道を外れて漂い始めた。悲鳴も、爆発音も、真空の中では届かない。ただ静かに、艇が壊れていく様子だけが映し出されていた。
『対象は艦外へ移動し直接接触による脱出艇の物理的破壊を行っています』
「船外に出て、直接襲い掛かった、というのか」
『真空環境であることは、当該存在にとって障害にならないようです。脱出艇の多くが、こうして発艦直後に破壊、あるいは航行不能に陥っています』
会議室に、重い沈黙が落ちた。誰も、しばらくの間、口を開くことができなかった。
「……つまり、逃げ場はなかった、ということか」
『少なくとも、通常の脱出経路は、機能しませんでした。退艦命令もその後、撤回されています』
ノアの声には、感情の起伏こそ薄いものの、どこか痛みを堪えるような響きがあった。あるいは、それは私自身の心情が、そう聞こえさせているだけなのかもしれない。
「撤回、というと?」
『脱出艇による退避が有効な手段でないと判断されたためです。記録によれば、当時の戦闘指揮官――階級章の識別から、副長級の人物と推測されますが――は、人員の退避がもはや叶わないと判断し、方針を転換しています』
「方針転換?」
『艦内に侵入した敵性個体を可能な限り排除し、軌道ステーションおよびヘリオン軌道上の居住圏へ到達させないこと。それを最優先目標に据えたようです』
私はたまらず眉をひそめた。自分たちの生存よりも、これ以上の被害を広げないことを選んだ、ということか。極限状態の中で、それでも他者を守るための判断を下せる胆力に、私は言葉にならない敬意を覚えていた。
『断片的な通信記録には、次のような発言が残されていました』
音声データが再生される。ノイズに埋もれながらも、その声は確かに、切迫した響きを伴っていた。
『――敵をここで可能な限り排除する! 一体でも多く破壊しろ。決して船外に出すな!』
短い、しかし迷いのない声だった。誰の声かは分からない。だが、その言葉の重みだけは、幾百年の時を超えて、確かにこの場へ届いていた。




