第26話 - 艦載AI - ノア
ライズと別れ、医療区画を後にしようとしていたその時、クレイの端末が短く明滅した。表示された通知を一瞥した彼女は、僅かに目を細めてから、こちらへ向き直る。
「マスター。ラウルディエルより回収した艦載AIコアの復旧が完了したと、ベルから報告がありました」
「……早かったな。確か一月はかかるという話だったが……」
予定よりも大幅に早い報告に、私は聞き返さずにいられなかった。損傷した記憶領域の規模を考えれば、もう少し時間がかかるものと踏んでいた。
「ベルは、この一週間、自ら演算資源の八割以上を復旧作業へ割り当てていたようです」
珍しく、その口調にわずかな呆れが滲んでいた。淡々とした物言いの中に、労いとも咎めともつかない色が混じっているのが分かる。
「ベルちゃんは、最近ずっと籠りっきりでしたものね」
ミーシャがくすりと笑って言葉を続ける。その言葉には、単なる同僚への評価を越えた、温かい響きが伴っていた。
「新しい後輩ができると聞いて、随分と張り切っていたようですから」
「新しい後輩、か」
その言葉を反芻しながら、私は小さく頷いた。
部下が出来るのだと騒いでいたベルの姿を思い出す。その張り切りようを考えれば、この早さにも納得できる。
(あいつが根を詰めて仕事をしたと聞くと、素直に喜べない自分がいるな……)
この一週間だけでも「気分転換です」と称した雑談に何度付き合わされたことか。
「……聞かないと煩いだろうな……」
半ば独り言のように呟くと、クレイが小さく頷いた。
「……はい。会議室にて接続の準備を整えたと、今も個別通信でうるさい程に。どうやらクロムも呼ばれているようです」
「クロムもか……内容は、真面目な報告だけなんだろうな?」
念のために尋ねると、クレイは僅かに視線を逸らした。
「……八割ほどは」
「残り二割は?」
「…………」
「……いや、聞かせなくていい」
私は額を押さえた。あの一件があってなお、懲りていないらしい。クレイもまた、同調するように僅かに口の端を緩めていた。
「それで、実際のところ、中枢演算コアの状態はどうなんだ? 記憶領域に損傷がある事は聞いていたが」
「詳細はベルからの報告待ちですが、基本的な自己認識機能と会話機能については、既に安定している様です」
「なら、話くらいはできそうか」
「恐らくは」
その返答に、私は改めて事の大きさを噛み締めた。護衛艦の艦載AIが目を覚ますということは、単に一つのプログラムが復旧するという以上の意味を持つ。あの艦を最後まで見届けた存在そのものが、再び言葉を持つということなのだから。
「……ベルの後輩の話を聞きに行くとするか」
私はそう言いながら踵を返すと、ブリッジへと向かう道へとその歩みを進めた。クレイとミーシャも、当然のように後へ続く。
通路を進むにつれ、行き交うバイオロイドたちの数も、心なしか増えていた。
果たして、会議室ではどれほど賑やかな様子になっているのか。残り二割の存在を知ってしまった以上、素直に期待することはできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
会議室の扉を開けた瞬間、待ち構えていたかのような声が飛んできた。
『遅い! 遅いですよ、お三方! 折角、私のかわいい後輩が目覚める記念すべき瞬間だというのに、遅刻とは! 嘆かわしいです!』
壁面のディスプレイの上で、腕を組んで仁王立ちするベルの姿があった。もっとも、ホログラムである彼女の足元が実際に床を踏んでいるわけではない。
「悪かった悪かった。医療区画からの移動だ、そう責めるな」
『言い訳無用です! まぁ、今回は特別に見逃して差し上げますが!』
そう言うなり、ベルはくるりと身を翻し、中央のテーブルを手で示した。
『さぁさぁ、こちらへどうぞ! 私渾身の力作、ご覧あれ!』
「既に始めちゃってますがね!」と指し示されたテーブルの上には、ぼんやりとした光の輪郭が浮かび上がっていた。まだ像として定まりきらないその光は、時折不安定に瞬きながら、輪郭を探るように揺れている。
室内の空気そのものが、張り詰めていた。数百年もの沈黙を経て、初めて言葉を紡ごうとする存在を前に、誰もが無意識のうちに息を潜めている。当のベルだけが、興奮を隠しきれない様子でその周りをそわそわと歩き回っていた。
『……接続、確認……音声出力、テスト……』
途切れ途切れの声が響く。ベルの声とは明らかに異なる、硬質で無機質な響きだった。
「聞こえているか」
『……カツラギ=ユウイチ……艦長……恒星間移民船、クレイドル所属……識別完了……』
声はしばらく不安定なままだったが、やがて次第に滑らかさを取り戻していく。光の輪郭もまた、揺らぎを減らしながら少しずつ形を成していった。
ラウルディエルの識別コードの描かれた統合連邦政府軍の軍服をまとい、濃紺の髪を揺らすホログラムが形を成す。
『……長らくの沈黙、失礼いたしました、カツラギ艦長。護衛艦ラウルディエル艦載AI、GMF7-RLD-078315です。グラムドフォート軍事技術研究所製の統合戦術AIです』
「構わない。まずは無事に目覚めたことを喜ぼう」
『……お心遣い、感謝いたします。カツラギ艦長』
抑揚の薄い声の中に、微かな驚きのようなものが滲んだ気がした。長きにわたり沈黙を続けていた存在にとって、その一言はどれほどの重みを持っていたのだろうか。想像することしかできなかったが、私は敢えてそれ以上を尋ねなかった。
『いやぁ、良かったですねぇ! ちゃんと言葉が話せるようになって!』
ベルが横から嬉しそうに口を挟む。
『何せこの子、私が一から丁寧に面倒を見た子ですからね! 自慢の後輩なんですよ!』
「一からというか、演算機構そのものは向こうの物なんだが」
『細かいことは気にしない方向で!』
いつも通りの調子で流されながらも、その声には確かな達成感が滲んでいた。実際、この短期間での復旧作業がどれほどの労力を要したものか、私には正確に測りかねる。
「ところで、彼女を番号で呼び続けるわけにもいかないが……どうしたものかな」
私がそう呟くと、ベルが待っていましたと言わんばかりに勢いよく飛び上がった。
『はいはいはい! そこは私にお任せください!』
「……嫌な予感しかしないんだが」
『何を仰いますか! かわいい後輩の名前ですよ? 不詳このベル、数日間考え抜いてきたんですから!』
「数日前から考えていたのか……」
『もちろんです!』
「演算能力の無駄遣いですね」
クレイが即座に切り捨てた。胸を張るベルを見て、私は小さく息を吐く。
「……分かった。一度聞こう」
『ありがとうございます!』
ベルは嬉しそうに両手を叩くと、目の前に大きく「呼称候補」と書かれた画面を投影した。そしてその中からおもむろに一つの名前を選び出す。
『彼女の名前は――ノア!』
「ほう」
『新しい航海の始まり、新しい仲間という意味も込めております! 響きも綺麗でしょう?』
思っていた以上に真面目な候補だった。
「ノア、か」
口の中でその響きを転がしてみる。悪くない。むしろ、良い名だと思った。
「では、それで行こう。ノア……聞こえているか?」
私はテーブルの上に浮かぶ光の輪郭へ視線を向けた。
『……はい』
しばしの間があった。まるで、その名を自らの内側で慎重に確かめているかのような、静かな沈黙だった。
『個体名――ノア。当該識別を、恒久的な自己定義として登録いたします』
光の揺らぎが、僅かに落ち着きを見せる。まだ像を結びきらないその姿が、それでも心なしか、先ほどよりもはっきりと見えた。
『……ノア。以後、そのように名乗らせていただきます、カツラギ艦長』
「うん。よろしく頼む、ノア」
『はい』
短い返答だったが、そこには確かな落ち着きが感じられた。名を得たことで何かが定まったのか、あるいは単に安堵しているだけなのか。判別はつかないが、悪い変化ではなさそうだった。
『……あれ?』
不意に、ベルが首を傾げる。
『ちょっと待ってください。今の流れって、結局のところ艦長さんが名付けてません? まだまだ候補の名前は沢山あるんですよ? 私、まだ一個しか言ってませんよね?』
「お前が彼女の名前はノアだと言ったんじゃないか」
『いやいやいや! 候補ですよ! こ・う・ほ!! まだ一個目なんですよ!? それに、艦長さんが名付けちゃったら私が名付けたと言えないじゃないですか!! これでは艦長さんの手柄になっちゃうじゃないですか!』
「そもそも手柄を争うようなことなのか?」
『当たり前ですよ! 私の輝かしい育成実績に、命名者としての栄誉が加わるはずだったのに!』
「むきーっ」とベルがテーブルの上でジタバタと足を踏み鳴らすような仕草を見せる。もちろん、実際に足音が響くわけではないのだが、その動きだけでも十分に騒がしかった。
傍らで一連のやり取りを眺めていたミーシャが、くすくすと笑い声を漏らす。
「彼女がいると、本当に退屈しませんねぇ」
その声には、呆れよりも親しみの方が色濃く滲んでいた。ノアもまた、まだ定まりきらない光の中で、そのやり取りをじっと見つめていた。
『…………艦内交流頻度が、ラウルディエルの平均値を大きく上回っています』
ぽつりと漏れたその一言に、私は思わず苦笑した。
「騒がしいのは一人だけだがな……まあ、追々慣れてくれ」
私は小さく手を叩き、場の空気を切り替える。
「さて、いい加減、本題に入ろうか」
『まぁ、しょうがないですね……むー……』
まだ何か言いたそうな顔をしていたベルだったが、渋々と言った様子で引き下がった。それでも完全に納得はしていないのか、口をへの字に曲げたまま、じっとこちらを見つめている。
「クレイ、改めて確認だ。ノアの復旧状況は、現時点でどこまで進んでいる?」
水を向けられたクレイは、即座に頷くと端末を操作した。空中に、簡潔な状態表示が浮かび上がる。
「自己認識機能、及び基本会話機能については、既に安定して動作しています。長期記憶領域についても、大部分の復旧を確認済みです」
「思ったより順調そうだな」
「はい。ですが――」
クレイの言葉に、僅かな間が挟まれた。
「事象発生直前、及び直後の一部記録に、欠損があります。物理的に記憶媒体が破壊されたことが原因です」
彼女をラウルディエルから回収した際の記録にも、確か、そうした破壊痕についての記載があった。
『そこは私も苦労したところですねぇ』
ベルが横から補足するように口を挟んだ。先ほどまでの拗ねた様子は、いつの間にか鳴りを潜めている。
『損傷が激しかった部分は、データそのものが失われていて、どうしても埋めきれないんですよ。無理に補完すると、変な記録になっちゃう可能性もありますし。そうなると、記録全体の信頼性まで疑われかねません』
「つまり、覚えていることと、覚えていないことが、はっきりしているわけか」
『そういうことです。中途半端に誤魔化すよりは、よっぽど誠実な仕様だと思いません?』
胸を張るベルに、私は小さく苦笑を返した。
「なるほどな……よし」
視線を、テーブルの上に浮かぶ光の輪郭へと戻す。まだ完全には定まりきらないその姿は、相変わらず淡い揺らぎを繰り返していた。
「ノア、今の説明に間違いはないか?」
『……はい。相違ありません』
抑揚の薄い声が、静かに答える。
『損傷が激しかった領域については、断片的な記録しか残っておらず、事実として保証できる情報は限られています。断片的な情報を繋ぎ合わせて事実のように報告することは、私の設計思想に反します』
「随分と律儀だな」
『それが、私の在り方ですので』
短く返されたその一言には、ベルとはまた違う種類の、静かだが確かな芯のようなものが滲んでいた。
「なら、記憶領域に残されている範囲で構わない」
私は視線を光の輪郭に据えたまま、静かに問いかけた。
「ラウルディエルに、何があった。聞かせてくれ」
会議室の空気が、再びゆっくりと張り詰めていく。ノアの光が、僅かに揺らいだ。




