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星渡る揺り籠 ―辺境星域開拓記―  作者: ハノン
第一章 宇宙漂流編

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第25話 - 目覚めを待つ者

 統合暦4295年6月20日(遭難から1年と45日)

 天の川銀河西方領域遠方、未踏査宙域――トレーズ星系内

 恒星間移民船〈クレイドル〉艦長室。


 艦長室の照明を落とし気味にした薄暗い空間の中、私は端末に向かい、航海日誌を書いていた。


 ヘリオンの重力圏を離脱してから、既に二週間が経過している。青灰色の雲海を湛えた惑星の姿は、既に星の海に紛れて視界から消え去り、その姿を確かめる事は出来ない。


 こうして落ち着いて日誌を綴るのはいつぶりだろうか。そして、このような記録が、人々の目に触れることはあるのだろうか。


 そんな埒もない考えが、端末を操作する指先の合間に、ふと頭をよぎった。かつてクレイドルが積み重ねてきた九百年以上の航海を思えば、この程度の感傷も仕方ないか、と言い訳をする。


 窓の外に広がるのは、これまでのような岩石や氷塊の群れではない。ただ果てしなく続く暗闇と、その中に瞬く無数の星々だけだった。


 ラウルディエルの航行記録によれば、この宙域には恒星風が吹き抜け、小天体すらほとんど存在しないという。そのせいか、窓の外に広がる景色も代わり映えのしない暗闇が続くばかりだった。


 こうした静かな航海は、本来なら望むべきものだ。これまでが生命の危機と隣り合わせだっただけに、なおさらそう思う。


 むろん、そんな本音を、記録に残すわけにもいかないが。


 ラウルディエルを曳航しながら進められていた軍用武装の移植作業は、この二週間でようやく一段落を迎えていた。


 得られる物の無くなった護衛艦ラウルディエルは、曳航索を切り離され、クレイドルのはるか後方に消えて久しい。


 ザルツの采配の下、大口径の電磁投射砲と近接迎撃システムが、ラウルディエルから切り離され、クレイドルの外殻へと組み込まれている。五日前には最初の一基が稼働試験を終え、三日前には残る全ての系統が本艦の制御系へと統合されていた。


 同時に、艦内でも新たな変化が起きていた。ラウルディエルから回収された特化型バイオロイドのうち、状態の良好だった個体が順次再起動され、各区画へと配属されている。


 ミーシャの下では新たに三体が農業区画の運営に加わり、クロムの下では航法演算を担う個体が着任した。


 軍艦に配属されたバイオロイドらしく、大部分が医務官や戦闘員として調整された個体であり、クレイドルに不足していた分野の人員がそれなり以上の人数、充当されることになった。


 艦内を行き交う人影は以前より明らかに増え、バイオロイドの思考多様化を目的に開設された食堂に並ぶ顔ぶれも、少しずつ様変わりしていた。その様子を見かけるたびに、この船が着実に息を吹き返しつつあると実感できる。


 ラウルディエルから引き取られた個体たちとの交流が生まれ、食卓に並ぶ献立にもいくらかの幅が出てきたことで、クレイドル所属の個体達にも変化が見え始めていた。


 ベルに任せた感情抑制機構の緩和措置により、感情表現の幅が広がり、時折見せる仕草や言葉選びにも、以前にはなかった彩りが加わっている。


 その変化の切っ掛けが、新たな出会いによるものなのか、食の多様化によるものなのか、あるいはその両方なのか。


 判然としないながらも、彼らの内面に緩やかな変化が生じていることだけは、もはや疑いようがなかった。


 一方で、私自身の業務量は増えつつあった。


 艦内に増えた各種設備の知識を補完する為の学習や各部署からの定例報告への対応。そして時折ベルが気分転換と言いつつ持ち込んでくる、正直有難迷惑としか言いようのない雑談。


 小さく笑いながら、感じるままに文字を打ち込んでいく。活気づく艦内の空気を感じながらの業務は、どこか前向きな気持ちを与えてくれていた。


 控えめなノック音が響き、続いて扉の向こうから声が掛かる。


「マスター、そろそろお時間です」


 クレイの声だった。私は端末の記録を一時停止させると、扉へ向けて声を掛けた。


「ああ、今行く……」


 続きはまた後で書けばいい。そう思いながら、私は椅子から立ち上がる。端末の画面には、途中で途切れたままの文章が、静かに表示され続けていた。


 扉に手を掛けると、重い駆動音と共にそれが左右へ開いていく。廊下に立つクレイの姿が、薄暗い室内へと差し込む光の中に浮かび上がった。


「おはようございます、マスター」


 扉の向こうにはクレイだけでなく、ミーシャの姿もあった。二人並んで待つ様子からして、今日の予定は既に共有されていたのだろう。


「それでは参りましょう」


「ああ、わかった」


 クレイの先導に続き、私は部屋を後にする。背後で扉が静かに閉まる音を聞きながら、医療区画へと歩き出した。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 医療区画へ続く通路は、以前訪れた時よりも明るさを増していた。


 壁面の照明はほぼ全て復旧し、かつて感じた廃墟めいた雰囲気は、もうどこにも残っていない。すれ違うバイオロイドたちの足取りも自然なもので、それぞれが決められた場所へと向かって淀みなく歩みを進めている事が分かる。


「随分と、賑やかになったものだな」


 口をついて出た言葉に、隣を歩くミーシャが柔らかく笑った。


「ええ。すれ違う顔ぶれも、日に日に増えております」


「マスターがこうして直接歩いておられるのを見れば、彼らの励みになります」


 そう続けたミーシャの言葉に、私は苦笑を返す。


「ただ歩いているだけで、そう大層なものじゃないとは思うが……」


「いいえ。マスターがこうして姿を見せる事で、気に掛けてくださっていると分かるのです。それだけでも随分と違うものです」


 クレイは横で黙って歩いていたが、その横顔には、僅かに頷くような気配があった。反論しないということは、彼女なりに同意しているのかもしれない。


 しばらく無言で歩を進めた後、私はふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、彼女の様子はどうなんだ? あれから、特に変わりはないか」


「培養液からの離脱処置は、既に完了しています」


 クレイが端末に視線を落としたまま答えた。


「今は通常の医療設備に移して、経過を見ている段階です」


「それは……もう落ち着いたと考えていいのか?」


「体調そのものは、安定していると聞いています」


 クレイはそこで一度言葉を切り、少しだけ声のトーンを落とした。


「ただ、意識はまだ戻っていません」


「そうか」


 私はその言葉を、静かに受け止めた。


「脳波の反応自体は、正常な範囲に収まっているそうです。あとは、時間の問題だろうと」


 クレイの説明に、私は小さく頷く。医療区画の扉が、少しずつ近づいてきていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 廊下の先、開け放たれた扉の向こうに、白を基調とした部屋が見えてきた。以前、私自身が目を覚ました部屋とよく似た、簡素な造りの一室だった。


 その入り口で、一人のバイオロイドがこちらへ向けて一礼した。


「お待ちしておりました」


 柔らかな声音だった。長い髪を一つに束ね、白衣を纏ったその姿は、他のバイオロイドたちとはまた違う、落ち着いた雰囲気を漂わせている。眼鏡の奥の瞳は静かで、しかしどこか鋭さも感じさせた。所作の一つひとつに、長年医療に携わってきた経験を思わせる無駄のなさがあった。


「彼女は、新たに配属された医療担当か?」


 クレイが横から補足する。


「ラウルディエルより回収した軍用医療支援バイオロイドです。個体識別番号は【TCU-4730-RLD-612】。先日再起動を終え、現在は医療区画の管理を任せております」


 紹介を受けたバイオロイドは、もう一度、深く頭を下げた。


「初めまして、艦長。私の事は、どうぞご随意にお呼びください」


 その控えめな物言いに、私は少し考えてから口を開いた。


「……ライズ、というのはどうだ」


「ライズ、ですか」


 彼女は静かにその名を反芻すると、微かに口元を緩めた。


「良い響きです。謹んでお受けいたします」


 一礼するその所作には、既にどこか医療者らしい落ち着きが備わっていた。


「それで、彼女の様子はどうだ?」


 名を呼ばれたライズは、すぐに表情を切り替えると、手元の端末を操作した。


「こちらをご覧ください」


 空中に投影されたのは、女性のバイタルデータだった。心拍、呼吸、脳波。どれも安定した波形を描いている。


「培養液から取り出した事による身体的な負荷は、想定より遥かに軽度でした。長期間の培養にもかかわらず、筋組織の萎縮も最小限に抑えられています」


「ふむ、何か理由が?」


「恐らくは、培養液そのものに特殊な処置が施されていたためかと。通常の培養液とは組成が異なり、長期滞留を前提として、細胞組織を維持する為の調整がなされていた形跡があります」


 誰かが、彼女をただ延命させるだけでなく、いつか目覚めることを見越して手を尽くしていた。そう考えると、あの艦の最後の日々が、また違った重みを持っている様に感じられる。


「彼女の身元について、何か分かっているか?」


 私が尋ねると、ライズは僅かに首を振った。


「培養シリンダーに紐づけられていた識別情報は、既に大部分が失われております。ただ――」


 彼女は端末を操作し、小さな金属片の画像を表示させた。細長い、ペンダントのような形状をしている。


「シリンダー内より、これが発見されました。一種の電子媒体と思われますが、詳しい解析はこれからです」


「本人の物とは限らないのか」


「はい。断定はできません。ただ、彼女が握りしめるようにしていた点は、気にかかります」


 彼女が最後まで、それを手放さなかった。あるいは、誰かが握らせたのかもしれない。そのどちらであっても、そこには意味があったはずだ。


「目を覚ますのは、いつ頃になる?」


「正確な予測は困難ですが……このまま経過が良好であれば、テロスに到着するまでには」


 ライズの言葉に、私は小さく頷いた。


 ベッドに横たわる女性の顔を見つめる。安らかな寝顔だけが、そこにあった。窓の外に広がる冷たい暗闇とは対照的に、穏やかな静寂がその周りを包んでいる。


「何か変化があれば、すぐに知らせてくれ」


「かしこまりました。艦長のご期待に応えられるよう、最善を尽くします」


 その穏やかな声音には、それまでの淡々とした口調とは違う、確かな熱意が宿っていた。医療者としての矜持なのか、それとも与えられた使命への忠実さなのか。今の私には判別がつかなかった。だが、その姿勢は自然と信頼に値するものだと感じられた。


「期待している」


「承知いたしました」


 ライズは静かに頭を下げると、再び端末へ視線を戻した。投影された波形を一つずつ確認していくその横顔には、既に迷いらしいものは見られない。


 私はベッドの傍らに立ったまま、眠り続ける女性へもう一度目を向けた。


 ラウルディエルの最深部で、数百年の時を越えて守られていた存在。彼女が何者で、なぜあの場所に眠っていたのか。握りしめていた電子媒体に、何が残されているのか。


 今はまだ、何一つ分からない。


 それでも、私たちが彼女を見つけたことが、単なる偶然とは思えなかった。


 規則正しく上下する胸元を見つめていると、彼女だけが眠り続けているのではなく、その内側に閉ざされた何かが、目覚める時を待っているようにも感じられた。


「行きましょう、マスター」


 背後から掛けられたクレイの声に、私は小さく頷いた。


「ああ」


 踵を返し、二人と共に医療室を後にする。扉が閉じる寸前、最後に振り返った視界の中で、彼女は変わらず穏やかな寝息を立てていた。

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