第24話 - 最後の職務
ミーシャが慣れた手付きで一人ひとりの前へ紅茶を置いていく。最後に私の前へカップを置くと、一歩下がって静かに控えた。立ち上る湯気が、張り詰めた会議室の空気に、僅かな和らぎをもたらしていた。
私はカップを手に取る。立ち上る湯気と共に紅茶の香りが広がった。
「さて、続けようか」
視線をクロムへ向けた。
「承知しました」
クロムは静かに立ち上がる。ザルツとは対照的に無駄な動きはない。端末を操作すると、会議室中央へ複数の資料が投影された。
「ラウルディエルより回収した各種端末および航法コンピュータの解析結果を報告します」
映像には回収された端末群と艦内ネットワークの構造図が表示される。
「現在までに艦内データベースの約六十二パーセントを復旧しました」
「思ったより早いな」
「航法コンピュータが比較的良好な状態で残されていたためです」
クロムは表示を切り替えた。
「その結果、ラウルディエルの航路記録および主要施設情報の一部取得に成功しております」
星図が表示される。その中心に映し出されたのはテロスだった。
「まず、ラウルディエルはテロスを母港としていた記録が残されていました」
惑星周辺に複数の航路が浮かび上がる。
「補給、整備、人員交代。その多くがテロスを中心に行われています」
続いて地表図へ切り替わる。
「テロスには少なくとも六か所の大規模入植地が存在していました。また、惑星全域に資源採取拠点や中継基地が展開されています」
地図上へ無数の光点が広がった。
『うーん……これは壮観ですねぇ』
ベルが感嘆の声を漏らす。
「さらに軌道エレベータ、および複数の大型軌道施設の存在も確認されました」
惑星と宇宙を繋ぐ巨大構造物が映し出される。地上から遥か上空まで伸びるその構造物は、映像越しでもなお圧倒的な存在感を放っていた。
「少なくとも移民船団は入植後、数百年にわたり勢力圏を維持していたものと思われます」
私は小さく息を吐いた。人類はこの星系で生き延びたのではない。繁栄していたのだ。窓の外に浮かぶ、まだ見ぬテロスの姿を思い浮かべずにはいられなかった。
「ここまで発展していたのか……だが、そうであるなら」
私は星図へ視線を向ける。
「何故、今は存在しない?」
「その点については、一部記録が残されていました」
表示が切り替わる。それは、ラウルディエルの行動履歴だった。
「ラウルディエルは開拓移民船団所属艦として本星系へ到達。その後、警備艦隊へ編入されています」
複数の航路が浮かび上がった。
「主な任務は航路警備、資源採取拠点の防衛、救難活動です」
クロムは淡々と続ける。
「記録によれば、当時の勢力圏は概ね安定していました。少なくとも大規模な動乱や社会的混乱を示す記録は確認されていません。しかし――」
そして星図上に一本の航路が強調表示された。その航路図には当時の通信記録が紐づいていた。
「外縁部の第十一番惑星ティエナの観測基地より救援要請を受信。ラウルディエルはヘリオンで補給を行い、その後、星系外縁部へ向かうとあります」
表示された航路には、時刻と共に淡々とした記録が刻まれているだけだった。そこに込められていたであろう緊迫感までは、もはや窺い知ることができない。
「観測基地で何が起きた? ……救援要請の内容は?」
「不明です。ただし、出撃命令そのものは正式な軍命令として処理されていました」
映像には最後の航路だけが残されている。救援へ向かい、そして帰還しなかった艦。私達が発見したラウルディエルは、その成れの果てだった。
「少なくとも」
クロムが静かに言った。
「この時期を境に、星系内で何らかの壊滅的事象が発生した可能性は極めて高いと考えられます」
会議室には重い沈黙が落ちた。誰もが、目には見えぬ何かの気配を、その言葉の裏に感じ取っていたのかもしれない。やがてクロムが静かに口を開く。
「現時点では推測以上の結論は出せません」
言いながら、クロムは端末を操作した。テロスを中心に展開されていた航路図が消える。
「話題を変えましょう」
代わりに新たな資料が表示された。
「今回の調査では別の成果も得ています」
「ラウルディエルの中央演算区画より艦載AIのコアユニットを回収しました」
『お、私の同僚ですね!?』
即座に食いついたベルに、クロムは冷静に答えた。
「はい。ただし、現在も復旧作業中です」
「状態は悪いのか?」
「数百年は停止していた可能性があります。記憶領域の破損も確認されています」
『あー……それはちょっと大変そうですねぇ』
ベルが気まずそうな顔をする。
「人格の復旧は可能と思われますが、どこまで記憶が残っているかは不明です」
「目処は?」
「数週間程度かと」
クロムはそこで僅かに視線をベルへ向けた。
「もし復旧に成功した場合、運用上はベルの指揮下へ編入する予定です」
『おおっ、つまり部下ですね!』
ベルが勢いよく立ち上がる。そのまま会議卓の上を、両手を広げながら歩き回った。
歩くたびに足元へ淡い光の波紋が広がり、周囲には小さなウィンドウが次々と展開されていく。教育計画、指導要領、業務分担表。どれも数秒で生成されたものだ。
「組織上はそうなります」
『なるほどなるほど。先輩として、上司として優しく指導してあげる必要がありますね』
そう言いながら両手を腰に当て、次々と表示される資料を眺めながら頷く。既に部下を持った気でいるらしい。
「まだ復旧していませんが」
クロムが淡々と指摘した。
『細かいことは気にしてはいけません』
ベルは胸を張って言い切った。その周囲では未だに教育計画や業務分担表が忙しなく増殖を続けている。
「その辺りは復旧が上手くいってから考えろ」
私がそう言うと、ベルは不満そうに唇を尖らせた。
『むぅ……』
周囲に浮かんでいた教育計画や指導要領のウィンドウが一斉に閉じられる。
次の瞬間、ベルは会議卓の上から跳ねるように飛び上がった。くるりと空中で一回転すると、そのまま壁面ディスプレイの上へ着地する。
足を投げ出して座り込み、ぶらぶらと揺らし始めた。揺れる足先から小さな表示ノイズが散り、ディスプレイ表面へ波紋のように広がる。
本人は不機嫌さを隠す気もないらしい。先ほどまで空中に並んでいた資料群も次々と消え、会議室には静けさが戻っていた。
視線をクロムへ向ける。
「話が逸れたな。他に報告は?」
クロムは手元の端末へ目を落としたまま、短く首を横に振った。
「いえ。以上となります」
クロムは短く答えた。
「分かった。では最後にクレイ。頼んだ」
私は頷いて、クレイに促した。クレイは既に次の資料を準備していたらしく、静かに端末へ手を添えていた。
「承知しました」
クレイは静かに立ち上がる。会議室中央に投影されていた資料が一度消え、新たな映像へ切り替わった。
表示されたのは長い一覧表だった。
氏名。所属。個体識別番号。顔写真が残されているものもあれば、識別番号しか残っていないものもある。名もなき番号の羅列に紛れて、ふとした瞬間に人の顔が浮かび上がるたび、そこに確かにあった生の重みを感じずにはいられなかった。
「ラウルディエル乗組員および搭載個体の調査結果を報告します」
クレイが端末を操作する。
「現在までに確認された乗組員は人間が三十四名。搭載バイオロイドが五百二十四体。その他、判別不能個体が五十五体です。行方不明者は数百体を下りません」
「随分と多いな」
「長距離任務艦としては標準的な範囲です」
表示の大半は赤色だった。
――死亡。その表示が並んでいる。緑色は存在しない。ただし、一部が黄色く点灯していた。
「黄色は?」
「状態確認中の対象です」
クレイは即答した。
「先ほど報告した培養シリンダー内の個体が該当します」
一覧の一部が拡大される。
「やはり彼女以外にもいたか」
「人間が数名。何れも名簿上は民間の研究施設の人員です。それと、バイオロイドは百十数体が確認されています」
クレイは続けた。
「しかし、人間については一名を除き、救命不可能な状態でした」
会議室の空気が僅かに沈んだように感じられた。
「培養設備の損傷、生命維持装置の停止、培養液の劣化が進行していたためです」
私は静かに頷いた。
「そうか」
「一方で、良好な状態で回収されたバイオロイドも多数確認されています」
クレイが資料を切り替える。複数の識別番号と職務情報が表示された。
「航法演算、医療支援、施設管理、戦術管制、遠隔戦闘、空間戦闘。いずれも専門技能を付与された特化個体です」
表示された一覧を見て、私は眉を跳ね上げた。
「再起動が可能なのか?」
クレイは頷く。
「全個体は困難です。しかし保存状態の良い個体については高い確率で可能と考えています。復旧に成功した場合、クレイドルの運用能力は大幅に向上します。特に医療支援、施設管理、戦術管制、遠隔戦闘、空間戦闘については即戦力となるでしょう」
短い沈黙が落ちる。クレイはそこで資料を切り替えた。
「次に、艦内エネルギー配分の解析結果について報告します」
ラウルディエルの内部構造図が表示される。艦内各所から伸びる無数のエネルギーライン。その全てが一点へ収束していた。
「確認されていた艦内エネルギー供給の偏重について、原因が判明しました」
表示された収束点は生体研究施設だった。
「生体培養室に集められたバイオロイドは、艦の維持よりも一部人間の延命を優先していました」
投影された構造図の中で、生体研究施設へ収束するエネルギーラインだけが赤く脈動している。
「機関区画、居住区画、環境維持設備。多くのシステムを停止させ、必要な電力を生体研究施設へ集中させています」
クレイがさらに資料を切り替える。生体研究施設内部の見取り図が表示された。施設内には無数の識別信号が記録されている。その大半は既に消失していた。
「また、生体培養室で発見されたバイオロイドの多くは、保守作業中に機能停止したものと推定されています」
「保守作業?」
「はい」
クレイは頷く。
「解析された管理記録によれば、施設管理AIは必要に応じて保守用バイオロイドを順次覚醒させていました」
映像の中で、時系列に沿って複数の識別番号が点灯していく。一つ、また一つと灯りが消えていくその様子は、まるで力尽きていった者たちの最後の証言のようだった。
「他の対象は設備故障や培養液劣化により順次死亡したものと思われます」
「つまり――」
「はい。施設管理AIとバイオロイドは、限られたリソースの中で最後の一人を守り続けていたと考えられます」
表示された命令コードが拡大される。
【人間個体の保護】
それだけだった。
私は表示された命令コードを見つめる。
艦の維持よりも。自らの存続よりも。彼らが優先したのは人間だった。たった一行のその命令が、幾つものバイオロイドの、幾百年にも及ぶ献身を支え続けていたのだ。
「……大した連中だな」
気づけば、そう呟いていた。艦という限られた資源の中で、何を優先し、何を諦めるか。その選択を、彼らはただ一つの命令に従って積み重ねてきたのだ。
「はい」
クレイは静かに頷く。
「少なくとも彼らは、最後まで職務を放棄しませんでした」




