第23話 - 回収された遺産
「マスター」
微かに聞こえた声に、意識が浮上する。
「マスター、そろそろ起きてください」
肩を軽く揺すられ、私はゆっくりと目を開いた。視界に飛び込んできたのは見慣れた給仕服姿だった。瞼の重さが抜けきらないまま、ぼんやりとした視界の中でその輪郭だけが徐々に鮮明になっていく。
「……ミーシャか」
「はい」
彼女は嬉しそうに頷いた。
ラウルディエルへの調査隊投入後、少しだけ横になるつもりだったのだが、思っていた以上に疲労が溜まっていたようだ。
室内照明は落とされており、机の上には電子端末と空になったカップが残されている。いつの間に眠ってしまったのか、自分でもよく覚えていなかった。
「どのくらい寝ていた?」
「四時間ほどです」
思ったより長い。額を押さえながら身体を起こした。この部屋の先にあるブリッジでは今もラウルディエルの調査隊とのやり取りが行われているはずだ。
調査が順調に進んでいるのか、それとも何かあったのか。どちらにせよ、私を起こしに来た以上、何らかの報告があるのだろう。
「何かあったか?」
私が尋ねると、ミーシャは小さく頷いた。
「はい。ラウルディエルの生体研究施設にて、人間と思われる生存者が発見されました」
「……何だって?」
一瞬で眠気が吹き飛んだ。
「ブリッジまでお越しください。クレイ統括管理官がお待ちです」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ブリッジへ足を踏み入れる。
室内の空気は、仮眠を取る前よりも明らかに慌ただしかった。行き交う靴音や端末を叩く音が幾重にも重なり合い、ブリッジ全体が一つの生き物のように感じられた。
各管制席ではクルー達が絶え間なく端末を操作し、報告や指示が飛び交っている。通信担当の前には複数の回線が開かれ、普段よりも忙しそうにやり取りを続けていた。
どうやら調査を終えた隊が帰還し始めているらしい。ドッキングベイや転送ターミナルとのやり取りが聞こえてくる。回収品の搬入が始まっているのだろう。ラウルディエルの調査は、私が眠っている間にも着実に進んでいた。
「おはようございます、マスター」
クロムに代わって中央指揮卓の前に立つクレイが、こちらへ向き直った。
「ああ、おはよう。クレイ。早速だが報告を頼む」
「承知しました。まずはこちらをご覧ください」
クレイが端末を操作する。次の瞬間、ブリッジ正面の大型スクリーンに映像が投影された。
そこに映っていたのは――培養シリンダーの中で眠る、一人の女性だった。
鮮明とは言い難い映像だ。映像には細かなノイズが走り、時折、照明の反射で輪郭が乱れる。それでも、培養液の中に浮かぶ女性の姿だけは、奇妙なほどはっきりと目に焼き付いた。ノイズに紛れながらも、そこだけは像が崩れることを拒んでいるかのようだった。
送られてきた映像を見ながら、私はしばらく言葉を失っていた。
「培養シリンダー内に、人間を入れるなど……前例がありません」
傍らで、クレイが呟いた。
培養液そのものは珍しいものではない。生体組織の保護や成長補助に使われる標準的な設備だ。だが、成長した人間をその中へ入れた例など焼き付けられた知識の中にも存在しなかった。
「……どう思う?」
私は映像から目を離さずに問いかけた。
「判断しかねます」
クレイは即答した。
「見たところ、肉体的な劣化は確認できません。成長促進性を持つ培養液内にありながら、過剰な組織変化も見られない。何らかの調整が行われている可能性があります」
映像の中で女性は微動だにしない。まるで眠っているだけのように見えるその姿に、私は無意識のうちに問いかけていた。
「助かる可能性は?」
「現時点では不明です。ただ、シリンダー本体の状態は比較的良好です。搬出後、医療区画で精密検査を行えば、あるいは」
私は短く息を吐いた。
映像の中では、調査隊員たちが慎重にシリンダーの固定の解除方法を確認している。周囲では別の隊員が施設端末に接続し、何らかの記録を抽出していた。
誰も慌ててはいない。だが、その動きには明らかな緊張があった。画面越しにも伝わるその緊張感が、事態の重さを物語っていた。
「他にも、同じような状態の者がいるかもしれない。よく確認させてくれ」
「了解しました。回収次第、直ちに医療区画へ搬送します」
クレイはそう答えるとすぐに端末を操作した。いくつもの指示がブリッジから各部署へ飛んでいく。
医療区画の受け入れ態勢。転送室とドッキングベイの使用調整。ラウルディエルから回収される物資の仕分け。
数時間前に送り出した調査隊が帰還し始めている。ラウルディエルから回収された膨大な情報と物資の解析が始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数時間後。ブリッジの喧騒を背中に受けながら、私は会議室へと足を踏み入れた。室内には、艦の中枢を担う者たちが既に集まっていた。
扉が閉まると同時に、ブリッジの喧騒が嘘のように遠ざかる。静けさの中に、それぞれの気配だけが色濃く残っていた。
真っ先に目についたのはザルツだった。今にも席を立ちそうな様子で、椅子の上で身体を揺らしている。
その隣ではクロムが静かに端末へ目を通していた。クレイは既に会議資料を整理し終えているらしく、いつものように背筋を伸ばして席に座っている。
ミーシャは私の席の近くで待機し、ベルは壁面モニター上で足を組みながらこちらを眺めていた。
「少しは落ち着いたらどうだ。ザルツ」
端末から顔を上げたクロムが呆れたように言う。その視線は、小さく揺れるザルツの全身を睨み付ける様だった。
「報告は適宜入れてるだろ? 俺はこうして待つのが性に合わんのだ」
しかし、そんなクロムの声をかき消すような勢いで、ザルツは反論した。ギシギシと軋む音を立てた椅子の音にクロムが眉を顰める。
「まぁそう言うな。これも立派な仕事だ」
ザルツはこちらへ振り向いた。先ほどクロムへ向けていた声とは異なり、そこには随分と親しみが込められていた。
「おお、艦長! すみませんな。どうも、椅子に座るのは落ち着かず……」
どうやら、彼はやはり黙って座っている事に向いた人材ではない様だった。あわよくば立ち上がろうと機会をうかがっている。
しかし、全員の前では勝手も出来ないのだろう。サイズ感の合っていない椅子に無理やり腰を下ろしている姿は、随分と滑稽に見える。
「わかったわかった。お前の報告を最初にしてやろう」
「それは、ありがたい!」
私のその言葉に、ザルツは目を輝かせ、大仰な態度で喜んで見せた。そのわざとらしい態度に、クロムが苦言を呈す。
「ザルツ、少し艦長に対して礼を失しているのでは?」
「ん? 俺は艦長の事は敬愛しているぞ?」
どうやら、ザルツには悪気はないようだった。心底不思議そうな顔でクロムを見つめている。
「そうではない、態度の問題だ」
そんなザルツの態度に毒気を抜かれたクロムは額を押さえた。
「まぁまぁ、私の事はいい。それに、これもザルツの持ち味だ」
私は軽く手を上げ、クロムを宥めた。クロムはまだ納得していない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。
その様子に私は苦笑を浮かべながら、空いている席へと腰を下ろした。
「約束通り……ザルツ、お前からだ。報告を頼む」
「承知しました」
視線が自然とザルツへ集まる。ザルツは待ちかねていたように立ち上がると、投影端末を操作した。
「まずドライブコアですが、状態は良好でした」
空間に映し出されたのは、第三班が撮影した機関区画の中央で静かに浮かぶ銀色の球体だった。自らが発している斥力場によって、吹き飛んだ支持架から、一定の距離を保って浮遊している。
「周辺設備はほとんど吹き飛んでおりましたが、本体に目立った損傷は確認されませんでした」
「使えそうか?」
「少なくとも回収した設備の中では、文句なしの大当たりですな」
ザルツは映像へ振り返る。映像が拡大される。焼け爛れた機関区画の中心で、銀色の球体だけが異様な存在感を放っていた。
「ただし、問題もあります」
ザルツは端末を操作し、別の資料を表示した。それは、クレイドルとラウルディエルの機関部を比較した資料だった。
「クレイドルへの組み込みは難しそうです。ドライブコアは生きていますが、それを扱う主機関がありません」
『えー、せっかく見つけたのにですか?』
ベルが不満そうな声を上げる。
「まぁな」
ザルツは頭を掻いた。
「補助エンジンでも無理やり動かせなくはありませんが、性能は本来の一割にも行かんでしょうな」
そう言いながら、クレイドルとラウルディエルの機関構成比較図を拡大していく。流石は軍艦と言った所か、ドライブコア自体も特別である様だ。似て非なる構造をしている事が一目で分かる物だった。
「構造そのものが違うのです。まぁ、それでも見つかっただけ儲けものです」
ザルツは苦笑しながら肩を竦めた。
「そもそも、人類勢力圏へ帰るなんて話そのものが夢物語でしたからな」
『つまり、帰れる可能性が出てきたってことですね! これで私と言う存在が歴史に刻まれますね!』
ベルがディスプレイから飛び降り、会議卓の上に降り立つ。会議室の空気が少し和らぐ。ミーシャは、そんなベルの様子をニコニコして見つめていた。
「それと、まだ途上ですが、回収品の大半は軍需物資でした」
映像が再び切り替わる。積み上げられたコンテナや部品類の一覧が表示された。
「予備部品、電源設備、制御機器、工具類。一部携行食料などもありましたが、その辺りです」
ザルツは資料を流しながら続ける。
「整備や工作の連中には喜ばれると思います。使える物が予想以上に残っておりました。作業は続けますが、内訳は大きく変わらんでしょうな」
そう言いながら資料を閉じかけたザルツだったが、ふと思い出したように手を止めた。
「ああ、それと。一つだけ、妙な物が見つかりましてな」
「妙な物?」
「機関部の破壊区画、ドライブコアの直近です。瓦礫の中に埋もれる形で発見されました」
ザルツが端末を操作すると、映像が切り替わる。
映し出されたのは、鈍い光沢を放つ塊だった。全高にしておよそ二・五から三メートルほどか。折り畳まれるように収縮した形状は、一見すると崩れた機械の残骸にも見える。外部からの強い衝撃を受けたようで、所々に歪みが見て取れる。
『うわぁ……何ですかこれ』
ベルが眉を寄せる。珍しく、その声から茶化すような響きが消えていた。
「素材の照合はできたか?」
「いや、それが……」
ザルツは珍しく歯切れの悪い声を出した。
「艦内のどのデータベースにも該当する合金組成が見当たりません。我々の知る技術体系の物ではないでしょうな」
「動きは?」
「今のところ、完全に沈黙しています。エネルギー反応もゼロ。ただの金属塊と言われれば、それまでですが……」
ザルツは腕を組み、映像を見つめたまま続けた。
「妙に、居心地の悪い代物でして」
「クレイ、詳細解析は?」
クレイが即座に応じた。
「外部からの刺激を最小限に留めるべきと判断し、通常の分析プロトコルは一時保留とし、現在は隔離区画にて厳重に保管しております」
「賢明だな。ラウルディエルに起きた出来事を知る糸口になればいいが……」
私はそう答えながらも、映像に映る折り畳まれた塊から、しばらく目を離せずにいた。妙な不快感の理由は自分でも分からない。ただ、その規則正しく折り重なった金属の形が、脳裏から離れなかった。
「……以上です」
そう言うと、どこか肩の荷が下りたような表情を浮かべた。そして、そわそわと身体を揺らす。
「それで、その……俺は現場へ戻っても?」
「まだ駄目だ」
即座にクロムが切り捨てる。
「むぅ……」
ザルツが露骨に肩を落とした。その様子に、私は苦笑を漏らした。
「いや、構わん。だから最初に報告させたんだ」
「おお! ありがとうございます!」
ザルツは顔を輝かせる。
「ザルツ」
クロムが鋭い声を飛ばした。
「まぁまぁ」
私は軽く手を上げて二人を制した。
「現場の責任者がここに縛り付けられていても仕方ない。後の内容はクレイに共有してもらえ」
クロムは不承不承といった様子で口を閉ざす。
「恩に着ます、艦長! それでは!」
ザルツは深々と頭を下げた。だが次の瞬間には踵を返し、ほとんど駆け足で会議室を後にしていく。
自動扉が閉じる音が響いた。しばしの沈黙の後、ベルが呆れたような声を漏らす。
『行っちゃいましたねー』
「最初からそのつもりだったのでしょう」
クレイが淡々と答えた。
「仕切り直すか……ミーシャ、紅茶を頼む。全員分な」
「はい、艦長」
ミーシャは静かに一礼して部屋の隅に置かれたワゴンに向かう。重要な話が、まだ随分と残っている。




