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星渡る揺り籠 ―辺境星域開拓記―  作者: ハノン
第一章 宇宙漂流編

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第22話 - 培養液に浮かぶ影

 生体研究施設へ到着した第三班は、管制から送られてきた記録を確認していた。


 艦内ネットワークが最後に記録を残した場所。そこは施設最深部に位置する生体培養区画だった。


 ここに至るまでの道のりは、他の区画よりも明らかに損傷が少なかった。壁面の焦げ跡もなく、瓦礫が漂うこともない。


 まるでこの一帯だけが、艦の破壊を免れたかのようだった。隊員達はその不自然な静けさに、かえって警戒の色を濃くしていた。


 隊長は目の前の隔壁を見上げる。ここまでに突破してきた区画と違い、扉そのものに目立った損傷はない。隔壁の表面には長い年月による劣化こそ見られるものの、設備としては異様なほど原形を保っていた。


 その時だった。


「隊長――この区画、電源が生きています」


 隊員の一人が声を上げる。照明の先には、扉脇に設置された制御端末があった。その操作パネルには光が灯り、僅かな周期を刻みながら繰り返し明滅している。


 隊長は眉をひそめる。


 ラウルディエルの主機関は完全に沈黙している。発電の手段は失われ、艦内は非常灯の明かりすら失われていた。


 それにもかかわらず、この区画だけが稼働状態を維持している。


「強制突破は中止。扉の開放を試みろ」


「了解」


 端末へ接続ケーブルが差し込まれ、解析が開始される。


 不意に低い振動音が響き、隊員達は反射的に動きを止める。隔壁の向こう側から聞こえてきたのは、軋むような金属音と重機械が駆動する唸りだった。


 沈黙していたはずの艦内で、何かが動いている。全員の視線が、示し合わせたように隔壁の一点へと集まった。


 やがて装甲隔壁が動き始めた。長い眠りから目覚めた獣のような重々しい音を立てながら左右へ開いていく扉の先へ、隊員達は警戒を解かぬまま照明を向ける。


 そこに広がっていたのは巨大な培養施設だった。


 部屋の中央には天井近くまで伸びる円柱状の設備が据えられ、その周囲には円筒形の作業台と無数のコンソールが配置されている。


 中央から伸びた搬送レールには大型の搬送アームが取り付けられており、壁面を埋め尽くす培養シリンダーへ接続されていた。


 高い天井と広大な空間を囲むように並ぶ無数のシリンダーは薄暗い照明の中で鈍く光を反射し、その光景は巨大な墓標が壁一面に並んでいるかのような異様さを醸し出していた。


 隊員達の足音以外、何一つ音のしない空間に、自分たちの呼吸音だけがやけに大きく響いていた。


「まずは周辺の安全を確保する。各分隊、持ち場を報告しろ」


「北側、異常なし」


「南側、異常なし」「東側も同様です」


 短く返る報告に、隊長は小さく頷く。広大な空間を隅々まで検分するには、これだけの人数でも到底足りない。だが、今はまず、目の前の異常に対処することが優先だった。


 隊員達は展開の指示を待つことなく、慣れた動作で部屋の四方へ散開していく。壁際に据えられた計器類を一つずつ確認しながら、生存反応探知装置のセンサーを起動させた。


「施設内に生体反応なし。シリンダー内は遮蔽のため走査不能です」


 次々と返る報告はいずれも同じ結果だった。分かってはいたことだが、それでも誰かが小さく息を吐く音が通信に混じった。


「……隊長」


 隊員の一人が部屋の中央へ照明を向ける。


 床一面に人影が倒れていた。数十。いや、百を超えるかもしれないバイオロイドだった。


 無音の中に横たわるその数の多さに、隊員の一人が小さく息を呑む音が通信越しに聞こえた。


 活動を停止した彼らは、何かに手を伸ばした姿勢のまま倒れている者もいれば、作業中に力尽きたかのような姿勢のまま動かない者もいる。


 まるで一瞬にして時間が凍りついたかのように、その姿勢の一つひとつに直前までの作業の痕跡が刻まれていた。


 倒れている個体の向きには、一定の偏りがある。通路へ向かっていた者を除けば、その大半が部屋の中央ではなく、壁面に並ぶシリンダー群の一角へ身体を向けている。


 彼らはここへ逃げ込んだのではない。最後の瞬間まで、この施設の何かを維持しようとしていた。


「まるで、全員がここへ集まってきたみたいだな……」


 隊員の一人が呟いた声には、疑問と、僅かな不安が滲んでいた。隊長の脳裏に、先ほど感じた根拠のない直感がよぎる。


 ここへ向かう前に覚えた、あの静かな違和感は的中していたのかもしれない。ただし、目の前に広がっているのは、何かが動いている気配ではなく、完全に沈黙した死の光景だった。


 隊長は周囲を見渡した。戦闘の痕跡は見当たらない。損傷も少ない。にもかかわらず、施設内の全てが、ある瞬間を境に停止したような様相を呈していた。


「解析を開始しろ」


「了解。解析を開始します」


 隊員の一人が制御端末へ接続ケーブルを差し込む。古い端末は一瞬だけ沈黙し、やがて途切れ途切れの表示を浮かび上がらせた。


 表示された画面には施設全体の状態が映し出されている。無数の緑色のラインが各設備を結び、その合間には故障や損傷を示す黄色や赤色の警告表示が散見された。


 それでも施設全体の稼働率は高い。


「稼働率八十三パーセント。正常稼働中と判断。ただ……」


「なんだ?」


「施設全体のエネルギー分布に偏りがあります」


 報告する隊員の声には、僅かながら困惑の色が滲んでいた。長年放棄されていたはずの設備が、なぜこれほど整然とした稼働率を保っているのか。その事実そのものが、既に異常だった。


「原因は?」


「特定できません。解析中です」


「エネルギーの流入先は?」


「培養シリンダー群のうち、一基に集中しています。座標を送ります」


 示された座標は、壁面を埋め尽くすシリンダー群の一角を示していた。倒れているバイオロイド達の多くが身体を向けていた場所と、ほぼ一致している。


 隊長は僅かに眉を動かす。長年放棄された施設が、たった一つのシリンダーへ向けて資源を注ぎ続けている。その意味を、まだ誰も言葉にできずにいた。


 隊長は壁面を埋め尽くす培養シリンダーへ視線を向けた。


「ここからでは確認できないな……アクセスログは」


「現在抽出中。……シリンダー投入記録、およびエネルギー設定の変更履歴を確認」


「解析に回せ」


 これほどの規模の施設を、限られた人数で解析し尽くすことは不可能だった。隊長は焦りを押し殺しながら、優先すべき情報を選び取っていく。今はまだ、全体像を掴むことよりも、目の前で起きている異常の正体を見極めることが先決だった。


 隊長は通信回線を開いた。


「こちら第三班。クレイドル管制、応答願う」


『こちらクレイドル管制』


「優先調査対象の稼働状態を確認。施設稼働率八十三パーセント。特定シリンダーへのエネルギー偏重を確認した。アクセスログ及び施設データを送信する」


『受信しました。解析を開始します』


 短い応答と共に通信が切り替わり、施設内には再び静寂が戻ったその時だった。制御端末を操作していた隊員が声を上げる。


「隊長、施設管理系がこちらの端末を認識しました」


「何?」


「旧式の認証プロトコルに反応しています。待機中だった自動処理が再開。保全対象の搬送シーケンス――!?」


 言葉の途中で、端末上の表示が赤く切り替わった。


『ビィ――――!!』


 甲高い警報音が施設全体へ響き渡る。暗闇に沈んでいた空間が、赤い警告灯によって染め上げられた。壁一面に並ぶシリンダーの群れが、明滅する赤光を浴びて、一斉に呼吸を始めた。


 無数のシリンダーの表面に走る配管が、一斉に脈打つように明滅する。まるで長い眠りから覚めた巨大な生物の血管が、久方ぶりに血を巡らせ始めたかのようだった。


 しかしその明滅は長くは続かない。ほどなく大半のシリンダーは再び沈黙し、光を保ち続けたのはただ一基だけになった。


「警戒!」


 隊員達が一斉に武器を構え、即座に円陣を組んで全周を警戒する。しかし、彼らを害する何かが現れることはなかった。


 代わりに動き出したのは、施設そのものだった。中央にそびえる円柱状設備が低い振動を発しながら稼働を開始する。


 天井近くに格納されていた巨大な搬送アームがゆっくりと展開され、その先端が壁面の培養シリンダーの一つを掴んだ。


 関節の一つひとつが軋みながらも正確に連動し、まるで意思を持った生き物のような滑らかさで動いていく。重い駆動音と金属同士が擦れ合う音が施設内へ響く。


 長年固定されていたシリンダーが壁面から引き抜かれる。搬送アームはそれを慎重に運び、部屋中央付近に設置された円筒形の台座へ固定した。


 固定機構がシリンダーの基部を捉えると、台座の周囲に並ぶ表示灯が順に点灯していく。


 停止していたコンソールにも文字列が浮かび上がり、長い年月を経てもなお継続されていた処理の状態を淡々と表示していく。


 最後の表示を確認した隊員達の動きが止まった。


「生体反応……?」


 搬送アームが天井へと戻り、警報音と警告灯が停止する。


 隊長はシリンダーへ視線を戻す。汚れと結露に覆われた外殻の向こうでは、まだ内部の様子を明確に確認することができなかった。


 施設は再び静寂を取り戻した。


 しかし誰もが状況を理解できずにいた。ただ、誰一人として視線を逸らせなかった。隊長もまた目の前の光景から視線を離せずにいる。


 シリンダーの表面には、劣化した識別表示が残されていた。辛うじて読み取れたのは、管理番号と思われる数字列と、赤く明滅する一つの表示だけだった。


『保全対象――第一優先』


 それが何を意味するのか、現段階で判断できる者はいなかった。


『第三班、状況を報告してください』


 管制からの呼びかけがバイザー越しに響く。しかし、その場にいた誰一人として即座に応答できなかった。


 誰もが、この光景をどう言葉にすればよいのか分からずにいる。数秒か、数十秒か。判然としない沈黙が施設内に横たわった後、隊長は無意識のまま一歩前へ出た。


 ほとんど同時に、シリンダー内部の照明がゆっくりと明度を増していった。外殻を覆っていた結露が除去され、その奥に沈んでいたものが、次第に輪郭を現した。


 台座の上に固定された培養シリンダー。その内部を満たす淡い光。揺らめく培養液。そして――その中に眠る、一人の女性。


 まるでただ眠っているだけと言ったような、穏やかな表情だった。長い髪が培養液の中でゆっくりと揺れ、その一房一房が、まるで意思を持っているかのように緩やかな軌道を描いている。


 長く忘れ去られていた軍艦の最深部。誰も存在しないはずの培養施設。その中央で、彼女だけが時を止めたまま眠り続けていた。


 隊長は無言で端末の映像送信機能を起動する。この光景を言葉だけで説明することは不可能だった。


 静まり返った施設に隊長の声だけが響く。


「こちら第三班。独自処理制限に規定された状況を確認。映像を送信する。統括管理官、並びに艦長の判断を求む」


 送信を終えた隊長は再びシリンダーへ視線を向けた。


 淡く発光する培養液の中で眠る女性は、まるで今にも目を覚ましそうなほど静かで、美しかった。


 その静けさは、これまで目にしてきたラウルディエルの惨状とはあまりにもかけ離れており、隊長はしばらくの間、自分が今どこに立っているのかさえ忘れそうになっていた。


 周囲から向けられた照明がシリンダーの曲面で幾重にも屈折し、淡い光となって彼女の輪郭を静かに浮かび上がらせていた。破壊と死に満ちたこの艦の中で、その一角だけが、時間から切り離されていた。


 やがて通信回線の向こうで、複数の音声が短く交錯した。管制もまた、この映像を即座には処理できずにいるらしい。


『第三班、その場を維持してください。艦長及び統括管理官の判断を待ちます』


「了解……周辺を封鎖する。誰も台座には近づくな」


 隊長の声に、隊員達は無言で頷いた。武器を下ろす者はいなかったが、銃口はもう、彼女へは向けられていない。


 クレイドルからの応答を待つ間、施設には再び静寂が満ちていく。誰も声を発さない。ただ、培養液の中で緩やかに揺れる髪だけが、時間が止まっていないことを示していた。

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