第18話 - 星に還る船
ブリッジに静寂が落ちた。
補助エンジンの試験、ガス採取――それらとは性質の異なる報告であることを、誰もが理解していた。
「解析は終わっているのか」
「はい。近傍宙域到達後に取得した高解像度データを反映しました」
クロムの問い掛けに、オペレーターが答える。
「映してくれ」
「了解」
映像がゆっくり回転しながら正面へ固定される。光学望遠、電磁波、熱画像が順番に重なっていく。
ノイズ除去が行われ、輪郭が鮮明になっていく。これまで光点としてしか捉えられていなかった観測対象が、一つ、また一つと高精細な映像へ置き換わっていく。
対象は複数あった。
ヘリオンへ向かう以前から確認されていた人工物群である。存在自体は把握していたものの、距離が遠過ぎたため、その正体までは判別できなかった。だからこそ近傍宙域へ到達した段階で、観測班には最優先で詳細解析が命じられていたのだ。
「順番に映してくれ」
私が言うと、オペレーターは一つ目の映像を中央へ拡大表示した。
「最初の観測対象です」
そこに映し出されたのは、巨大な軌道ステーションだった。
「これは……」
驚きに声が漏れた。
かつては一つの街にも匹敵する規模を持っていたのであろう巨大構造物である。無数のモジュールが複雑に連結し合ったその姿は、長い年月をかけて増築を繰り返してきたことを物語っていた。
しかし今、その姿に活気は無い。
外壁の一部は失われ、複数のモジュールが破断したまま宇宙空間へ露出していた。
連絡通路は途中で千切れ、破断面からは内部構造材が骨のように突き出している。窓らしき部分は黒く沈黙していた。
時間だけが失われていた。回転による重力を生み出していたのであろうリング状区画も半ば崩壊し、歪んだ姿のまま静かに軌道上を漂っている。
通信アンテナは展開されたまま停止し、人工的な明かりは一つも見当たらない。それでも中央構造体だけは辛うじて形状を維持し続けている。
崩れ落ちたモジュールの隙間からは、かつて内部を満たしていたであろう配管や配線の残骸が、まるで内臓のように覗いていた。何がその崩壊を引き起こしたのか、映像だけでは判別できない。
その巨大な残骸は、ヘリオンの青灰色の雲海を背に、墓標のように静かに浮かんでいた。
『生命反応、動力反応共に確認できませんね』
ベルが解析結果を表示する。
映像の脇には施設の模式図が展開され、各区画の状態が色分けされていた。そのほとんどが黒く塗り潰されている。
『熱源反応もなさそうですから、光子発電も止まり非常用のバッテリーも使い果たしているようです』
しばらく映像を見つめていたミーシャが静かに口を開く。
「居住区画の割合が大きいですね」
彼女は崩壊したリング区画へ視線を向けた。
「ガス採取だけではなく、整備や補給も行う拠点だったのでしょう。規模から考えると、常駐人員は三千から五千人程度ではないでしょうか」
数千人。街と呼ぶには小さい。だが、一つの社会を築くには十分な人数だった。
居住区画だけではない。観測設備、整備ドック、物資倉庫、発電設備。映像に映る構造物の配置からも、この施設が長期間の運用を前提として建設されたことが分かる。
「ここにも、人々の日常があったのでしょうね」
ミーシャが静かに呟く。私は黙って映像を見つめた。
この規模の施設を維持するには、多くの人間が必要になる。交代で勤務する運用員、整備員、管制員、物流担当、医療スタッフ。彼らを支えるための居住設備や生活インフラもまた必要だったはずだ。
だが今、その全ては停止している。
私が見ているのは、巨大な宇宙施設ではない。かつてここに存在した、一つの社会の終着点だった。
崩れ落ちた壁の向こうに、かつて誰かが暮らしていた名残を探そうとする自分に気づいた。
『うーん。見た所、めぼしい物は無さそうですねぇ』
ベルは映像を拡大したり縮小したりしながら、最後にそう結論付けた。ブリッジに短い沈黙が落ちる。誰もが、ヘリオンを背に漂う巨大な廃墟を見つめていた。
やがてクロムが短く告げる。
「次だ」
その指示を受けたオペレーターが映像を切り替える。
「次の観測対象です」
空中へ新たな映像が投影された。それは巨大な通信中継施設だった。
中央構造体から放射状に伸びるアンテナ群。その一本一本が数百メートル級の長さを持ち、まるで宇宙へ向けて枝を広げた金属の樹木のようだった。
逆光に浮かぶそのシルエットは、静止しているにもかかわらず、今にも動き出しそうな雰囲気を纏っている。
大型の集束アンテナは今もヘリオンの外側へ向けられている。しかし、その姿に活動の気配は無い。外装には無数の微小隕石痕が刻まれ、一部のアンテナは途中で欠損していた。
それでも施設そのものは比較的良好な状態を維持している。それは、再びその役割を果たす事を待つように、静かに軌道上を漂っていた。
「通信波の発信も確認できません。現在は完全に沈黙しています」
空中へ施設の模式図が展開される。主要区画は全て灰色だった。
『構造体の損傷は軽微ですね。適切な保守さえ行えば、今でも使用できる可能性があります』
ベルがアンテナ群の一部を拡大した。
「随分と状態が良いな」
私が言うと、クレイが映像へ視線を向けた。
「施設そのものが機能停止に至るような損傷は確認できません。大規模な事故や外部から攻撃を受けた形跡も見当たりません」
淡々とした説明だった。ベルが首を傾げる。
『ということは、壊れたから放棄されたわけじゃないって事ですか?』
「その可能性は低いでしょう。放棄されたのだとすれば、原因は施設の外にあったと考える方が自然です」
クレイは即答した。
「なるほどな……」
私は黙って映像を見つめた。人々はこの場所を捨てたのではなく、捨てざるを得なかったのかもしれない。
何が彼らをここから追い立てたのか、静止した映像だけでは、その答えに辿り着く術がなかった。
『今の私たちにとっては、回収価値は低そうですね』
「同意します」
クレイも短く頷いた。クロムは無言のまま観測席へ視線を向ける。
「次の観測目標を表示します」
切り替わった映像を見た私は、思わず身を乗り出した。
それは施設ではなかった。
一隻の艦だった。
巨大ガス惑星ヘリオンを背景に、大型宇宙船が静かに浮かんでいる。青灰色の雲海を背負うその姿は、廃墟然とした先の二つの構造物とは明らかに異なる存在感を放っていた。
船体各所には損傷が見える。外装の一部は剥離し、複数区画が真空へ曝露していた。だが、それでも完全な残骸とは明らかに違う。
艦体の骨格は維持され、艦首から艦尾までのシルエットも崩れていなかった。大型アンテナや推進ノズルも大部分が残されている。長い年月を漂っていたとは思えないほど、その原形を保っていた。
『おお……これは予想外ですね』
ベルが小さく声を漏らす。先ほどまで軽口を叩いていた彼女も、今は映像へ釘付けになっていた。
ミーシャも映像を覗き込み、クロムでさえ僅かに眉を動かしている。
「識別は?」
クロムが尋ねる。
「現在照合中です」
オペレーターが端末を操作すると、映像の横へ各種データが次々と展開された。
全長、推定質量、熱源反応、姿勢、回転速度、相対速度、軌道要素――観測結果が解析されるたび、新たな数値が映像を取り囲んでいく。
私の視線は、その中の一項目で止まった。
「これは……」
映像の脇に表示された軌道予測図。現在位置から伸びた軌道線は、周回を繰り返すごとにわずかずつ内側へ寄っていた。
『あー……』
ベルが嫌そうな声を漏らす。
『落ちてますね、これ』
解析が完了し、予測軌道が赤く強調表示された。
現在位置を示す光点から伸びた軌道は緩やかな弧を描いていたが、その先に表示された予測線は、周回のたびに僅かずつヘリオン側へ沈み込んでいる。
「当該艦は現在もヘリオン周回軌道上に存在しています」
オペレーターの報告は簡潔だった。
「軌道減衰を確認。このまま推移した場合、一ヶ月以内に上層大気へ突入するでしょう」
私は改めて映像へ目を向けた。一見すれば静止しているように見える。だが実際には違う。あの艦は今も少しずつ高度を失い続けていた。
やがて辿り着く先は、ヘリオンの青灰色の雲海。人知れず、その姿を永遠に飲み込まれる未来だった。
「惜しいですね」
やがてミーシャが小さく呟いた。
「ここまで形を保っているのに」
私は静かに頷いた。
ここまで船体を維持したまま漂流している艦は珍しい。ヘリオンの上層大気へ落下すれば、その構造も、内部に残された記録も、二度と調査することはできないだろう。
ベルが予測軌道を指差した。
『回収するなら急がないと……このままだとヘリオン行きですね』
「予定変更による遅滞予測を」
私達の会話を聞いていたクロムが即座に指示を出す。
航法を担当するエリアでは計算が開始され、複数のウィンドウが次々と展開された。現在のガス採取軌道を基準に、接近経路、必要な姿勢制御、推進剤消費量、作業時間、回収後の復帰軌道――様々な条件を反映した航法案が高速で更新されていく。
十数秒後、一つの予測結果が優先表示された。
「許容範囲内です。ガス回収計画への影響は軽微。予定の遅延は最大二十六時間と予測されます」
クロムは表示された数値へ一通り目を通し、他部署から上がる確認結果にも短く視線を走らせる。
「推進剤消費率は」
「増加率一・七パーセント」
「サルベージ作業中の姿勢制御」
「規定値内です」
航法演算担当に必要な確認を終えたクロムは、静かに私へ向き直った。
「当該船舶の回収は可能と判断します」
私は一度だけ映像の中心に映る宇宙船を見つめた。このまま放置すれば、この船は一カ月後にはヘリオンへ呑み込まれる。
それは一隻の宇宙船を失うというだけではない。そこに残された記録も、人類がこの宙域で築いた歴史の断片も、永遠に失われるということだ。
結論は決まっていた。
「なら決まりだ。ガス回収を継続しつつ、目標に接近。サルベージを行う」
各部署から復唱が返り、ブリッジが再び喧騒を取り戻していく。
曳航設備の確認、回収班への連絡、接近ルートの再計算が同時進行で始まり、先ほどまで観測映像を見つめていたオペレーター達もそれぞれの持ち場へ意識を戻していた。
その様子を眺めながら、私は観測席へ向けて視線を送る。
「ところで、識別照合は終わったか?」
「はい。先程結果が出ました」
映像の横に識別情報が表示された。
「当該艦は第四十三開拓移民船団所属艦艇――」
オペレーターの声を聞きながら、私は再び映像へ目を向けた。ヘリオンを背に漂う宇宙船は、今もゆっくりと雲海へと沈みつつある。
表示された識別情報が意味するものを、この時の私達はまだ理解していなかった。
だが、静かに沈みゆくその姿を前に、ブリッジに満ちていた喧騒が、いつしか張り詰めた沈黙へと変わっていくのを感じた。
失われた開拓移民船団の痕跡。
その中に何が残されているのか――答えは、手の届く場所にあった。




