第14話 - 次なる目的地
クレイに連れられて仕事を終えた私は、艦長室に戻った。
そんな私を出迎えたのは、柔らかな栗色の髪を後ろでまとめた女性型バイオロイドだった。
【D-4300-CRS-348】ミーシャ。
彼女には当初、農業区画と食料生産設備の管理を任せていた。しかし今のクレイドルに食料を消費する人間は私一人しかいない。
農業区画の運営が軌道に乗ると、その役割は自然と艦内全体へ広がっていった。
現在では、農業区の管理に加え、食料生産計画の立案、厨房や医療区への資材供給、居住区をはじめとする共通区画の維持管理まで、生活基盤全般を統括している。
それでもなお、彼女は時間を作っては私の身の回りの世話や警護にも携わっていた。クロムやザルツと並ぶ管理個体の一人でありながら、本人からはそんな重責を感じさせる様子はない。
いつも穏やかな笑みを浮かべ、誰かに頼られれば、ごく当たり前のことのように手を差し伸べている。
給仕服に身を包んだその姿は使用人そのものだが、その立ち居振る舞いには品がある。
扉をくぐるまで身を包んでいた僅かな緊張感が、彼女の存在一つで和らいでいくのを感じる。
彼女の傍らには、クロスが掛けられたテーブルがあり、複数の品が置かれたワゴンが存在を主張している。
ミーシャは、クレイに連れられた私を見るなり何処か呆れたような、それでいて微笑ましいものを見るような表情を浮かべた。
「何か言いたそうだな」
「いえいえ、何でもありませんよ」
そう言って首を振るミーシャだったが、その表情に浮かぶ笑みは深くなる一方だった。視線の先には、無表情でプリプリ怒るという離れ業を披露しているクレイがいる。
相変わらず感情の起伏は薄く、昼夜を問わず働き続ける彼女の姿は健在である。しかし、多かれ少なかれ周囲の影響を受けたのだろう。
以前よりは表情に柔らかさが混ざるようになり、容姿相応の反応を返す事もある。
無表情の奥にわずかに滲むその変化に気づけるようになったのは、他ならぬ私自身が、彼女と過ごす時間の中で見る目を養ってきたからなのかもしれなかった。
今の彼女の姿は、まさにそれであった。
「マスター、こちらに。予定を超過していますが夕食です」
クレイが椅子を引き、促してくる。給仕役のミーシャを差し置いて、自分で世話を焼こうとする辺りはミーシャという存在が現れても変わらない。
後ろで準備を進めているミーシャもまた、何処か苦笑している様に見えた。
「ほら、クレイも座れ。まだ食べてないんだろう?」
「マスター!?」
私はクレイの腕を掴むと、そのまま椅子へ座らせた。彼女の体はバランスを崩すように椅子へ沈む。慌てて立ち上がろうとする彼女を押さえながら、後ろに控えていたミーシャへ声を掛ける。
「ミーシャ、二人分だ」
「ふふ、かしこまりました」
まるで兄妹のじゃれ合いを見るような微笑ましい顔を浮かべたミーシャは、静かに部屋を出ていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さぁ、艦長、クレイ統括も、大人しくなさって下さい」
もう一人分の食事を乗せた給仕台を押しながら入室したミーシャは、未だ他愛のないやり取りを続ける私達を嗜めながらテーブルの上に料理を並べ始めた。
並べられていく皿の一枚一枚が、それぞれ異なる熱気を立ち上らせ、狭い室内を温かな匂いで満たしていく。
シンプルな意匠の施された純白のテーブルクロスの上に、豪華な料理の数々が並ぶ。部屋一杯に広がる食欲をそそる匂いに、抑えきれず喉が鳴った。
視界に覗く色とりどりの皿は、これまでの艦内食とはまるで別世界のもののように映る。
金属が陶器の皿に触れる音が静かな部屋の中に続く。
傍らには白い制服に、何処から引っ張り出したのか分からない可愛らしいエプロンを身につけて給仕に励むミーシャが居た。
「お食べにならないのですか? マスター」
傍らに共に腰を下ろしたクレイが不思議そうに言った。彼女はナイフとフォークを上品に使い、慎ましやかな様子で食事を口に運んでいる。
「いや……感動を噛み締めていた」
テーブルを埋める料理を見回す。
こんな食卓を囲んだのは、いつ以来だっただろうか。いや、食事の豪華さからすると、初めての経験かも知れない。湯気の立つスープの表面に、天井の照明がゆらゆらと映り込んでいるのを、しばらくの間ただ見つめていた。
「ふふ……大袈裟ですね」
鈴を転がしたような声音でミーシャが笑う。
食べ物とは思えない固形食糧からようやく脱却する事ができるのだ。決して大袈裟では無いと思う。
「そうは言うがな、実際、アレは食えたもんじゃない。お前たちは何で平然とあれが食べられるんだ」
文句を言いながらも食欲には抗えず、私は切り分けた肉を口へと運んだ。
口に入れた瞬間に広がる濃厚な味を少しでも留めようと、ゆっくりと噛みしめる。肉汁が舌の上でじんわりと広がり、これまでの味気ない食事の記憶を塗り替えていった。
「うん、美味い」
小さな言葉と共に頷いた私は、ペースを上げて食事を口に運び始める。しばし会話が途絶え、部屋の中には食器の奏でる音が響き続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食後に淹れられた温かい紅茶を口に運ぶ。
芳香の混じった湯気が鼻先をくすぐり、先ほどまで料理で満たされていた胃が、落ち着きを取り戻していく。窓辺から差し込む星明かりが、カップの縁をぼんやりと縁取っていた。
ミーシャは空いた皿を手早く片付け、代わりに薄い焼き菓子を載せた小皿をテーブルの端へ置いた。クレイはその向かいで端末を操作し、空中に星系図を呼び出している。
久しぶりに満足感のある食事を終えた私は、ようやく仕事へ意識を切り替えた。
「それで、あとの予定は何だったかな……?」
「あら……」
ミーシャが困ったように笑う。
「次の目的地の話です」
クレイの声は淡々としていたが、どこか呆れを含んでいた。
「燃料の補充が必要なんだったか?」
「はい、備蓄されている燃料は大部分が発電に回されておりますので、テロスまでは持ちません。そこで――」
クレイが指先を滑らせると、星系図の一角が拡大された。暗い宙域に、巨大な球体が浮かび上がる。
青灰色の雲に覆われた惑星が、ゆっくりと回転していた。渦を巻く雲の帯が幾重にも重なり合い、まるで生き物の呼吸のように、緩やかに形を変え続けている。
「進路を変え、第七惑星‶ヘリオン〟へと向かい、惑星軌道上を周回しつつ、ガスコレクターで表層ガスを回収します」
ヘリオンの周囲には複数の軌道が描かれ、その外側に小さな光点がいくつか表示されている。ヘリオンの周囲を公転する衛星の姿だ。
「そう言えば、人類の施設は無いのか? 既に彼らがこの星系に辿り着いているのならば、量子転送ゲートやガス回収プラットフォームくらい、整備されている筈だが……」
「それは望み薄かと思います」
「何故だ?」
「それは……ほら、ベルさーん。そろそろ拗ねてないで出てきてくださいな」
『うー……』
不満げな声と共に、テーブル上へ小さなホログラムが投影される。
それはティーカップを背にして座るベルの姿だった。膝を抱える様に座り込み、頬を膨らませた少女の姿は、どう見ても拗ねているようにしか見えない。
カップを動かしたらどうなるんだろうか?
そんなくだらない疑問が一瞬だけ頭をよぎる。
「どうしたんだ?」
『最近、管理官さんが、私に構ってくれないんですよぅ。いつもいつも、ミーシャさんとばかり楽し気に話して……』
ベルはちらりとクレイを見上げる。クレイは表情を変えずに紅茶を口へ運んだ。完全に受け流すつもりらしい。
「なんだ……。そんなことか」
『そんなことか、とは何ですか! そんなことか、とは!』
ベルが勢いよく立ち上がる。小さなホログラムの足元で、投影された光がテーブルクロスの上に淡く散った。
彼女の抗議の声に合わせて、ホログラムの輪郭がわずかにぶれ、小刻みに震えているようにも見える。
「いや、すまん」
抗議するベルを宥めながら、私は苦笑した。
「それで、人類の施設が無いというのはどういうことだ?」
『施設はありますよ。無いわけないじゃないですか。ですが、それと今の状況が整合していないんです』
ベルは胸を張って立ち上がると、先ほどまでの拗ねた様子を引っ込めた。ミーシャが小さく頷き、ベルが離れた空のカップへと静かに紅茶を注ぎ足す。
『現状、この星系内で人類による恒常的な活動は確認されていません』
「確認されていない?」
『定期的に全周波数帯での受信を継続しているんですけど、人工的な通信の痕跡が検出できてないんですよ』
ベルの説明に合わせるように、星系図の横へ波形データが表示された。
細かな線が幾重にも流れていく。恒星から放たれる電磁波。惑星磁場が発する微弱なノイズ。遠方の宇宙から届く背景放射。だが、そのどれもが自然雑音ばかりで、意味のある規則性を持つ箇所は一つとして見当たらない。
『望遠観測の結果でも同様ですね。軌道上や近傍の惑星周辺には人工物と思われる反応は存在しますが、活動中の施設や船舶は確認できていません』
ベルが指を鳴らすような仕草をすると、空中の星系図がさらに拡大される。
恒星を中心に複数の惑星軌道が描かれ、その上に小さな光点がいくつか点滅した。恒星や惑星の影になる領域は薄く灰色に塗り潰され、未観測領域として表示されている。
クレイドルから死角になる位置は、まだ見えていないという事だろう。
「つまり、誰も居ないということか」
私は肘掛けに肘を乗せながら、片腕でカップを持ち上げる。しかし視線は表示された光点から逸らさない。
星系図の上では人工物らしき反応が存在している。それにも関わらず、生きた人間の気配だけが無い。それが妙に不気味だった。
『その可能性が高いです』
その答えを聞きながら、私はカップを傾けた。窓の外には黒い宇宙が広がっている。第四十三開拓移民船団には相当な数の人類が居たはずだったが、その痕跡は驚くほど静かだった。
「とは言え、何らかの遺構くらいは残されているかもしれませんが」
クレイが補足する。彼女が端末に触れると、ヘリオン周辺の光点だけが強調された。
青と灰色の雲が幾重にも重なり、惑星全体を覆っている。表面には巨大な渦がいくつも確認でき、その一つひとつが地球の大陸にも匹敵する規模を持っていた。
その衛星軌道上に、いくつかの小さな点が浮かんでいる。古い観測衛星か。放棄された施設か。あるいは、まったく別の何かなのか。
ここからでは判然としない。ただ、その小さな光点だけが、この静かすぎる星系の中で、唯一人の手による何かを示唆しているように思えた。青灰色の雲間に紛れるその輝きは、瞬く星々の光とは明らかに異なる、硬質な鈍さを帯びていた。
「……では、当初の予定通り」
「はい。ヘリオンで燃料を回収した後は、最終目的地であるテロスへ向かいます」
「テロスまでの所要時間は?」
『ヘリオンでの補給を考慮しても、およそ四十五日ですね』
「意外と近いな」
『これでも結構な寄り道なんですけどねぇ』
ベルはティーカップの縁へ腰掛けると、不満そうに足をぶらぶらと揺らした。
もちろん、ホログラムである彼女の足がカップを揺らすことはない。だが、見た目だけなら随分と行儀が悪い。その様子を眺めていたミーシャが、小さく笑いながらクッキーの皿をベルの前へ置いた。
『食べられませんけど?』
「気分だけでも、と思いまして」
『そういうところですよ、ミーシャさん』
ベルはそう言いながらも、満更でもなさそうだった。
「……ですが、これまでの道のりを考えると、近いと思ってしまうのも仕方ありませんね」
「確かにな」
クレイの仕切り直す様な言葉に、小さく頷く。一年前には、目的地どころか明日を迎えられるかさえ分からなかった。それを思えば、四十五日という日数は十分な現実味を帯びていた。
『もっとも、その前に補助エンジンの試験がありますけどね』
「そうだったな」
「まずはそちらを無事に終わらせなくてはなりません」
クレイが淡々と言う。
「失敗するつもりはないさ」
『その台詞、失敗する人がよく言うやつですよ?』
「縁起でもないことを言うな」
思わず苦笑が漏れる。私は手にしたカップを静かに置いた。陶器が受け皿に触れ、小さな音を立てる。
補助エンジンの試運転。ヘリオンでの燃料回収。最終目的地テロス。たとえ人類の活動が確認できないとしても、留まるわけにはいかない。
紅茶の残り香が漂う室内で、クレイが端末を静かに閉じる。ミーシャは空いた食器を片付けながら、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。ベルの気配だけが、まだ何か言いたそうにテーブルの端で揺れている。
それぞれの役割を持った者たちが、それぞれの形でこの艦を支えている。そんな当たり前になりつつある光景を、私はしばらくの間、ただ黙って眺め続けていた。




