第11話 - 新たな管理者
ドッキングベイからバイオロイドたちを回収して、一ヶ月が過ぎた。
順次起動されたD-4300シリーズの働きによって、艦内各所では復旧作業が着実に進んでいた。停止していた設備も少しずつ息を吹き返し、船内には活気が戻り始めている。
だが、一つだけ解決できない問題が残っていた。
彼らは優秀な作業員ではあっても、自ら状況を判断し、現場を指揮することはできない。そのため、復旧計画の立案や作業指揮は、今なお私とクレイへ集中していた。
その状況を変えようと提案したのがベルだった。現場指揮を担える管理個体を増やす。その案を私は承認し、解析から製造までの一切をベルへ任せた。
そして今日。
『準備できましたよー!』
ベルから届いた短い報告を受け、私はクレイと共にバイオロイド解析室へ向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
研究区画の一角。冷却された分析室には、薄い駆動音だけが響いていた。壁面のパイプが規則正しく脈打つような音を立て、室内の冷えた空気をわずかに震わせている。
私とクレイの視線の先には、三本の培養シリンダーが並んでいた。
等間隔に据えられたそれらは、青白い照明を受けて鈍く光り、まるで祭壇に並べられた棺のようにも見える。
淡い緑色の培養液の中には、人影が静かに浮かんでいる。その姿は、ドッキングベイから回収されたD-4300シリーズの管理個体。
感情抑制機構の一部を調整された特別仕様のバイオロイド達だった。時折、培養液の中に小さな気泡が生まれては、ゆっくりと水面へと昇っていく。
『ふっふっふ……お待たせしましたー!』
じゃーん、という掛け声と共に、そのシリンダーの前で胸を張っているのは――当然ながらベルである。
「ベルが感情抑制プログラムの調整を行っていた個体だな?」
『いかにも! いやぁ、長かったですよ。カッコつけて「バイオロイドの可能性を創りましょうか」とか何とか言っちゃったじゃないですか? ですが、この超天才艦載AIである私であろうとも、バイオロイドのプログラム改変の知識なんて持ってなくってですねー、関連知識の照会から始めなきゃいけなくって――』
ベルの愚痴は止まる気配を見せない。どうやらこの一ヶ月は相当苦労したらしい。
「長くなりそうですね」
「ああ」
ベルの口調はヒートアップしていく。しかし、クレイはその言葉に耳を貸さず、端末を操作し続けていた。
指先が滑らかに画面を滑るたびに、新たな数値が次々と浮かんでは消えていく。どうやらベルの長話を待つつもりは無いようだ。
『――それで、ですね! ようやくプログラム改変を行ったと思ったら起動シミュレーションでバグ、バグ、バグの嵐ですよ! ちょっと聞いてますか?! あっちを変えればこっちが不具合、こっちを変えればあっちが動作不良ってな感じで! バイオロイドの思考プログラムって、なんであんなに複雑なんでしょう! これはもうワザとやってるとしか――』
分析室の壁面に並ぶモニターには培養シリンダーの状態が表示されている。生命維持装置、神経接続状況、思考領域の負荷率――どの項目も正常値を示していた。
「ところで、起動を進めても大丈夫か?」
「はい、マスターがそうおっしゃると思って、既に進めております」
既に起動準備は最終段階へ移行しているらしい。
『ちょっとぉ!? なに淡々と進めてるんですか! 今、壮大な回想の途中だったんですけど!?』
ベルが頬を膨らませる。だが、クレイはそんな抗議など聞こえなかったかのように端末を操作していた。
「培養シリンダー二番、三番共に正常。一番シリンダーの生命維持システム切り離しを開始します」
彼女の声に応じるように、分析室の天井から低い駆動音が響いた。シリンダー内部を循環していた培養液がゆっくりと排出され始める。
『むぅ……人が苦労して完成させたんですよ? もう少しこう、褒めるとか! 感謝するとか! なんかあるんじゃないですかねぇ?』
自分で苦労を背負いこんで、自分でそれを解決し、報酬を求める。人はそれをマッチポンプと言う。だが、それによって良い方向に動く場合もある。
「十分に感謝しているさ」
『絶対適当に言いましたよね、今』
「いや、本心だ。間違いない」
『むむむ……』
私の言葉を受けてもなお、ベルは疑わしそうな目を向けてくる。その間も再起動プロセスは順調に進んでいる。
「培養液排出率三十パーセント。個体反応正常」
「問題は無さそうだな」
「現時点では」
クレイの返答は簡潔だった。だが、その言葉には微かな緊張が混じっている。
当然だろう。起動そのものは何度も行われている。しかし、感情抑制機構を調整した個体の起動はこれが初めてなのだから。
『まー、大丈夫ですよ!』
ベルが自信満々に胸を張る。
『シミュレーション上では百三十七回中、百三十六回は成功してますから!』
「一回失敗してるじゃないか」
『そこはほら、気にしない方向で!』
「いや、気になるだろう……」
一方のクレイは既に話題を切り上げたいらしく、再び端末操作へと戻っていた。
相手にするだけ無駄ということか。彼女にとっては、ベルの暴走も今や日常風景の一つなのだろう。
「培養液排出率九十七パーセント」
クレイの声が響く。分析室の空気が僅かに張り詰めた。先程まで騒がしかったベルも、流石に口を閉じる。
培養シリンダー内部の液面は既に底が見え始めていた。薄緑色の液体に沈んでいた人影は、既にその全貌を現している。
分析室の天井に埋め込まれた警告灯が淡く点滅した。それに呼応するように、シリンダー外壁へ接続されていた無数のケーブルが順番に切り離されていく。
これまで彼らの呼吸を補助していた人工肺が停止し、循環器補助装置が切り離される。脳活動を監視していた神経接続ラインが外れ、思考領域への外部介入も完全に遮断された。モニター上のステータス表示が次々と緑色へ切り替わる。
培養シリンダー内部に残されたのは、薄く濡れた三体のバイオロイドだけだった。それは保護された生命を外界へ返すための儀式にも似ていた。
「生体維持機構への依存率ゼロパーセント、生体反応、神経活動共に正常」
そして最後の項目が消灯した。
「一番シリンダー、開放」
クレイの指示と同時に、分析室へ低い警告音が響いた。重い空気の抜ける音と共に、培養シリンダー内部の圧力がゆっくりと外気と均一化されていく。
外壁を固定していたロック機構が順番に解除され、金属製の固定爪が静かに後退した。やがて正面ハッチが僅かに浮き上がる。熱気を含む白い蒸気が隙間から溢れ出し、冷えた分析室の床を這うように広がった。
誰も言葉を発しない。ただ機械の駆動音だけが静かに響いていた。
ゆっくりと。本当にゆっくりと。シリンダーのハッチが開いていく。蒸気の向こうに揺らめく人影の輪郭が、少しずつ鮮明になっていった。
培養液に濡れた人影が、その奥から姿を現した。閉ざされていた瞼が僅かに震える。指先が動いた。続いて腕が痙攣するように跳ねる。やがて、胸が大きく上下した。
その一つひとつの動きは、まるで長い眠りから引き剥がされることに抗っているようにも見えた。
失われていた生命活動が再び動き始める。女性は苦しげに身を折ると、培養シリンダーの縁に手を掛けた。
培養液が滴り落ちる。ぬめりを帯びた髪が顔に張り付き、その隙間から覗く瞳がゆっくりと開かれた。
次の瞬間。
激しい咳と共に肺の中へ入り込んでいた培養液が吐き出される。何度も咳き込みながら、彼女はシリンダーの外へと崩れ落ちた。
冷たい床に片膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。やがて呼吸が落ち着くと、女性はゆっくりと顔を上げた。
まっすぐな視線が私達を捉える。そして彼女は静かな声で言った。
「おはようございます。【D-4300-CRS-348】です。ご指示はございますか?」
その言葉に、私とクレイは咄嗟に顔を見合わせた。どうやら目覚めて即暴走という事は無さそうだった。
「上手く、行ったか……?」
「おめでとうございます。マスター」
安堵の混じった言葉にクレイが一拍遅れて祝いの言葉を返す。目覚めたばかりのバイオロイドは、そんな私達を無表情のまま見つめていた。
「っと、すまんな」
膝をつき、脱いだ上着を彼女の肩へ掛ける。
培養液で湿った肩に触れた布地から、じんわりと冷たさが伝わってくる。濡れた身体を包み込んだ布地が、外気に晒されていた肌を隠した。
「……体の調子はどうだ?」
「身体機能に異常はありません」
即答だった。
女性はゆっくりと立ち上がる。培養液に濡れた亜麻色の髪から水滴が滴り落ち、布地は身体に張り付いてその輪郭を浮かび上がらせていた。
だが本人は気にした様子もなく、まるで自らの姿など認識の外にあるかのようだった。
「記憶は? 何か覚えているか?」
「該当情報無し。記憶領域は初期化されています」
「そうか……分かった」
予想していた回答だった。
記憶領域の初期化は改変作業の前提条件であり、過去の経験や人格の残滓は思考領域の再構築にとって不要なノイズとなる。むしろ問題は、その先だった。
私は目の前の女性を見つめる。
受け答えは正常。身体機能にも異常は見られない。何より、その瞳には思考停止した機械にはない微かな意思の揺らぎが感じられた。少なくとも現時点では成功と判断して良いだろう。
その時、背後で再び警告音が鳴り響いた。
隣の培養シリンダーにも工程完了を示す表示が灯る。一体目の起動に意識を向けている間にも、残る二体の再生工程は着実に進行していた。
クレイは即座に端末へ視線を戻し、次のシリンダーの状態確認を始めた。私は上着を羽織ったまま立つ女性へ視線を向ける。
「お前は隣室へ行け。身体洗浄と着替えの準備があるはずだ」
「了解しました」
彼女は迷いなく歩き出した。その背中を見送りかけて、はたと思考を巡らせる。
ベルが一か月を費やして調整した特別なバイオロイド。そう考えると、このまま個体番号だけで呼び続けるのも味気ない気がした。
「ああ、待て」
女性が足を止める。
振り返ったその表情には戸惑いも不満も無い。ただ指示を待つためだけに作られた静かな視線がこちらへ向けられていた。
「何か御座いましたでしょうか」
「348番か……いや」
私は首を振った。
「番号で呼ぶのは苦手でな」
わずかに視線を上げる。彼女は私の言葉の意味を測るように数秒だけ沈黙した。
その間、青い瞳がわずかに揺れ、何かの演算を繰り返しているようにも見える。感情の色は薄いはずなのに、その沈黙には確かな戸惑いに似た質感があった。
「そうだな……これからは‶ミーシャ〟と名乗れ」
「承知しました」
その瞳が一度だけ瞬く。
「個体名〝ミーシャ〟を登録します」
「では、これからよろしく頼む。ミーシャ」
「よろしくお願いいたします。マスター」
小さく一礼したミーシャは、今度こそ隣室へと消えていった。




