10 前夜祭
居住地区の外れ、西の城壁の近くにバウディス先生の道場はある。
大きな庭にこじんまりとした家屋と立派な道場。それらは建てられて6年が経つ。つまりバウディス先生が負傷から傭兵団長を引退して6年ということだ。
もう日も沈んでからしばらく経っている。道場に喧騒はなく道場生は既に帰っているようだ。
町はずれにあるこの場所にいると静寂の夜の侘しさを感じる。
シェーラは我が家のように勝手知ったる様子でずかずかと敷地に入っていく。もちろん私たちも。
道場の前で一礼し、中に入ると着流し姿に白髪交じりの中年の男が胡坐をかいて、ゆったりと茶をすすっている。
私たちは気にせず上がり込んでいく。それを見て中年男、バウディス先生は苦笑いし、西方訛りのきつい、だみ声で文句を言う。
「こがな夜分に礼儀のなっちょらん奴らじゃ。こっちは仕事を終えて寛いどるんじゃ。少しは遠慮せんかい」
「バウディス先生、戦闘の調整をするんでここを借りますね。あと先生も手伝ってください。先生は3mの化け物です」
「遠慮しろ言うたんじゃ、阿呆。それにシェーラしか今月の月謝払うちょらんじゃろ」
先生が両目を瞑り腕組みをして近づいてくる。
私の態度に先生は何故かお怒りだ。貧しさは心を荒ませる。哀しい哉。月謝は払っておこう。
私が銀貨20枚を渡すと、先生は袖口にしまう。
「……(冗談はさておき、調整の手伝いをしてください。先生は3mの化け物で、古代魔法を使います)」
シェーラは真面目な目で注文を伝える。天丼である。
「冗談はさておきて、無茶ぶり増えちょるわ! 古代魔法なんか使える訳なかろうが、怪我で引退した中年に何やらせる気じゃ。普通にシェーラの相手しちょるだけでもきついんじゃぞ」
言葉とは裏腹にバウディス先生はどうしてほしいんだと言うように、腕を組んだまま足をコツコツと踏み鳴らす。
先生は身長180cmほどで一般人よりは頭一つ大きいが、シェーラよりは小柄だ。達人と言っていい程の剣の腕前を持つが怪我のせいで足の踏ん張りがきかない。
「JJが先生を肩車すれば、ちょっと足らないけど3m近くになるか。それでJJが魔法使えばそれっぽいんじゃない?」
後ろで道場にある道具を探っていたロイゼルがシェーラに大振りの竹刀を投げつつ提案する。
ロイゼルは私にも短杖を寄こしてくる。これには綿の入った布を巻き付けておくべきだな。
「肩車で4人相手せえ言うんか。JJが転んだら、おいが危ねーじゃろが」
「俺も殴られるのか。明日本番だから怪我はできないぞ」
JJと先生は当然のことながら文句を発する。
そんな二人に、すでに端の方で座っているティントが頬をさすりながら言う。
「私は参加しないから3人よ。転んでも緩衝してもらうように風の精霊に頼んであげるわ。でも私は風属性はあまり得意ではないし、ほっぺたも痛いから、遅れてしまったらLのせいね」
私が肩を竦めると、ティントは頬を膨らましてプイと顔を逸らしてしまう。
ボーノ攻撃で機嫌を損ねてしまったようだ。
参加しないと言いつつ、それでも付いてきているのは一人でいても暇だからだろう。
なし崩し的にやることになった先生は、それでもそこまで嫌そうな顔はしていない。面倒見の良いことである。
「こがなおっさんになって肩車されちょるとは思いもせんかった。こがなんでちゃんと動けるか分からんから期待すんな」
JJに肩車された先生は照れ臭そう。JJは少し不安そうな情けない顔。
調整とはいえしっかりしてほしい。
ロイゼルは布を巻いた長杖を先生に渡し、皆を一瞥する。
「ルールを決めよう。JJは【防壁】を自分と先生に使っておいて。詠唱から【魔法光】を放ったら古代魔法が来たということにしよう。先生はバランスを崩さないように長杖で攻撃してくれればいいです。こちらは【魔法光】を3回使われるまでに、シェーラが先生の首に一撃を入れること」
「明日に消耗を残さないために、やるのは1回だけだな。しかしシェーラの攻撃は竹刀とはいえ【防壁】をかけても抜けてくるだろうなー」
JJは苦虫を嚙み潰したような表情だ。シェーラにしばかれるのは誰だって嫌だな、がんばれ。
今回は私は牽制しながら、いつでも【治癒】の奇蹟を使えるよう立ち回らねばならない。意識を上手く配分することが肝要だ。
ルールも決まり皆位置を確認し身構える。
ティントの「はじめ!」の声で火蓋が切られた。
「シェーラは変に力が入りすぎじゃ。高い位置にあるとはいえ首斬るんなら腰の回転を意識せえ。Lは【治癒】を重視すんなら弾き飛ばされても集中途切れさすな。ロイゼルはアクロバティックな動きはできるだけやめとけ。すんなら地面の状態が完璧に分かっちょる場所だけにせえよ」
バウディス先生は私に【治癒】をかけられ、首をさすりながら助言する。だみ声がいつもより酷い。負傷しながらも指導は怠らない師匠の鑑だ。
ということで今回の条件ならば一撃を入れる事には成功した。しかし、あくまで今回の条件に過ぎない。魔神は肩車なんてしていないし、弱っているとはいえ実力は未知数だ。
だから悪かった点を客観的に指摘してもらえることの方が実際は重要だったりする。
それにもともと先生とシェーラが一対一で戦えば、勝つのはシェーラなのだ。先生には負傷があるし、シェーラには多少の技量の差など打ち砕く純粋な力、筋力がある。
しかしそれでも本当の意味で強いのは先生の方だ。大規模で圧倒的に不利な戦況や劣悪苛酷な環境で生き残るのは先生の方だからだ。
だからこそ私たちは先生を尊敬しているし、教えを請いている。
「L、聞いちょっか? おまさんは考え事すっと、そっち集中しすぎて現実が疎かになるんが悪い癖じゃ。戦闘中は戦闘のこと以外考えんなよ」
おっと注意されてしまった。先生はシェーラに細かな体の動かし方を指導していたので、こっちには話が来ないだろうと油断していた。
「あー、すみません。戦闘中は戦闘のことしか考えないように気を付けてますよ」
「まあこっちも3mの化けもんてだけじゃ、そこまで詳しく助言できんが。言えんような相手なんじゃろ。Lは後ろで引っ込んでた方が良くねえか?」
その方がいいかもしれない。そうは行かないかもしれない。
魔神次第なところは大きい。
何とも言えない表情を私は浮かべる。
「その方が良さそうならそうします。しっかり休まないと明日を万全の状態で迎えられないのでお暇しますね」
ロイゼルに対する指導も終わっているようで、皆帰り支度をしている。
休息も冒険者の大切な仕事だ。
「耐えんのと流すのの使い分け上手くせえよ」
言うと、先生は両眼を閉じ寝そべって、さっさと行けと片手で追い払うしぐさをする。
私たちは先生に礼を言い、一礼をして道場を出る。
汗を掻いた私たちを晩春の夜は涼やかに迎えてくれる。
「道場の中だと汗臭かったから、外の空気がおいしいわね」
ティントが私を見てニヤニヤしながら鼻をつまんで煽ってくる。
ちくしょう、自分がほんのりとバラの香りをさせているからって調子に乗りやがって。私は爽やかな柑橘の香りをしているぞ、多分。
「ならばくらえ! スウェットホールド!」
私は素早くティントを羽交い絞めにし、頬ずりをして汗を押し付ける。
「イヤーッ! ヌルッとする、ヌルッと」
「そして友情の~、スウェットサンド!」
嫌がるティントを持ち上げ、「……(よし、来い)」と両腕を広げ待ち構えるシェーラに突進する。ティントはじたばたするが、その軽い体重では私の腕力の前には無力よ。フハハハ。
シェーラは私からティントを受け取ると強くハグし、私もティントの後ろシェーラにハグする。宙に浮くティントはばたばたと足を振り、シェーラの腕をタップする。
窒息してはいけないのでシェーラと私は力を緩めた。
シェーラにじゃれられるのは虎にじゃれられるのと同じようなものだからな。
顔を動かすと、呆れ顔のロイゼルが見える。
「何やってんだ、あの馬鹿どもは」
「YO! 俺を挟んでもいいんだZE!」
「あ、こっちにも馬鹿がいた。ってか僕以外バカしかいねー」
ロイゼルは天を仰ぐ。
咳込むティントを解放すると、ロイゼルにつられて私も天を見上げる。
その姿を隠す叢雲が流れ、月は妖艶に笑っていた。




