第8話 探偵を雇った覚えはないのだが
二足のわらじどころか三足のわらじです。仕事に勉強に合間を縫って探偵の真似事をしています。
やはりアステリアの名前は市中に、さらにはインターネットに広く伝搬されていました。
曰く、【生きている価値のない汚物】【呪われた女】【見つめられると不幸になる】【天変地異の元凶】【穢れた身体】【盲目の怪物】、といったような、確かめるまでもない根も葉もない噂が散見されます。
その規模はもはや無視できるものではなく、ある種のミームのようになっています。異国の罪人と日本人の混血であるくすんだ金色の髪の女が、その呪われた女【アステリア】とされています。
どこからともなく噂は現れ、急速に拡大しています。初出は、ぼくがこの家にやってくる二週間前。そう古い話ではありませんでした。
市中で聞き込みも行いました。噂を知るものは少なくありませんでした。しかしそこから得られる情報もまた根幹をなすものではなく、「友達から聞いた」「ネットで見た」といった、曖昧な人づてでしかないものばかりでした。
「頭飛んじゃってる女を見たぜ。ああいうのもいるしさ、関わるのはよしときなよ。それこそ呪われちまうって」
そうやって話してくれたのは、部活帰りの男子中学生でした。
彼は、その頭飛んじゃってる女を避けて、別の道から帰っているところでした。
「その女はどちらに」
「あっちだけど」と中学生は指を指します。奇しくも、アステリアの家の方向でした。
お礼を言って、そちらに足を向けました。
「まさか会いに行く気!? お兄さんも取り憑かれちゃうよ!」
「本当なら関わるのは嫌ですよ。ですが、もっと嫌な思いをされている方がいらっしゃいますから」
駆け足でその場を後にします。
「お兄さん頑張って! 応援してるから!」
なにを思ったのか中学生は大きく手を振って、声を張り上げていました。
見覚えのある女は、商店街の外れのほとんど人通りのない通りで、振り子のように身体を揺らしていました。
頭は垂れ下がり、目はうつろ、ぼそっぼそっと口が動きます。
「……テリア……どこ……音……破……音……痛い…………痛い……」
その背中を追いかけます。しかし女は、しばらくすると足を止めました。その場で半周し、元の道をたどるように再び歩き出します。
立ち止まって観察していると、女が近づいてきました。気づく様子もなく、ゆっくりと目の前を通り過ぎていきます。
「アス……崩壊の音……消す…………私が……殺さないと……早く……」
「なっ……」
急激に、頭に血が上りました。
沸き立つ感情のままに叫び――叫ぼうとしたのです。ですが、他でもない女に、その声は遮られました。
「いた、いだああああ、アステリア、アステリア、アステリう゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
ぼくを見つけた女は、狂喜に満ちた笑みを浮かべました。ケタケタ笑い、咆哮し、一目散にこちらへと突っ走ってきました。アステリア、アステリア、と声にならない叫びを上げながら。
突然のことに対処もできず、女の突進を全身で受け止めることになりました。バランスを崩し、背中から倒れます。痛みを我慢して身体を起こすと、馬乗りになった女の顔が眼前にありました。
「アステリアぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
目を見開き、歯をむき出し、まるで獣のようです。血走った眼は焦点が合っていません。肩に食い込んだ指が肉を抉り、鋭い痛みとなってぼくを襲います。
「ぼくはアステリアじゃない!」
身を捩り女を退け、それから思いっきり突き飛ばしました。今度は女が地面に打ち付けられます。
「なぁッ……」
「お前と話をしにきたんだ!」
倒れる女へと飛びかかります。受け止めようとしてきた手を掴むと、押し合いのような様相になりました。
しかし、拮抗することもなく押し込んでいきます。男女の筋力差、体勢の違い、あっという間に女を組み伏せていました。
「さあ! 話を聞いてもらうぞ」
「う゛う……うう……」
「アステリアとはどんな関係だ! なぜあの方を付け狙う!」
「音が聞こえてくる……苦しい……助けて……いや……」
「苦しいだって? この程度で? あの方がどれほど苦しんでいるのか知りもしないで! さあ話せ、すべてを話せば、ここをどいてやる」
「私は……しらな……ただ……音……聞こえてくる……っあ、あ、あああ……ううう」
「でまかせが通用すると思うな。いくらお前がきぐるいでも、理由もなしに人を殺そうとするものか!」
女の表情がぐっと歪みました。眉は垂れ、口が半開きでわなわなと震えています。血走っていた目が、さらに赤くなったようなそんな気がしました。
「でまかせじゃない……私は……私は……うぅ、うぅぅぅ、ああああああ」
女が脱力します。目尻に光るものが見えます。どくどく、どくどくと溢れてきます。涙です、泣いています。人を殺そうという女が、泣いているのです。
水をかけられたように、怒りが引いていきます。そんなものを見せられると、昂りは維持していられませんでした。




