第9話 まさしく青天の霹靂だろうと思う
「うっ……ううう……ごめんなさい……」
立ち上がってもまだ女はぐすぐすと泣きじゃくっていました。
「殺すのはアステリアだけなのに……違う人に迷惑……」
ぐっと罵詈雑言を堪えて尋ねます。
「あなた、名前は?」
女は鼻をすすりながら言いました。
「……永島田光莉」
「永島田光莉さんはどうして彼女を殺そうとするんです。どういったご関係で?」
「あいつが音を出すの……私の嫌いなイヤな音を……」
思えば最初からそんなことを言っていました。デタラメ、でもないのでしょうね、この様子は。
「あなたこそ、アステリアとどんな関係?」
「ぼくは雇われの探偵です。ある男性からアステリアという人物の噂について探るようにと仰せつかっています」
ひとつ咳払いをしました。
「そんなことより、どうしてあなたの聞く幻聴がアステリアの発する音だと思うのですか」
「崩壊の音のすぐそばで声がする。とっても素敵な声。アステリアを呼ぶ声が」
永島田光莉はぼぅーっとぼくを見つめて、なにか言いたそうにしていました。
「そんな曖昧な理由でアステリアの悪い噂を流すのはやめてください」
「噂? なんのこ──」
その瞬間でした。空間が震動していました。最初は地震かと感じて、しかしすぐに違うと悟ります。
どんっという鈍い振動と爆発音が空に轟いたのです。
嫌な予感がしました。何事かと周囲を見渡しました。商店街のアーケードを走り出て、東の空に着目しました。ギャラリーが集まっています。皆が皆、一点を見つめています。
「火が出てるぞ!」
誰かが叫びました。
街から突き出た高いビル。最上階から立ち上る煙と、燃えさかる炎。
その場所には見覚えがあります。当たり前です。今朝もそこにいたのですから。そこにはあの方が暮らしているのですから。
あそこにはアステリアがいます。
「ご主人!!」
なにも考えられず、脇目も振らず走り出していました。
現場は騒然としていました。けたたましいサイレンが鳴り響き、人々の怒声があちこちから聞こえてきます。地上は避難してきたマンションの住人や、野次馬でごった返していました。警察や消防は、到着して間もない様子でした。
依然として最上階からは煙が立ち込めていました。
群衆をかき分けアステリアを探します。
「どこですか! 返事をしてください!」
見つかりません。アステリアの姿はどこにもありません。
取り残されているかもしれない。まだ上に、あんな場所に。
「おいきみ! そっちは危険だぞ!」
消防士か誰かが叫びます。無視してマンションの入り口へと走ります。
「だめだ! 行くんじゃない!」
「友人がまだ残っているんですっ!」
「救助隊が向かう、きみはここで待て!」
「爆発があったんですよ……! 待っていられるものか!」
押しのけて進もうとしますが、腕を取られてしまいます。
一人が二人に、二人が三人に、防火服を着た数名がぼくを取り押さえます。
「ご主人……ご主人……!!」
前のめりになって進もうとします。複数人の力に抗い、それでも前進しようと足掻いていると、体重をかけられ、ついには転倒してしまいました。
その拍子に胸ポケットより携帯電話が飛び出し、眼前に転がりました。
着信があったのは、ちょうどその時でした。
発信元は非通知になっていました。すぐさま電話を取りました。
『聞こえているか』
加工された音声でした。女性なのか、男性なのか、それすらも判然としません。
「なにものだ! どこから電話をかけている、アステリアはそこにいるのかっ!」
『まず落ち着きなさい。主人の安全を確保したいのなら、騒がずにその場を離れた方がいい。そこは、人の目があるだろう』
「……わかりました」
マンションから離れ、路地裏に身を寄せます。
「アステリアは、そこにいるんですね」
『結論から言えば、そうだ。今はまだ、無事だよ』
「返答次第、というやつですか」
『察しがいいじゃないか、さすがは……いや、そのとおりだ』
裕福な人間を狙った誘拐犯でしょうか。それとも、私怨による拉致監禁でしょうか。例の噂にも関係があるかもしれません。
「なぜこんなことをするんです。お金が目的でしょうか」
『くくく、そんなつまらない理由じゃない。ただわたしは、楽しみたいだけさ』
「どうすれば、アステリアをわたしてくれますか」
『きみには指定する場所に来てもらいたい』
「……指示に従いましょう」
『話が早いね。場所は――』
犯人が指定したのは、都心より一時間ほどの森林でした。




