第25話 きみはもうすぐ自由になれるね
ぐるぐると回る乾燥機を眺めていると、永遠に続くような錯覚がします。屋敷ではなく人気のないコインランドリーでこんなことをしているのは、白く清潔な空間を嫌いそうな人に指定されたからでした。
自動ドアの開く音が聞こえました。振り返らずにベンチに座ったままでいると、ヤニの臭いが漂ってきます。
「こんにちは、いい天気ですね」
黛さんは社交辞令もなしに、本題を話し始めました。
「お前のご主人は死んだことになっている。行方不明者扱いには変わりないが、公然の事実ってやつだ。もう誰も気にしちゃいないがな」
「遺体がでなければ警察は不審に思うはずでしょう」
「そうかもしれんが、やっこさんどうもやる気がない。捜査はほとんど打ち切られていて、真相を解明する気がない。被疑者不明のまま、事件は迷宮入りだ」
報告を極めて冷静に聞いていました。怒りが湧いてこないのは、あの方が望んでいるからでしょうか。
被害者も、被疑者もいない。宙に浮かんだ事件をないものとして扱い、意図的に風化させてしまう。誰かが、いえ、誰もがそう望んでいるのかもしれません。もしかすれば、このぼくでさえも。
「本当に事故という可能性は?」
「それは考えにくい。損傷が綺麗すぎる。感づかれるのを承知で、犯人はそうしたんだ」
「事故ではなく、事故に見せかける気もないと」
「ああそうだ。律儀なやつだよ、殺意を明確にし、他には一切の被害を出さないようにしてある。計算された、特定の個人だけを狙った犯行だ」
「犯人は主人がご存命であると、気づいていないのでしょうか」
「さあな。現場は封鎖されていたから、ツテでもないと正しい情報を手に入れるのは難しいだろうが、あんなことを実行に移せるやつだ、無いとは言い切れん」
黛さんは小さく笑いました。
「だが、もう半年にもなるのに動きがない。案外ただの愉快犯で、やるだけやって満足しているのかもしれん。ご主人さまのことなんて、すっかり忘れちまってたりな」
「ならいいのですけれど」
そうかもしれない、と思いました。
警察も、犯人も、そして御本人も、誰もが事件を忘れたがっているのではないか、今でも躍起になっているのはぼくだけではないか、根拠もなしにそんなことを思ってしまいます。
「これも、もう必要ねえかもな」
黛さんは横に置いた袋に目をやりました。
脇差に、拳銃。玩具ではない本物。人を傷つけることに特化した、殺人のための非合法な武器です。
事前に連絡した際に、黛さんは申し出を快諾してくれました。決して安くはありませんでしたが、防犯設備の一部と説明すれば予算は下ります。
「……すみません、こんなことまで頼んでしまって」
「いいさ。地獄の沙汰も金次第。頼まれりゃ大統領の首だって取ってきてやるよ」
そういって黛さんは不敵に笑いました。
秋が暮れて冬がやってくる前に、厳しい寒さに耐えうるだけの準備が必要になります。幸いにも雪国ではそれなりにやることはあります。
衣替えに、寝具や敷物の変更、それから一応の積雪への備えと、暖炉に使う薪のチェック、もしも孤立した場合の非常食に燃料……などなど、あれこれと作業しているうちに、日は落ちて空はすっかり暗くなっていました。
「早いものですね。契約はあと……まあいいか」
部屋を後にして、明かりの消えた階段を下っていると、身震いするような寒さを感じます。室内の晩秋の冷たさにはやや過剰で、外気を全身で受けているような心地でした。
一階に降りて玄関に回ってみると、扉が開け放たれていました。土間を見ると、一足少ないことに気づきます。ほとんど履かれていない、けれども泥に汚れていた靴です。
「ご主人……?」
そういえば朝から姿を見かけていないと、このときになってようやく気付きます。いつから不在だったのか、まぬけにも把握していません。
「迎えに行かなくちゃ」
上着を取って戻り、後を追うように外に出ました。
ぼくを待っています。きっといつまでも。
道に浅い足跡が続いていました。小さな歩幅のそれは、北に向かっていました。
暗い森を月明かりが照らしていました。ランタンのスイッチを入れずとも、迷うことはありません。妖精の足跡は、ぼくを沼へと導きました。
しんとした畔に、歌声が響きわたっています。風に乗って、よく通る声が耳に届けられました。
星々を映す凪の水面に、一隻の船が浮かんでいます。木で作られたそのステージから、ぼくのもとへ、世界へと、音色は奏でられます。
月も自然も、小動物や虫たちも、呼吸を止めただ純粋に、聞き惚れています。
美しく静謐なメロディ。それは彼女の、アステリアの唄です。
歌声が消えて、水上のアステリアは悲しげに微笑みました。
「ようやく見つけてくれた」
淡い月明かりが、薄っすらとアステリアを照らしていました。




