第24話 こんなわたしで、ごめんね
二人の人物が写っていました。頭を撫でる大人の女性と、頭を撫でられる三、四歳ほどの少女。ふたりとも笑顔で、背景にはぼやけていますが酒樽のようなものが置かれています。少女――アステリアは撮影者に向かって手を伸ばしています、お父様でしょうか。
お母様とアステリア、二人はよく似ていました。片方は混血で、片方はおそらくは純日本人なのでしょうが、やはり親子です。雰囲気や顔立ち、言われなくとも母子だとわかる、血の繋がりを感じました。とても幸せそうな一枚です。
「ぼくでは、代わりになってあげられませんよ」
ひとり呟きました。
ページを捲ってみてもそれっきり。写真はこの一枚だけでした。
ぼくも二度寝したい気分になりました。
その日、アステリアと初めて顔を合わせたのは、夕食の席でした。ホワイトシチューとパンとサラダが、二人用のダイニングテーブルに並べられています。
いつもは抜いてあるにんじんが入っています。朝のことが頭から離れなくて、あえて嫌いなものを入れてみようとひらめいたのです。
アステリアは浮かない顔をしています。スプーンはクロスに置かれたままです。
「どうなされました? まごころが冷めてしまいますよ」
アステリアはわざとそうするようにぼくと目を合わせました。
見つめられて、見つめ返して。思えば顔をじっくりと見るのは、随分とひさしぶりのことでした。顔を突き合わせることは多々あっても、なかなか意識はしないものです。
だからなのか、新鮮な感じがしました。こんなに美少女だったんですね。
三十秒もそうしていたでしょうか。先に口を開いたのはアステリアでした。
「そんなにこの顔が気になるか。見飽きてはくれないんだな」
「かもしれません。今日のご主人は、なんだか新しいです」
アステリアはほんの少しだけ首を傾けました。
「それは、嬉しい?」
長いブロンドが力なく垂れ下がっています。うっすら前髪のかかった目は、熱量に乏しくぼくを見つめていました。
「悪くはないかと。そう思いませんか?」
アステリアは顔をそらして、僅かに目を伏せました。
「思わない。わたしは思わないぞ。新しさなんて感じないほうがずっといい。そんなふうに思われると、……安心できないから」
「だから過去の写真を見せたんですか」
「ああそうだ。アステリアという人間を、きみはよく知らないだろうから、教えてやった。パスポートを見たな。ミドルネームを知ったな、和名を知ったな、誕生日を知ったな。風間とは母さんの名字だ。シズとは母さんがくれた大切な名前の一部だ。だけどどちらも名乗らない、名乗れない。だって、そんな資格ないから、あの人をいないものにしてしまったから」
「ご主人……?」
「この国に来たとき、わたしたち親子は貧しかった。きれいな身なりは出来ないし、住む家だってあばら家だ。それでも母さんは、誰の助けもなく一人でわたしを育ててくれた。危険な目に遭わないように、ずっとずっと守ってくれた。わたしは母さんを愛していたし、母さんはわたしを愛してくれていた。たぶん、幸せだった」
アステリアは「……でも」と辛そうに続けました。
「よかれと思ってやったことが、ある。そうしなければならなかった。そうすることで、もっと幸せになれると思ったから。馬鹿だった、誤りだった、金銭的な裕福さと引き換えに、母さんに恐れを抱かせてしまった。だからいなくなってしまった、わたしのもとにいてはいけないと……たぶん気づいて、それで遠くに行ってしまった」
「なぜ、そんな話を」
「今ならわかる。母さんはきみと同じように、わたしに新鮮さを感じていたんだ。長く暮らしていたのに、初めて顔を合わせたように感じていたんだ。そしてついには自分の……」
アステリアはハッとして、おそらくはとっさに言い換えました。
「なんにも新しいことなんてない。わたしはずっと生きてるし、わたしには過去があって、わたしにはちゃんと名前があり、わたしはここにいる。同情させるためにこんな話をしたんじゃない、ただわたしのことを知ってほしいと思った、きみの様子がおかしかったから」
アステリアは目を細め、まぶたを重そうにしています。
「ぼくは……いつも通りですよ」
ふらつくように、アステリアは首を横に振りました。
「最近のフタエは、わたしに興味がなさそうだから」
アステリアは立ち上がりました。力感がなく、いまにも倒れてしまいそうに見えました。
ぼくも席を立って、側によりました。
アステリアは左手をこちらに伸ばしました。
「悪いけど、食事はいい。今日はもう休む、部屋に……連れて行って」
「え……は、はい、承知しました」
一度頭を下げてから、手を取ります。子供を連れるように、おぼつかない足取りのアステリアをエスコートします。急激な眠気に襲われたと見え、目は半開きで手には力が入っていません。
廊下に出たところで、アステリアが言いました。
「こんなわたしで……ごめんね……」
「……どんなあなたでもお仕えしますから」
寄り添って薄暗い廊下を歩きます。
歩調を合わせて、ゆっくりと。
どんなことでも、少しでも力になりたい。ぼくは、そのためにいます。




