第21話 フタエはあの女と会ってた
それから、身の上のことを話してくれました。今年の春に田舎から出てきた大学一年生。社交的なタイプではなく、一人で過ごしていることが多いそうです。自分を変えるために念願かなって都会に出てきた彼女は、思わぬ苦難に見舞われます。そう例の特殊な聴力――あるいはただの幻聴――に神経を酷く苛まれてしまっているのです。
光莉さんは人混みが苦手だと言います。その理由を聞けば、「都会は声で溢れているから……」と答えてくれました。能力は昨日今日に始まったものではなく、幼い頃から彼女と共にありました。
しかし、問題は起きなかった。人の数が少なければ、音の数も少ない。反対に、人が多ければ多いほど音は多くなり、混線して頭の中は音で溢れかえってしまいます。その受容しきれない音が、自分を狂わせた原因のひとつだと彼女は言いました。
「そ、そのなかに、とても大きな、ノイズが混ざってる。耐えられないほどに、辛い、から、私はそれを探した、の」
アステリア――心のなかでその名前を読み上げます。
「たくさんの音は、耐えられないほどじゃない。これでも、慣れてる、から。特別な音色をもっている人も、ほかにも、いる。あなた、とか。でも、それだけは、違うの、特別の中でも、特別。とても、辛い、の」
光莉さんは顔を伏せました。
「崩れていく、の、壊れて、いっちゃう。歯医者に、行ったことはある?」
「子供の頃に何度か」
「歯を削る音と、振動、あるよね? あれを何十倍にも、増幅した、感じ。それで、削られてるのは、私だけじゃなくて、全部、だと思う」
寒気がして身体が震えました。
「歯医者さんは、我慢してれば、すぐに終わるけど、それは、ずっと続く。朝も、昼も、寝ているときだって、耐えたけど、だめで、変になっちゃった、の」
「それは、いつ頃から?」
「え、えと、たしか四……あ、そうだ、あなたと、最初にあったときの、二週間くらい前」
「二週間、本当ですか……!?」
驚きは隠せませんでした。鼓動が高鳴ります。
初めて出会った日。それは、忘れもしない、アステリアと契約を交わした日の、翌日のことです。……悪い噂が蔓延し始めてから、二週間です。
「誰かに話したり、インターネットに書き込んだりしたことはありませんか」
光莉さんはぶんぶんとかぶりを振りました。
「そんな余裕なかった、し、最初は、しばらくは、なんとか我慢できてた、から。けど、あ、あの日は、あなたと出会ったあの日は、ダメだった、自分でも、なにも、わからなかった。あの日を境に、普通じゃ、いられなくなって、私がこ……」
まずいと思ったのか、光莉さんは言い直します。
「私が、なんとかしなくちゃって、その思いだけが、日に日に、激しくなった」
光莉さんはぼくの目を見つめました。
「なにかあると、いつも、あなたがいる」
「二回目にお会いしたときのことですね」
「それが、どこにあるのか、なんとなくわかって、あそこにいた、の。苦しいのも、ピークで、頭は痛いだけ、だった。で、ね、たぶん、救ってくれたんだと、思う」
「それで好意を……いえ、感謝していたのですか」
光莉さんは頷きました。
「あなたに、押し倒されて、頭が、ね、スッキリしたの」
コーヒーを口に運びます。ああいうのも効くものか、と密かに思いました。
「壊れそうな音が、その日から、どんどん、どんどん弱くなっていった。最近、大学にも、通えるようになって、だから、あなたを、探してた。まだ、完全には、消えてない、けど」
「よかったですね。おそらく、光莉さんの探していた忌むべき相手など、最初から存在してなかったのですよ。平和的に説得した甲斐がありました」
笑顔を作りました。
ぼくは左手首の時計に目をやって、思い出したように言いました。
「おっと、申し訳ありません。所用がありまして、本日はこのあたりでお暇させていただきます。コーヒーごちそうさまでした」
「え、あ、そう、なんだ、残念……」
立ち上がって、空になったプラスチックのカップを手に取ります。ゴミ箱に捨てて、出口に向かうと慌てて光莉さんも後を追いかけてきました。
話すべきは話しました。知りたいことも、知れたはずです。長居は無用です。この方が爆弾を仕掛けた犯人ではないことも、わかりきっています。妄執に囚われただけの一介の女学生に、あのような計画的な犯行が行えるはずがありません。
言葉を借りれば、まさにノイズです。偶然が生み出した、混乱を招くだけの、ノイズ。
「ま、また、会える……?」
「ええ、もちろんです」
出口を出たところで、にこやかに言いました。
「約束……だよ」
「はい」
社交辞令的にそういって、その場を後にしました。
一度だけ振り返ってみると、微笑を浮かべて手を振り続ける光莉さんの姿が見えました。
連絡先を教え合う時間すらもありませんでした。そう、なかったのです。
家に帰るとアステリアが玄関まで出迎えに来てくれました。この方はいつも時間ぴったりに待機しています。エスパーかなにかでしょうか。
そのアステリアは、仁王立ちして腕を組んでいました。
「遅い」
「申し訳ありません。街で知人と遭遇してしまい、話し込んでしまいました」
「悪い連中に狙われているというのに呑気なものじゃないか。きみの足取りが追われて家を爆破されたことをもう忘れたのか」
鼻のすぐ先に、アステリアの顔がやってきました。
「その件は反省しています。しかしですね、今回も無関係ではなく情報収集の一環として……いえ、言い訳はしません、迂闊でした」
「まったく、人に小言をいうまえに自分がちゃんとしなさい」
「返す言葉もありません」
アステリアが右を見ました。それから下に目をやって、また正面に戻ってきました。
「で?」
「で、とは?」
「誰と会っていたんだ、報告しなさい。また黛か?」
「いえ、彼ではなく、永島田――」
舌打ちが玄関にこだましました。
「光莉と会うのは禁止」
「は?」
「あいつは危険だ、刺されるぞ。いいなったら、いいな」
ぼくの返事も聞かず、アステリアはリビングへと戻っていきました。
レディにはふさわしくない、がに股でした。




