第19話 フタエの帰りが遅い
二度あることは三度あるといいます。永島田光莉は駅の構内でぼくの腕を掴みました。
どうしてか正気だった彼女は、ビクビクした様子で上目遣いに言いました。
「突然ごめんなさい、あ、あの、あ、えと、話したいことがあるの」
「あなたですか……」
逃げたい気持ちを抑えて、永島田光莉の誘いを受けます。話があるのは、こちらも同じでした。
永島田光莉とぼくは、大学の構内へとやってきました。初めてこの女を目撃したあの通りにある学校でした。広々とした空間に、よく刈り込まれた芝生、花咲く花壇とレンガ敷きの歩道。学舎というよりも、自然公園のような雰囲気でした。
「ご、ごめんね、わざわざ移動してもらって。たまには、授業に出ないといけないから……今日は耳鳴りもしないし……」
永島田光莉は、そわそわした様子で時折ちらっとぼくの顔を窺います。
「今日は普通なんですね」
「最近はあんまり……たまに痛いけど……」
永島田光莉はヘラヘラと愛想笑いを浮かべました。
「きみと……会いたかった、みたいな、ふへへ……それで、探してた」
「話とはなんです?」
「あ、あのね、それは……えと……」
永島田光莉は言い淀みます。うー、うー、と唸り声を上げています。
「あ……そう、だ、きみの家族……かはわからないけど、大丈夫だった……?」
「……家族、ああ、あの事件のことですか」
ええ、と言おうとして、とっさに切り替えます。ぼくの関係者はあそこには住んでいなかったのです。
「……いいえ、ぼくはあの事件と無関係ですよ」
永島田光莉は一瞬の間沈黙して、また薄ら笑いを浮かべました。
「……そ、そっか、なら、よかった、えへへ」
「それだけですか?」
「あ、いや、そ、あのね、私、好きな音があって、やさしいのがよくて……」
「はあ?」
「もういちど、生で聞きたかった、みたいな」
「…………」
強烈な視線を感じてしまいます。変な方向に進展はしたくないのですが。
「永島田光莉さん」
「は、はい、なんでしょう」
「あなたの言うところの、音、とはどのようなものを指すのでしょう」
「そ、それは、自分でもよくわからなくて、頭の中に、聞こえてくるのがあって、響いてくるの」
永島田光莉は顔を上げて、空想にふける少女のように言いました。
「目をつむるとね、よく、聞こえてくる。目には見えないものが、見えてくる、の」
「目には見えないもの、ですか?」
「人は、みんな違う。その人がどんなふうに生きていて、どんなふうに生きていくのか、見える、の。で、ね、その音にも、好きなのと、嫌いなのが……あって、あるの、あります」
「嫌いな音とは、アステリア、ですか」
「あ、アス、う、うぅぅ……」
永島田光莉は顔を歪めました。
「あ、アス、あ、あれはそうじゃなくて、嫌いとかじゃなくて、こわ、壊してしまう、の」
「あなたのことをですか?」
「ち、ちが、ちがうちがう、そうじゃなくて、そうじゃ、ないの」
頭を押さえた永島田光莉は、ふらふらと後ずさりました。
「では、なにを破壊するのですか」
「私たちの……生きている……場所、を、崩壊させ、る、の……う、うぅぅぅ」
「生きている場所……? なぜそんな妄想を……」
「だか、だから、私が、私が殺さないとっ」
永島田光莉の肩を押さえつけました。
「アステリアを殺すつもりなら、まずはぼくを殺してみろ」
「え、なん、で、そんな、そんなこと、できるわけ、ない」
永島田光莉は顔をひきつらせて、首をふるふると横に振っています。
「そうやって臆するくらいなら、殺すなんて口にするんじゃない」
「で、でも、だけど、私、には」
「今ここで約束しろ、もう二度とアステリアを狙わないと、約束しろ」
「な、なんで、急に、そんな、ア、アステリアと、あなたは」
肩を掴む手にぐっと力を入れます。永島田光莉の身体はこわばり、目の縁には光るものが溜まり始めていました。
「やっ、いや、乱暴しないで……やさしく……して……」
「なら誓うんだ。アステリアには絶対手を出さないと」
「やめっ……やめて……そんな、の、誓えなっ……」
「言うことを聞け!」
永島田光莉は、ひっと短く悲鳴をあげました。目を固く閉じ、呼吸を荒く叫びました。
「約束……しますっ……! もう絶対にアステリアにはなにもしない……しない……しないから……誓いますからぁ……!」
ほとんど泣き叫ぶような様相でした。手を離すと、永島田光莉はへなへなとその場に座り込んでしまいます。
なんと酷い光景でしょうか。これではまるで、恐怖と暴力で女性を支配しようとする虐待男ではありませんか。
誰がどう見ようともぼくの側が悪です。この絵面はよろしくありません。
「ありがとうございます。話せばわかってくれると信じていました」
笑顔を作り、ハンカチを差し出します。呆然としていた永島田光莉は、それに手を伸ばし、ごしごしと顔を拭きました。
頃合いを見計らって、手を差し伸べます。永島田光莉は、ぼくが伸ばした手とハンカチを交互に何度も見ていました。
「なにかありましたか?」
「……こ、これ、貰ってもいい、かな」




