第17話 言葉だけにするな、草食系
「安全運転でお願いしますね」
アステリアと密着して、シートに跨ります。普通ならドッキドキバックバクの劣情を催しかねないシチュエーションですが、別の意味でドキドキです。
「大丈夫だ、事故なんて起きないから。……まあ、念のため、しっかりと掴まっておいたほうが……いいと思うけど」
ぎゅっと抱きしめます。もちもちの肌が少し沈んで、軽く力が入りました。
アステリアはつぶやきました。
「……逆のほうが自然じゃないか。どうしてわたしが前なんだろう」
「え?」
エンジン音でよく聞こえませんでした。聞き返しても返事はなく、アステリアはヘルメットの位置を調整し、テキパキとゴーグルを嵌めました。
「じゃー出るぞ。ぶっ飛ばすから、ちびるなよ」
「ご主人!?」
アクセルが煽られ、エンジンが唸りを上げます。前輪がやや浮いて、猛烈なスタートダッシュが決まりました。
農地を抜けて、山間の道路を走ります。ほとんど明かりのない暗闇でも、常にフルスロットルです。壁に突っ込むかと思い身構えると、適切なブレーキ量と、完璧なバンク角でコーナーを抜けていきます。技量もさることながら、地理を完璧に把握しているような暴走っぷりでした。
三十分も掴まっていると、少しだけ余裕が出てきます。アステリアは、ついに主人らしい偉大さをぼくに見せつけていたのです。
アステリアは会話ができるぐらいに、減速しました。
「なにか言うことはないか、んん?」
「運転できるってあれ、嘘じゃなかったんですね」
「フタエはわたしをただの貧弱な令嬢だと思っているだろう。こういうことだって少しはできるんだぞ」
「正直みくびっていました。ただぐうたらしているだけの方かと。いやあ、本当にすごい、敬服します」
「そうだろそうだろ」
「免許なんて持ってたんですね。ぼくはてっきり――」
「海だ! 海に行こう! フタエと海が見たい!」
アステリアはまた、アクセルを全開にしました。
小一時間ほど走って、海沿いへとやってきます。賑やかな日中とは違い、夜ともなれば静かにワシントンヤシが揺れています。
海面には月が浮かび、波が金色の輝きを纏っていました。
潮風が頬を撫で通り過ぎていきます。目の前で、ブロンドの長い髪がはためいていました。
アステリアも走行しながら海を眺め、横顔に笑みが見えました。よそ見運転……多少なら平気でしょう。
駐車場にスクーターを停めます。防波堤に上ったアステリアは、大きく呼吸をしてうーんと伸びをしました。海の向こうではまばらに航海灯が煌めいています。
「あまりはしゃがれるとまた危険な目に遭いますよ」
ぼくはアステリアの背後に控えます。バランスを崩さないか注視します。足を滑らせでもしたら一大事です。
海を見つめたまま、アステリアは言いました。
「そこから、わたしが見えるか」
ぼくは場の雰囲気にもあてられたセンチメンタルな洞察力を発揮します。
「抱きしめてほしいんですね」
アステリアの背筋がピンと伸びました。渋い顔をして振り向きました。
「それはこの前やっただろう! あーいうのはいっぺんこっきりだ」
「違うんですか?」
「真面目な顔してセクハラしようとするな!」
まったく、とアステリアは鼻息を荒くしました。
「まあいい、さっきの質問もなしだ。ちょっとこっちに来なさい」
ちょいちょいと手招きされ、防波堤に並んで座ります。
「目に見えるものだけが本物ではないと、わたしは思うんだ」
「月並みなこと言いますね」
「茶化すなぁ! たまにシニカルなのは悪い癖だぞ!」
「そういうの嫌いなんですけどね」
「つまりだな、人知を超えた超常現象的なものが……この世界にはあると思うんだ。人の理解を超えると、目は、脳は、目の前の出来事を正しく認識できなくなってしまう。……人に興味があるフタエは、そういう脳の働きには詳しいんじゃないか」
「認知機能障害、幻覚、抑圧や否認の症状。あるいは脳に備わったフィルターの働きでしょうか」
なんのことやら。さては幽霊でも見たのでしょうか。
「しかし、それはあまりにも非現実的ですよ」
「どうしてそう思う?」
「幽霊でも超能力でもなんでも構いませんけど、超常現象が目の前で起こってたら正常な脳ならそれを認知できるはずです。理解できないからと思考を放棄してしまうほど、人類は単細胞でもありませんよ。フィルターの話だって、ただ記憶に留めないというだけで、実際には見えていますからね」
「じゃあ、もし、もしだ……あるとき、大切なものがなくなっていることに気がついたらどうする?」
「探し出して連れ戻してやるのもやぶさかではありませんね。大切なものがお望みならですけれど」
「ほんとうだな? 絶対絶対だな?」
アステリアは詰め寄ってきます。拳をぐっと握りしめて、顔はとても不安そうにしていました。
「ええ。嘘はつかないと約束しましたから」
「……そうか、そうだったな」
顔を下げたアステリアは、呟くようにそう言いました。




