第15話 学校以外で、なぜ外に出る
迫る真夏を感じさせる七月上旬、ぼくは電車を乗り継ぎ、とある場末のファイナンス会社――スマイル金融へとやってきました。
タバコのにおいが染みついた事務所。その一角の応接スペースに、黛さんはいました。
「これはこれは、ようこそおいでなすった。ま、立ち話もなんです、かけてください」
促されるままソファーに座り、黛さんと対面する形になりました。
「どうして今日はそんなにへりくだった感じなんです?」
「しみったれの糞ガキ羽二重一美は死んだと伺っています。今のあなたはどこぞの旦那様のお使いですからね」
「なるほど、現金な方ですね」
「恐縮です」
「でも堅苦しいのは嫌なので、今まで通り糞ガキだと思って接してくれませんか?」
そう言うと、黛さんはタバコに火を付けました。その上、箱から飛び出した一本をこちらに向けてきます。
「やるか」
「いいえ。ヤニ臭いとお叱りを受けてしまいますから」
この場に脚を踏み込んだ時点で、手遅れかもしれませんが。
黛さんはわざとらしくぼくの姿を凝視して、タバコをふかして満足げに言いました。
「ほら、言ったとおりになったろ」
「ぼくのことなんて二の次くらいに言ってた気がしますけどね」
「肌つやもいい、生傷もありゃしねえ。大事にしてもらってるじゃねえか。お前のご主人様ってのはどんなやつなんだ」
「え?」
「だからよ、優しいご主人様に巡り会えたんだろ? その聖人君子さまってのはどんなんだ」
「ご存じじゃないんですか? てっきり、黛さんはなんでも知っているものかと」
黛さんは虚を突かれたような表情をしました。
「そりゃあ……いや、知らねえな。覚えてないだけかもしれん……俺もうんと仕事を抱えてるからな。いちいち買い手のことまで記憶してねえよ」
「ぼくのことはちゃんと覚えてるのに」
「ん、……お前みたいな変なガキは忘れたくても忘れられねーつうの」
腑に落ちるような、腑に落ちないような、釈然としませんでした。
「まあいいや、そんなことよりお前、なにしに来たんだ。まさか本当に礼をしにきたわけじゃねえだろうな」
「まさか。ちゃんとお金の絡むお話ですよ」
「ほう、話してみろ」
「報酬はご満足いただけるだけ用意します。その代わり他言無用でお願いします」
一呼吸置いてから、ぼくは言いました。
「主の命が狙われています」
「なるほど。そんな事件に巻き込まれていたとはな」
「……それもご存じでないとは」
今でこそ風化気味ですが、当時は大々的に報じられていました。様々な噂や憶測が飛び交い、一時はそのことで話題はもちきりでした。
「どこかで聞いたような気はするが、まさかお前らが当事者だなんて思いもしねえ」
お金以外にはまったく無関心なようです。あのマンションに同行した人の言葉とは、とても思えませんでした。
「世間様の事情になんぞいちいち構っていられねえが、仕事となれば話は別だ。金額に見合った働きはするぜ。それでだ、お前のご主人様、フ、フ、あーっ、クーフーリン?」
「フリン。アステリア・フリン様です。あなたの顧客のはずですが、名前すらも覚えていらっしゃらないのですか」
「客の個人情報は残さねえんだ。一期一会の方がなにかと都合がいい」
「それはわかりますが……」
黛さんは忌々しげに髪の毛を掻きむしりました。
「で、だ、うちになにを依頼したい? 犯人逮捕を所望ってんなら一苦労だぜ」
「いえ、そこまでは望みません。情報収集をお願いしたいんです。なんでも構いません、なんでも、事件の手がかりとなる情報を、集めてもらいたいんです」
「警察は?」
首を横に振ります。捜査機関との接触は避けろ、とは、アステリアのお達しです。
「主がご存命であることはどうかご内密にお願いします。危険を避けるためにはそれが最善と考えています」
「なるほどわけアリか。まっ、そうでもねえとウチは訪ねて来ねえよな。いいぜ、報酬さえお支払い頂けるのなら、わたくしどもはどのようなご用命であろうとも承りましょう」
「前金を兼ねて、活動資金は提供します。もちろん満足な情報が得られれば成功報酬をお支払いしましょう」
黛さんは不敵に笑って、その場で立ち上がりました。
「ようし、それじゃ細かいところを詰めようじゃないか」
「よろしくおねがいします」
さらに相談を重ね、金銭面での折り合いを付け、お互いに納得したところで、契約書を作成しそれにサインしました。
アステリアがなんの不安もなく外を歩ける日が来るように。願うのはそれだけでした。
「と、いうわけで、だ。なにをしてくれる?」
帰宅してきたぼくに、開口一番アステリアは言いました。まだ靴すら脱いでいません。
「はい?」
「はい? じゃない。いつまで待たせるつもりだ」
「はあ」
「情緒たっぷりに言ってくれただろう。楽しませてくれるって」
「ああ」
ぽん、と手を叩きます。別に忘れていたわけではありません。
恥ずかしいという感情は誰にだってあるのです。心理学で言うところの、防衛機制というやつです。
「でしたら、お見せしたいものがあるんですよ」
かばんから一冊のノートを取り出しました。




