第13話 全部だって良かったのに
アステリアは両手で顔を覆って、指の隙間からチラチラこちらを窺います。はわわーって感じですね、はわわーって。なんで嬉しそうなんですか。
「冗談ですよ。そのままで結構です」
「ぁ……そ、そうか」
なぜか消沈します。脱ぎたかったんでしょうか。ぼくは使用人ですから、主に脱がせるのはコンプライアンス的にまずいものがあります。妙な雰囲気にもなりたくない。
「後世に残る処女作なんですよ。自然体、といいますか、普段のままでいいんです」
「本当にこんなんでいいのか?」
服をつまんだり、ほっぺをつねったり、髪を引っ張ってみたり、アステリアはありのままに自信がなさそうな動作をします。
「一番描いてみたいと思えるのは、素のままのご主人ですから」
「官能的なことを言うなぁ、フタエは」
なにを言うんでしょうかね、この人は。
かくして不肖、羽二重一美は、主アステリア・フリンの肖像画を描くことになったのでした。
とはいえ使用人の毎日は忙しいので、牛歩の歩みでしょうけれど。
あくる日のこと。練習も兼ねてモデルになってもらい、デッサンをしていましたが、アステリアはものの三十分たらずで横になってしまいました。
「ふぅああ、陽気がいいと眠くなるな……」
体力がないのか、飽き性なのか、妖精に魔法でもかけられているのか、アステリアはすぐにだらけてしまいます。ふにゃあと溶けて、猫のようにソファーに沈んでいます。
「堪え性がない……」
こっそりと呟きます。どこからかスマートフォンを取り出して弄っていたアステリアは、寝転がったままぼくを上目遣いで見上げました。
「ん、不満が聞こえた気がするが、気のせいだな?」
「小鳥のさえずりかなにかでしょう」
道具を抱えて立ち上がります。「仕事に戻りますね」と伝えると、アステリアは「よしなに」と軽く手を上げて答えてくれました。
このように日常は、多くの場合、何事もなく流れていきます。命を狙われていることなど忘れて、平和を謳歌しています。
しかしながら、そうでない時もあります。それは暗殺者などではなく、アステリア自身の問題でした。
梅雨の曇り空が鬱屈とした気分にさせるある日のことです。
アステリアが爪を切っています。ぱちっぱちっと小気味よい音を立てて爪は落ちていきます。
指先は真っ赤でした。血が滴って、ぽとぽとと垂れていきます。
「いてっ……へへ」
ぎょっとするような光景ですが、実はいつものことです。
理解不能なのですが、アステリアは深爪が大好きなのです。お止めしようものなら「わたしはこれがいいんだ!」の一点張りで人の話を聞こうとしません。
結果、手当をするわけですが、本人は満足そうにしているので、困っています。
「どうしてこんなことをするんです。せっかくの綺麗な指が台無しではありませんか。細菌感染症のリスクもあります」
絆創膏を貼りながら尋ねました。
「性癖に理由を問われて、答えられるものでもないだろう?」
「ご主人のは悪癖ですよ!」
そうです。実はこれだけではありません。このところアステリアは、御身を危険に晒す遊びに興じているのです。無論、遊びとは本人談です。
例えば入浴。一口に言えば、とにかく我慢をします。熱湯を、高温多湿を、限界まで、限界を超えてまでも我慢します。
一度、大変な目にあわれたことがあります。二時間以上も湯船に浸かられていたでしょうか。設定温度は四十五度を超えていたと思います。
大丈夫だから、の声を鵜呑みにしてそれを静観していました。それでも何度かお声がけして、三度目のことです。返事がなかったのです。
アステリアといえども女性です。浴室に踏み入るのは憚られます。しかしながら緊急事態は明らかでした。ぼくが踏み込むと、アステリアは風呂桶に身体を預け、ぐったりと項垂れていました。かろうじて意識はあるものの、朦朧としていて、コミュニケーションもままなりません。裸のまますぐさま運び出して、涼しいところに寝かせました。医者を呼ぶにしてもこんな森の中です。どうなってしまうものかと、身の毛もよだつ思いをしました。
幸いにも、アステリアはすぐに回復します。消えてしまいそうな微笑みを浮かべて、ぼくの頬に手を伸ばしました。
「せわをかけたな……しょうしょうたわむれがすぎたようだ……」
「救急車だって簡単には呼べないのですから、このようなことをなさるのはおやめになってください」
「だいじょうぶ……どうにもならないよ……それに、これがたのしいんだ」
いくら平気だと言われても、簡単に受け入れられはしませんでした。
極めつけは、大雨の日の出来事です。自然豊かな森の中です。危険には事欠きません。普段一歩も外に出ないアステリアは、その日は、そういう日に限って、ぼくに声もかけずに家を出ました。
──沼の様子を見てくる
こんなふざけたメモを残して。




