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紅楼夢  作者: 翡翠
第十六回 賈元春 才(さい)もて鳳藻宮(ほうそうきゅう)に選(せん)じ 秦鯨卿 夭(わか)くして黄泉路(よみじ)に逝(ゆ)く
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第十六回 17

「私はこれまでもくどいほど何度もお願いして参りました。若さまはそのたびに聞こえのよいお返事をなさるのですが、たった一つでも実を結んだことはございません」

 趙ばあやが泡を飛ばしながら言うのに、賈璉はそっと背を向ける。

「ところがこの折、降ってわいたような慶事がありましたでしょう? これからは山ほど人手が入り用になるはずです。ぜひ奶奶(わかおくさま)にきちんとお願いしようと思って参りました。若さまだけを頼りにしていたら、私は飢(う)え死にしてしまうでしょうからね」

 熙鳳は笑いながら言った。

「媽媽(かあさま)、安心なさって。お二人の乳兄弟のことは私に任せてちょうだい。“あなた”は若さまにお乳をあげておられたのでしょう? なおさら、あの方がどんなに優しい気性(きしょう)なのかきっとご存じのはずです。己(おの)が身を削ってまで縁もゆかりもない“外人(たにん)”に尽くそうとする人よ。

 でもね、考えてみて。こうして乳兄弟(ちきょうだい)が二人もおられるのだもの。どちらの方だって優れているに決まっているわ。“あなた”が彼らを引き立てたとて、誰が『不(だめ)』の一字ですら口にできるというの」

 賈璉は黙(だま)って空の盃(さかずき)をかかげていたが、やおら平児が酒を注ぎはじめた。酒は盃(さかずき)になみなみと注(つ)がれても、なお勢(きおい)がおとろえない。盃(さかずき)に酒があふれ、賈璉の手と卓(たく)をしたたかに濡らす。

「何をする!」

 賈璉は小さく叫び、眉(まゆ)をあげたが、平児はためらわず耳もとにささやいた。

「“あなた”」

 賈璉は首をかしげる。

「“あなた”が彼らを引き立てたとて、誰が『不(だめ)』の一字ですら口にできるというの」

 平児が先ほどの熙鳳の言葉を一句も違わず繰り返す。

 賈璉ははっとして、濡れた指を眺める。

 その濡れた指のまま賈璉は己(おのれ)を指した。

 賈璉はそっと熙鳳を見やった。熙鳳は賈璉を見ずに微笑(ほほえ)む。

「わざわざ外人(たにん)にいい思いをさせることはないわ」

 王熙鳳はそっと賈璉を見据(みす)えた。平児は卓を拭きながらかすかにうなずく。

「……あら、私ったら言い間違(まちが)えたわ。私たちには『外人(たにん)』に見えていたとしても“あなた”には『内人(みうち)』も同然(どうぜん)だもの」

 賈璉は顔を赤くしながらうつむく。房(へや)にいた者たちは大声で笑った。一人、豊児だけが首をかしげている。

「どういうことですか?」

 そう平児の耳もとにささやく。

「あの『内人』というのは……」

 そう言いかけて平児は口をつぐんだ。

「あなたみたいな小さい子は知らなくていいの」

 ぴしゃりとそう言うと豊児は不服そうに唇を噛んだ。

――いい気味だわ。

 平児はそう思う。

――あの若さまにかかれば、赤の外人(たにん)さえ内人(つま)になってしまうんだから。


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