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紅楼夢  作者: 翡翠
翻案意図(第十四回~十五回)
314/333

第十五回(後編)

 続(つづ)くのは熙鳳と浄虚の悪(わる)だくみの場面(ばめん)である。

 ただし、分かりにくいため(脂評(しひょう)によればあえてそうしたようだが)、平児の視点(してん)を用(もち)いて補足(ほそく)した。

 要約(ようやく)すると以下(いか)のようになる。

 張家の娘、金哥には守備(しゅび)の子息(しそく)の婚約者(こんやくしゃ)がいた。

 だが、長安府の府尹の縁戚(えんせき)である李(り)の若君(わかぎみ)に金哥は見初(みそ)められてしまう。

 ここからは物語(ものがたり)の空白(くうはく)を埋(う)めなければならない。

 張家は元(もと)の婚約(こんやく)を破棄(はき)し、金哥を李の若君(わかぎみ)に嫁(とつ)がせれば、大きな権勢(けんせい)を得(え)ることができる。

 そのため元の婚約者(こんやくしゃ)である守備(しゅび)との婚約(こんやく)を無理(むり)やり破棄(はき)しようと申(もう)し出(で)たところ、訴訟問題(そしょうもんだい)に発展(はってん)してしまう。弱った張家は長安節度使(ちょうあんせつどし)の雲(うん)何某(なにがし)に仲立(なかだ)ちを頼(たの)むため、賈家の力(ちから)を借(か)りたかった。だが、直接(ちょくせつ)賈家に頼(たの)む伝手(つて)がない。そのため張家は、長安の尼寺(あまでら)で修(しゅ)していたころから付(つ)き合(あ)いのある浄虚に仲立(なかだ)ちを依頼(いらい)した。

 脂評(しひょう)を総合するとこういう経緯(けいい)だったように思われる。

 また、浄虚が三千両を用立てられると言ったのは、金哥が李の若君(わかぎみ)と婚姻(こんいん)したのちに張家が得(え)られる金(かね)をあてにしたものだろう。


 ここから秦鐘と智能の逢引(あいび)きへと移(うつ)る。

 智能への性的関係(せいてきかんけい)を強要(きょうよう)した秦鐘は智能から、

「你想怎樣?除非我出了這牢坑,離了這些人,才依你(拙訳(せつやく):いったい何をしたいわけ? この牢獄(ろうごく)のようなところを出て、ここから離(はな)れない限(かぎ)り、あなたのことなんて聞けないわ)」

 と言われてしまう。この牢獄(原文(げんぶん):牢坑(ろうこう))は鉄檻寺(てっかんじ)の名とも象徴的(しょうちょうてき)に重(かさ)なり、智能が戒律(かいりつ)から抜(ぬ)け出(だ)し、俗世へひたひたと歩(あゆ)みだす予兆(よちょう)のようにも思われる。

次の秦鐘の「遠水救不得近渴(拙訳(せつやく):遠(とお)くの水(みず)では今の渇(かわ)きは癒(いや)せない)」という台詞(せりふ)は一見格好(いっけんかっこう)のよいことを言っているようだが、その実(じつ)、智能の願(ねが)いを無視(むし)して、「自分の今の渇(かわ)きは癒(いや)せない」というあくまで自身(じしん)の欲求(よっきゅう)に立脚(りっきゃく)している台詞(せりふ)である。

その後、情事(じょうじ)を宝玉に見つかった秦鐘は、智能に対するときと同じく「好人(ハオレン)」と呼びかける。これは英語のdearや日本語の「ねえ」に、甘(あま)えを加(くわ)えたような呼(よ)びかけに近(ちか)い。つまりは愛情(あいじょう)と懇願(こんがん)がないまぜになり、一種(いっしゅ)の媚(こ)びのようになっている。

 脂評にも、「好人の二字を初(はじ)めには智能に用い、後には宝玉に用いている。ここをよくよく注意(ちゅうい)すべきだ」とある。

 私は宝玉の台詞(せりふ)「算帳」を「清算(せいさん)」と訳(やく)した(ちなみに岩波訳(いわなみやく)では決着(けっちゃく)とされている)。

 初読(しょどく)の際(さい)、私はこの「算帳」を宝玉の秦鐘に対(たい)する性的関係(せいてきかんけい)の(半(なか)ば脅迫的(きょうはくてき)な)誘(さそ)いだと思った。

 だが、原文(げんぶん)には滿地下皆是家下婆子(拙訳(せつやく):婆子(ばあや)たちも床(ゆか)へ一面(いちめん)に夜具(やぐ)を敷(し)いて宿直(とのい)していた)とあり、秦鐘、宝玉との位置関係(いちかんけい)が分(わ)かりづらいけれどもかなり近(ちか)くに侍(じ)していたとすれば、二人が情(じょう)を交(か)わすには人目(ひとめ)がありすぎる。この婆子(ばあや)たちの描写(びょうしゃ)は二人の性行為(せいこうい)をやわらかく退(しりぞ)ける働きをしているように思う。

 では宝玉のいう「算帳」とは何を意味(いみ)しているか? 宝玉はすでに秦鐘の智能に対(たい)する態度(たいど)への違和(いわ)を示(しめ)している。表向(おもてむ)きには昼間(ひるま)の智能に対する態度(たいど)をたしなめ、もう少し情(じょう)をもって接(せっ)するようにと諭(さと)したのではないか。

 だが、物語全体(ものがたりぜんたい)の流(なが)れをとらえれば、宝玉の秦鐘との分化(ぶんか)であり、もっと適切(てきせつ)にいえば宝玉の「自分は秦鐘とは違(ちが)う」という確信(かくしん)である。

 その根拠(こんきょ)として述(の)べるなら、宝玉が「通霊宝玉(つうれいほうぎょく)」から離(はな)されているからだ。このとき通霊宝玉(つうれいほうぎょく)は王熙鳳の手元(てもと)にある。

 私はあまりユング心理学を好(この)まないけれども、分かりやすく言えば秦鐘は宝玉のシャドウに近(ちか)く、自己(じこ)を確立(かくりつ)するためにはそこに映(うつ)る自分と自分自身(じぶんじしん)を分(わ)ける必要(ひつよう)がある。

 通霊宝玉が宝玉の手元(てもと)から離(はな)れたのは、第十五回まででは李ばあやの件で感情(かんじょう)を爆発(ばくはつ)させた第八回だけだ。

 すなわちここでは宝玉は通霊宝玉(つうれいほうぎょく)というかりそめの自分から離(はな)れ、むきだしの賈宝玉となり、自己(じこ)と向(む)き合(あ)い、他者(たしゃ)と向(む)き合(あ)い、自己(じこ)を確立(かくりつ)する通過儀礼(つうかぎれい)として秦鐘と向き合う。その象徴的場面(しょうちょうてきばめん)としての「算帳」だったのではないかと思うのだ。

 もちろん、これを同性愛(どうせいあい)の場面(ばめん)と考える人があってもいい。翻案(ほんあん)でもその余地(よち)は残(のこ)している。紅楼夢は極限(きょくげん)まで自由(じゆう)であるべきだ。


 さて本回の最後(さいご)には宝珠が置(お)かれる。

 彼女は秦氏を悼(いた)もうとする行動(こうどう)と心(こころ)が一致(いっち)している。外(そと)に現(あらわ)れるものと内(うち)なる情(じょう)が乖離(かいり)していない。

 この回は水溶(すいよう)から始(はじ)まった。水溶は外見(がいけん)、通霊宝玉(つうれいほうぎょく)の伝説(でんせつ)と外側(そとがわ)を重視(じゅうし)しているように思える。秦氏を悼(いた)むときにも、その意(い)は行動(こうどう)にあらわれるけれども、その心(こころ)の内(うち)は不明瞭(ふめいりょう)である。

 そして二番目(にばんめ)との邂逅(かいこう)では、宝玉はほんの一瞬(いっしゅん)、色即是空(しきそくぜくう)の境地(きょうち)にいたる。だが、それは長続(ながつづ)きしない。

 そして秦鐘と智能の求(もと)めるもののすれ違(ちが)い。そこから宝玉は自身(じしん)のシャドウである秦鐘と対峙(たいじ)する。

 なぜ、この通過儀礼(つうかぎれい)が必要(ひつよう)だったのか。今は黛玉がいない。もうすぐ黛玉が帰(かえ)ってくる。それまでに宝玉は少しずつ変(か)わってゆく。私には、第十五回は宝玉の成長過程(せいちょうかてい)が見える回であった。

 第十六回では賈璉、黛玉が帰還(きかん)し、賈家に慶事(けいじ)が訪(おとず)れることになる。


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