第十四回
第十四回は王熙鳳が寧府に来るということを、寧府の召使たちが噂しているところから始まる。寧府の統治能力はないに等しく、王熙鳳が彼らに指図しないといけないばかりか、「少しは王熙鳳に引き締めてもらった方がいい」と考える者がいる始末であった。
この回では対牌が権威の象徴として扱われる。対牌は竹に文字を焼きつけたものを二つに分け、双方を照合することで命令や受領の権限を証明する割符のようなものである。
また彩明という小者が登場し、王熙鳳の右筆のような役割をするが、これは王熙鳳が文字を読めないということを暗示しており、脂評にもその点にかんする言及がある。
王熙鳳は寧府の抱廈に立てこもり、粛々と業務をこなす。召使たちは王熙鳳に集められるが、王熙鳳は彼らの名前と能力、勤務態度まで把握し、システマティックに葬儀の際の割り振りをしてゆく。
前回の末尾にあったとおり、寧府の緩みを感じた熙鳳は厳格なきまりをつくり、時計にしたがってスケジュールも動かす。
王熙鳳は秦氏の棺を前にし、涙を流すが、葬儀はあくまでも儀礼的にすすんでゆく。
王熙鳳は怠慢をした小者(翻案では班玉)を罰し、信賞必罰を徹底させる。
宝玉は秦氏の悪い風聞(賈珍との不貞、自殺など)のために秦鐘が嫌な思いをしないかと心配し、寧府に向かう。
秦鐘と合流した宝玉は王熙鳳のところに向かい、秦鐘は「何でも対牌なのですね」と無邪気な感想を言い、宝玉は自らの書房が完成しないことを熙鳳になじるが、これは名家の子弟の世間知らずさを皮肉っているともとれる。
ここで林如海が亡くなったことが知らされる。
賈璉、黛玉とも年の暮までには戻ることが分かるが、そのときの王熙鳳と宝玉の反応は対称的である。
熙鳳は「林妹妹は栄府に長く住むことになりそうね」と賈璉の不在に向き合わず、黛玉に関する冗談に話をずらすのだが、宝玉はただただ黛玉を心配する。
もっともその後に、熙鳳は昭児に賈璉の消息をこと細かく尋ね、遠方の寒さをしのぐための防寒具を送っている。ただ彼女が心配だけでなく、「ろくでもない女と引き合わせないように」と嫉妬や警戒までにじませるのが面白い。
場面は賈珍へと移り、彼が官吏を私的に使っていることが示される。翻案では賈蓉にそこを指摘させ、分かりやすくした。
ここで一つ、暗示らしきものが置かれる。鉄檻寺の僧の名である。
彼の名は色空という。もちろん色即是空という仏教語を連想させるが、彼は高尚な僧であるとは言い難い。私はそこに引っかかりを感じ、その前後に着目した。
賈珍は秦氏の死から立ち直れず、食べ物もろくに通らない。王熙鳳は秦氏の葬儀の準備を粛々とすすめるだけである。ここに色(=形ある行為や儀礼)と空(=無形のもの、すなわち感情)との乖離が示されている。
ここで暗に強調されるのは即是である。すなわち色と空との「つながり」であって、賈珍も王熙鳳もこの両者がつながっていない。これは「真是仮」「仮是真」(真は仮、仮は真)という「紅楼夢」冒頭の言葉にも通底する。
その後を見ても賈珍は「儀礼を果たさず」、王熙鳳は「感情を横において」物事を処理していく。
中途に迎春の病を差しはさんでいるのは興味深い。迎春に思い入れのあまりない王熙鳳が医者や薬の手配といった「色」を担い、親の情(空)があるはずの賈赦らは動かない。ここにも「色と空の乖離」が感じられる。
その後の葬礼の場面は原文では事実の羅列が続いたため、翻案では探春や賈蓉を登場させ分かりやすくした。
この流れの中で登場するのが宝珠であって、彼女は秦氏の義女という空(=情)を保ちながら摔喪駕靈という儀礼的な役割(=色)に徹することで、情が儀礼としてあらわれ、色即是空を体現しているといえる。




